Culture
2019.12.03

音楽の力は言語を超える!中野「チャランケ祭」で出会う沖縄・アイヌ文化の真髄

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歌や踊りには、言語を超越する力があるー。よく言われるこの言葉を、私はこれほど強く実感したことはないかもしれません。それほど、2019年「チャランケ祭」のパワーは圧倒的でした。チャランケ祭とは、沖縄舞踊とアイヌ舞踊を中心とした、国際的な文化の祭典です。1994年、沖縄出身の金城吉春(きんじょう・よしはる)と数人の有志が発起人となって始まり、以後1度も休まずに東京都中野の地で毎年開催されてきました。

そして今年もまた、第26回目となるチャランケ祭の季節がやってきました。雨予報ではじまった2019年11月3日~4日の二日間、参加者と来場者双方の興奮で温められた会場は、雨をも蒸発させてしまう熱を持っていました。「動けよ体」と内臓すべてに響いてくる太鼓の重低音、思考を無化する三線のリフ、そして原因不明の涙を誘うアイヌ語の美しいうた。東京の片隅で、静かに、しかしパワフルに育まれてきた文化の祭典をレポートします!(開催前インタビューはこちら

カムイノミ:祭の全ては祈りからはじまる

さあ、「古代、祭は全て祈りであった」ということで、1日目の始まりに行われたのは、アイヌ文化の祈りの儀式「カムイノミ」です。アイヌの世界観によると、人間の能力を超えた力を持つものは全てカムイ(神)と呼ばれます。人間の能力を超えるもの・・そう、雷・風・雨などの自然現象や動植物はもちろん、一度でたくさんの水を掬えるお椀などの道具も、人間には都合の悪い病気などもカムイなのです。そのカムイたちへ、人間の希望や感謝を伝える祈りの時間こそが「カムイノミ」です。


奥に立てられたイナウ(ケズリカケ)は、カムイへの捧げもの。イナウの向こうは「カムイモシリ」(神の領域)とされていて、人の立ち入りは禁止です。

カムイノミでは、人にとって最も身近かつ重要である火のカムイ(アイヌ語で「アペフチカムイ」)に祈りの言葉が述べられます。アペフチカムイは人の言葉を解し、それをカムイの言葉に訳してそれぞれのカムイに伝えてくれると考えられているからです。


アペフチカムイに酒と供物を捧げているところ。

今回のカムイノミでは、祭を見守る中野のカムイたちに祈りが捧げられます。アイヌ文化におけるカムイの特殊な点は、あくまでカムイと人は同等で、身近な存在だということです。今回は観客が100人ほどいたので酒をみんなに回すことはできませんでしたが、本来の儀式では、そこにいる全ての者がカムイと共に酒や供物をいただくのです。

ウポポ(歌)とリムセ(踊り)には歴史や物語が詰まってる!

カムイノミの後、間髪をいれずに始まったのは、アイヌと和人のミックスグループ「ペウレ・ウタリの会」によるアイヌの歌と踊りです。広場に一人の女性の歌が響き始めると、ガヤガヤと騒がしかった会場が瞬間静寂に包まれ、一斉に声の主を探し始めました。それほど、突然響いたその歌声は美しかったのです。声の主は、関東でアイヌ文化伝承活動を続ける宇佐照代(うさ・てるよ)さん。意味のとれないアイヌ語の歌は、呪文のように、祈りのように、広い会場を包み込みました。


宇佐さん。アイヌの歌は「ウポポ」と呼ばれます。手拍子でリズムを取りながら歌います。

アイヌ民族の歌や踊りの特徴は、物語を持っているものが多いということです。アイヌは、文字を持たなかった民族です。そのため、神話や歴史、身近な出来事や物語が全部歌や踊りになって継承されているのです。


サルキウシナイ(情景の踊り)湖の淵で、葦(アシ)などが揺れてる様子を表す踊り。

それも、ジャンルが非常に多岐に渡っています。バッタや鳥などの動物になりきる、かつての人と自然の親密性を感じさせる感動的な踊りがあるかと思えば、泥酔した男性が様々な困難を乗り越えて妻の元に帰るというような、現代の「物語」にも通ずる踊りもあります。


シネ・オッカイ・トゥー・メノコ(1人の男、2人の女)本来は、一人の男性を二人の女性が取り合うという踊りですが、「もはや現代は女性が男性を選ぶ時代」ということで、今回は逆バージョンにアレンジされました。会場はハラハラドキドキしたり、大笑いしたり、まるで劇を見ているかのようでした。

物語は、書物になると一つの形で固定されてしまいますが、歌や踊りになっていると、形を変えながらもずっと継承されていくものです。考えてみれば、昔話や伝説、「ばあちゃんの知恵」みたいなものも同じですね。

ク・リムセ(弓の舞)狩人が山野にて鳥を撃とうとしますが、その鳥のあまりの美しさに撃つことができない、という物語性にあふれた踊りです。

ド迫力のエイサーに心も体も奪われる!

