贈与経済の崩壊は「土地所有」から?
日本列島を動かす経済が、贈与経済から交換経済へと変化したのがいつのことだったかはわかりません。しかし、一般的に贈与経済というのは、人から人への贈与の前に「カミからの贈与」があることを前提にしていることから、「自然物は、人間が所有できるものである」という考え方が生まれた時、成り立たなくなるシステムであると言われています。
「土地所有」という概念は、日本では少なくとも縄文時代の次の弥生時代にははじまっています。弥生時代にはじまった「農耕」を実現するには、人の手によって土地を大きく耕作する必要があり、水田稲作は、お米が育つ過程でも手間と労力を多分に要するからです。また長期保存がきくお米は、やがて個人の財産にもなります。
結果、縄文時代が終わりを告げてからわずか数百年で、日本列島にも「王」が生まれ、数多のクニが生まれ、戦争がはじまっていきました。
縄文時代が、もし本当に「一万数千年に及ぶ天下泰平の時代」であったのだとしたら、それは、贈与経済の根本にある「自然は人間が所有できるものではない」という考え方に依るのかもしれません。
「1万年の天下泰平の世」の秘訣は、私たちの中にある?
縄文時代の経済を動かしていた原理について、あるいは戦争の有無について、現時点ではっきりと言えることは残念ながらとても少なく、今後の研究や発掘を待たなければならない要素が多分にあります。
しかし、日本列島全域を巻き込んだ「集落間ネットワーク」が存在し、そのネットワークが一万数千年もの間、人間同士の絆を築き続けたことは確かです。縄文人がきっと自慢に思っていた「地元の特産物」は、海を超え、山を超えて、人々をつなぎつづけたのです。
「縄文人の世界」夏の海より(新潟県立歴史博物館)
贈与で社会が成り立っていたかもしれない、なんて、資本主義原理が浸透した現代では、ちょっと想像のしにくいことです。しかし現代の日本でも、贈与経済らしきものを見ることはたくさんあります。旅先で、ちょっと話しただけの地元の人に「これ持ってけ」と(自慢げに)持ちきれないほどのお土産を渡された経験は、誰にでもあるかと思います。また、日本の「お土産文化」や「お中元・お歳暮文化」は、世界では珍しい独特の文化だとも言われます。
縄文時代の1万年に及ぶ天下泰平の秘密、それはもしかしたら、あれから数千年後の私たちの心に息づく「縄文スピリット」にヒントがあるのかもしれません。
画像提供・協力
新潟県/新潟県立歴史博物館
鹿児島県/上野原縄文の森
青森県/三内丸山遺跡センター
千葉県/船橋市教育委員会・船橋市飛ノ台史跡公園博物館
山梨県/山梨県立考古博物館
秋田県/大湯ストーンサークル館・鹿角市教育委員会
あわせて読みたい!
「縄文的サステイナビリティ」前編:世界初?! 農耕なしの「縄文的自然との共生術」に学ぶ、森と人のふかーい関係