縄文人の地元愛?! 定住=帰属意識のはじまり
今からおよそ1万5000年前、日本列島に住んでいた人々は、獲物を追って洞窟から洞窟へと移動していくスタイルの生活をやめて、「定住」をはじめます。定住とは、ある特定の場所に家を建て、そこを自らの「所属場所」として長きに渡って暮らしていくことをいいます。やがて縄文人は、豊かな森に対して、人間の居住空間である「ムラ」を形成し、ムラ単位のコミュニティを築くようになります。
長きに渡って暮らす場所には、当然愛着が生まれ、「帰属意識」が生まれます。縄文人も、私達が地元の特産物を自慢するように、自分たちの森や海を誇り、自慢話をたくさん持っていたかもしれませんね。
「縄文人の世界」秋の広場より(新潟県立歴史博物館)
日本列島全域に張り巡らされていた集落間のネットワーク
帰属意識のはじまりは、すなわち所属する「内」とそれ以外の「外」という概念のはじまりであり、また「旅」のはじまりでもあります。帰る場所があってはじめて、旅は成立するからです。
縄文時代の遺跡から発掘されるものの中には、その土地では採れない特産物がたくさんあります。たとえば北海道で、(生息していないはずの)イノシシの骨が大量に出土したり、秋田産のアスファルトや岩手産のコハクが青森県の三内丸山遺跡で出土したり、鹿児島本土の土器が沖縄で見つかったり。これは、縄文人が日本列島を縦横無尽に移動し、旅をしていたことの証拠でもあります。
日本列島史上はじめて定住生活を成し遂げた縄文人は、地元への帰属意識とともに、他所の集落との関係性を強固にすることで、どこで暮らしたとしても不便ない生活を送ることができたのです。
「縄文人の世界」秋の広場より(新潟県立歴史博物館)狩りごっこをして遊ぶ子供たちと犬の後ろで男たちが作っているのは、縄文人の旅を支えた「丸木舟」です。巨木を刳りぬいただけの単純な舟で日本列島を航海するには、相当な技術と知識(と、並々ならぬ度胸)を要したことでしょう。