アイヌの、頬が緩むようなかわいらしい踊りに対して、ド迫力の太鼓の音で会場を圧倒したのは、沖縄の伝統舞踊「エイサー」です。最初の小学生のグループは、小雨が降る中スタートしましたが、温められた会場の熱気は雨などものともせず、気づいた頃には空は晴れていました。


「上石神井琉球エイサー会」エイサーは基本的に、太鼓、手踊り、唄と三線を担当する地方(じかた)、そしてチョンダラーと呼ばれる道化役で構成されます。チョンダラーは、会場を盛り上げたり、メンバーの配列をそれとなく直したり、ベテランでないとできないとても重要な役回りです。

そもそもエイサーとは、祖先供養の念仏踊りに起源があるといわれています。沖縄では旧盆の夜、エイサーを踊りながら地域を練り歩き、祖先を向かい入れるのだそうです。「盆踊り」というと、夏祭りの催し物を思いつきますが、エイサーはそんな生易しいものではありません。(※諸説あり)

数十人で構成されたグループが、一糸乱れぬ動きで踊り、心臓に響く太鼓が同じリズムで一斉に鳴るのです。それに沖縄民謡独特の三線が奏でるメロディと、唄が加わります。その躍動感と生命力たるや、興奮して泣いてしまう観客もいたほどです。(私もその一人です、はい。)

「和光青年会」

エイサーの団体は、二日間通して8グループ(!)も出演しましたが、曲も違えば構成も違うので、それぞれ異なった感動があります。ただ、スタイルは違っても心臓のポンプを刺激する音は同じ。踊り手が「イーヤーサーサー!」と掛け声をかけると、高まるエネルギーを押し出すように、来場者も「ハーイーヤー!」と精一杯の声で呼応します。その音は天と地を揺らし、「今まさに、祈りが天に届いている」と何度も何度も実感しました。

「中野新道エイサー」

文化の違いは乗り越えない!楽しむのである!

チャランケ祭で披露される踊りは基本的にアイヌ舞踊と沖縄舞踊で構成されていますが、その間には、時々他文化の踊りも入ってきます。それもそのはず、チャランケ祭のテーマは、文化で世界をつなぐこと・萬国津梁(ばんこくしんりょう)なのです。そこには、民族の違い、文化の違い、言語の違いは、「乗り越える」ものではなく、楽しむことで尊重するものであるという信念が含まれています。今年は韓国のバンドグループ「誕古団(テゴダン)」、ニュージーランド・マオリ族のグループ「Nga Hau E Wha(ナハゥエファ)」、そして日本の伝統民族舞踊を研究する「森の踊り衆」が出演しました。


94年当初から定期的に出演している韓国のグループ「誕古団(テゴダン)」。リーダーのファンさん(写真中央)は御年70歳だそうですが、言われなければわからない、いやむしろ、飛んだり跳ねたり会場を笑わせたり、本日もっともパワフルだった人の一人かもしれません。ちなみにこのバンド、動画を貼り付けてご紹介したいほど素晴らしかったです。

音楽の力は言語を超える

ところで、祭の名前「チャランケ」は、アイヌ文化における「話し合いの場」を意味します。仲違いを起こした両者が、双方納得するまでとことん話し合う裁判のようなものです。そこでおもしろいのは、争っている両者は、お互いの主張を即興で歌にしなければならなかったということ。そして一方がその主張を歌っている時、もう一方は決して割り込んではいけないらしいのです。なんだかブラックコミュニティのラップバトルのようですが、大事なのはどちらも、武力でも話合いでもなく、音楽の力を信じたということです。


今年初出演のニュージーランド・マオリグループ「Nga Hau E Wha(ナハゥエファ)」による「ハカ」。迫力満点のパフォーマンスでした。彼らの踊りによって、会場の熱気は最高潮に達しました。

この祭における歌や踊りは、まさに「チャランケ」でした。もちろん本来のチャランケのように、誰かが争っているわけではないし、明文化された主義主張があるわけでもありません。しかし「文化で世界をつなげたい」という切実な願いがストレートに太鼓の音となり、会場に響く声となり、言語を超越した音楽の力として観客の胸を打つのです。


こちらも、94年当初から出演している日本伝統民族舞踊の研究会「森の踊り衆」。今年披露されたのは岩手県北上市に伝わる「岩崎鬼剣舞(おにけんばい)」。

祭の会長である金城さんは、お会いするたびに、何度も「文化で世界をつなげたい」とおっしゃいます。これからは争いの時代ではない、踊りで、祈りで、文化で世界がつながっていくのだと。沖縄もアイヌも、過去、筆舌に尽くしがたい壮絶な苦難を経験してきました。そしていまだに、世界は平和だとは言い難いのも事実です。しかしこのチャランケ祭で行われた境界のない多文化の共演と、集まった大勢の人々の交流を見ていると、「萬国津梁」は決して夢物語ではないと思えてくるのです。


