みなさんはこう思うかもしれない。「妖怪なんてこの世にいるはずない」ごもっともである。しかし、そんな疑い深い人たちにこそ読んでもらいたい本がある。江馬務(えま つとむ)の『日本妖怪変化史』だ。
江馬務って誰?
江馬務(1884-1979年)は衣食住から化粧まで幅広い風俗歴史研究をした歴史学者。日本の風俗史学の開拓者といえるだろう。
妖怪研究といえば、民俗学者・柳田国男(1875-1962年)の『おばけの声(昭和6年)』『妖怪談義(昭和11年)』『妖怪名彙(昭和13・14年)』があるが、今回紹介する『日本妖怪変化史』の初版は大正12年(1923年)。いかに本書が先駆的な著作であるかがわかる。柳田が民俗学をせっせと育んでいたころ、江馬もまた柳田とは別の角度から妖怪を取り上げていた。
『日本妖怪変化史』について
『日本妖怪変化史』は初版が大正12年と古いので、扱われる資料の選択にはどうしても偏りが出てしまう。しかし史学的な分野から行われた妖怪研究は、ほかではちょっと類をみない珍しいものだ。妖怪研究に画期的な視座と方法を導入した一冊と言える。
本書の面白さは、妖怪を実在すると仮定して、古く人間との関わりがどのようなものだったかを論じていくその構成にある。江馬は「妖怪」とは変化のことであり、「変化」とは妖怪のことであると説明する。いわく、妖怪とは「得体の知れない不思議なもの、変化はあるが外観的にその正体を変えたもの」らしい。
……だけど、小難しいことはちょっと脇に置いておこう。今回紹介したいのは『日本妖怪変化史』に記されている、これまであまり語られることのなかった妖怪たちの「履歴書」だ。
妖怪の履歴書
妖怪は男なのか?女なのか?
妖怪の「性(ジェンダー)」とは、出現時の姿のことを指している。
私たちがテレビや本で見たことのある妖怪には「雪女」とか「子泣きじじい」のように性別がはっきりしているものもいれば「ぬりかべ」みたいに男なのか女なのか分からないものもいる。
じつは妖怪が人の姿に化けて現れるとき、男の姿か女の姿かは時代によって変化する。
たとえば、室町時代以前には男の姿で現れることが多い。しかし応仁の乱(一四六七~一四七七)からは女の姿で現れるケースが増えてくる。その数、なんと男の姿の約二倍半。動物や植物、器物が化ける場合でも、たいていは女に変身する。これは男性よりも執着心の強い女のほうが愛恨を理由に出ることが多いからだ。
「影女」「毛女郎」「柳女」…近世では愛恨のために出る幽霊のほとんどは女だ。それは妖怪でもおなじで「白粉婆」「産女」などに代表される。
ちなみにこれは、個人(一人)で出た時のことを言うので、戦死した将士が一団となって出るような場合はべつだ。ちなみに女の姿で現れるのは、その方が男を丸めこむのに便利という理由もある。だから男子に化けて女を惑わす…という例はあまりないらしい。
妖怪の年齢
人の姿のときも妖怪のままのときも、彼らの年齢は中年くらいが一般的だ。
妖怪は白髪の老人ばかりかと思うが、そうとも限らない。言葉も話さないほどの幼い子であることも稀だ。幼児の姿で出る場合には、誰かに抱かれている状態であることが多いらしい。そして、中年の妖怪たちは「独立して出る」というのだから面白い。
妖怪の職業
妖怪の職業は、公卿、女官、武士、御殿女中のほか法師、山伏、力士、その他商工農など不明な者が多い。
妖怪のなかには、妖怪として職業を持つものもいるとの江馬の指摘には驚かされるが、坊主という職業をひとつとっても「青坊主」「野寺坊」「海座頭」などさまざまだ。しかし坊主は坊主でもその務めを果たさない妖怪もいる。
「垢なめ」はお風呂で垢をなめるのが仕事と言えば仕事だし、「油赤子」は油をなめ、「火消婆」は火を吹き消すのをライフワークにしている。お酒を買いに買い物帳と瓶を下げて走る「酒買い小僧」なんて妖怪もいて、これはよく働くご苦労な化け物といった印象だ。
妖怪の長所と短所
人の役に立つ(ようにも思える)妖怪もいれば、そうでないものもいる。それもそのはず。ご存知だろうか、妖怪にだってきちんと長所と短所があるのだ。
ちなみに、妖怪ならではの長所というのは、隠見自在(自分の体を表したり隠したりが自由にできること)や変化自在、飛んだり、馬鹿力なこと、不死であることや知覚が敏感ですぐさま人の心を察知できたりすることが挙げられる。
一見したところ無敵な妖怪の弱点とはなにか。
それは、呪文護符・祈祷念仏、刀や弓で妖怪を殺す勇士の存在だ。
不死の妖怪を殺せるのか?と現代人は思うかもしれない。これについて江馬は「勇士はたいてい妖怪変化を調伏することができる。が、相手が幽霊の場合においては、ことに怨恨を負うている場合においては、いかなる勇士といえども、これを撃退しることは困難」であると語っている。なるほど、どうやら幽霊は妖怪より無敵らしい。
妖怪の変化史は文化史でもある
『日本妖怪変化史』は、その名の通り妖怪変化の沿革を記しているのだけど、妖怪が時代によって異なることを記す「文化史」でもある。
江馬務は妖怪の現れる時代を以下のように分けて考察している。
神代、神武天皇(前六六〇)から仏教伝来(後六世紀中盤)まで。仏教伝来から応仁の乱(一四六七~一四七七)まで。応仁の乱から江戸時代の終わりまで。そして明治以降。しかし江馬の妖怪分析は明治維新で終わってしまう。
近代になると、人間と妖怪との関係性がひっくり返り、妖怪は「息を潜めて、人間を愚弄することは稀れなようになった」からだ。だけど江馬は妖怪が完全に消えてしまったとは考えていなかった。
妖怪の方から人間を見つけてくれなくなったというのは、どこか寂しい気もする。
(参考文献:江馬務『日本妖怪変化史』中公文庫BIBLIO、2004)