祭には「文化交流ブース」も設けられていました。こちらは「沖縄ブース」にて、沖縄の伝統楽器に挑戦する来場者の子どもたち。

シタク:見えない神々へ敬意を込めて

祈りに始まった祭は、祈りで幕を閉じます。二日間に及んだ祭の最後を飾るのは、「旗おろし」そして「シタク」です。これは元々、沖縄県南風原町に伝わる「大綱曳き」の前後に行われる儀式です。祭のシンボルとなる旗「旗頭」を掲げ、その旗を取り囲むように男性出演者が円になって並びます。鉦鼓(しょうこ・金属の打楽器)のリズムに合わせて、太鼓、銅鑼に法螺貝が鳴らされ、東西に分かれたチームの大将がそれぞれ運ばれてきます。


「シタク」の様子。左が金城吉春さん率いる沖縄チーム、右がアイヌのエカシ(長老)浦川治造さん率いるアイヌチームです。

東西の大将が板の上に立ち上がると、すっと太鼓や銅鑼の音が止みました。その代わりに聞こえてきたのは、雄々しい打楽器のテンポとは全く違う、女性のやさしい「綱曳歌(つなひきうた)」。男性の気迫によって張り詰めた空気感から一転、会場を柔らかい空気が包みこむようでした。


綱曳歌を歌う女性出演者たち。

大将が下がると、いよいよクライマックスの祈りの舞が始まります。祈りの対象は「旗頭」。代表者数名が一人ずつ前に出て、旗に向かって祈りを込めた舞を披露します。なぜなら旗頭こそが、天からカムイをおろし、天と地、そして人間の世界をつなぐものの象徴だからです。

旗頭に捧げられる舞を見ながら私が思い出していたのは、数日前に教わった琉球語の「チャーランケ」という言葉です。共通語にすると「消えるなよ」というほどの意味になるのだそうです。

人間がカムイに優る力をひとつ与えられているとしたら、それは想像力です。見えない神々への祈りや歌や踊りを見ていて、これこそが、決して失ってはいけない人間文化の財産だと思いました。熱い体と旗頭に降ろされた神々を感じながら、私は「チャーランケ(消えるなよ)」と切実に祈りました。


旗頭「萬国津梁」の横に翻るタペストリーは、アイヌの古布作家・宇梶静江さんの手によるもの。今年はそこへマオリ族の「ナハゥエファ」の旗も加わりました。

多彩な文化を知るということは、仲間が増えるということ

他の祭にはない、チャランケ祭の大きな魅力の一つは、一人で行っても「アウェイ」にならないことです。祭では様々な文化の踊りや歌が見られるだけでなく、文化交流ブースや飲食店の出店もあります。そしてそこにいる誰もが、ものすごくフレンドリーなのです。私は今回初めて参加しましたが、出店者の方や出演者の方の誰もが「既知の知り合い」のように振る舞ってくれるので、なんだか昔からここにきていたような錯覚に陥るほどでした。


沖縄料理の出店。高円寺で40年間続く「抱瓶」のお二人です。

これは、26年という歴史の長さがなせる技なのかもしれません。東京都の小さな街で、様々な文化と交流しつつ、大きな家族のように育ってきたコミュニティだからこそ、初めてのお客さんもすっと入っていける温かい体制ができたのかもしれません。


「シタク」の直前、アイヌ文化交流ブースにてお話ししていた、アイヌ文化のレジェンド・浦川治造さんと、チャランケ祭会長の金城吉春さん。お二人が揃うと、周りが話を聞きたい人々でいっぱいになりました。

他文化を知るということは、家族や仲間が増えるということ。2019年のチャランケ祭は終わってしまいましたが、ぜひ高円寺や中野の沖縄料理店に顔を出してみてください。あるいは各地で行われているアイヌ文化のイベントに行ってみてください。そこにはまだまだ知らない日本列島の多様性に富んだ文化のあり方があり、なにより、「いちゃりばちょーでー」(琉球語で「一回会ったらみんな兄弟」)精神を体現する温かい人々に出会うことができますよ。

書いた人

横浜生まれ。お金を貯めては旅に出るか、半年くらい引きこもって小説を書いたり映画を撮ったりする人生。モノを持たず未来を持たない江戸町民の身軽さに激しく憧れる。趣味は苦行と瞑想と一人ダンスパーティ。尊敬する人は縄文人。縄文時代と江戸時代の長い平和(a.k.a.ヒマ)が生み出した無用の産物が、日本文化の真骨頂なのだと固く信じている。