「歳寒三友図」。先達から突然この言葉を示されて、かつて無学者のあきみずは狼狽した。年の暮れだろうか、友が3人、寒空の下で顔を寄せ合って白い息を吐いているイメージが浮かぶ。が、これは一体何と読むのか、しかも図柄に人は見当たらない。もしや自分は見てはならぬ世界を垣間見てしまっているのではあるまいか――。
博識なかた、日本文化や中国文化に造詣の深いかたはご存知だろうが、この「三友」は人ではない。しかしこの世ならぬものでもない。
「歳寒三友」ってなに?
「歳寒三友」は「さいかんさんゆう」と読む。歳寒、すなわち「冬の寒さ」に耐える、三友「3種の植物」を指すが、2パターンある取り合わせのうちの1つは、いわゆる「松竹梅」である。ならば普通に「松竹梅図」でよいではないか、と思ったのは別にあきみずだけではなかろうが、より風情のある言い回しをするのがみやびで粋なのだろう。どうせこちとらミヤビでもイキでもないわえ。てやんでい。
もう1つの「歳寒三友」は、梅・水仙・竹である。松が水仙に置き換わっている以外は変わらない。
松竹梅はどうしておめでたい?
お正月はじめ、おめでたい席でよく耳にする「松竹梅」。定食のランク付けなどにも利用されているが、ではなぜ、これらがめでたいとされるのだろうか。
松は常緑樹である。雪を被りながらも緑を保つ冬の松は、周囲の白との対比が実に力強く、美しい。また、老松など長寿の象徴でもあり、結婚式の定番である『高砂』も、「相生(あいおい)の松」という仲睦まじい夫婦の松の精霊を描いている。
竹もまた常緑である。まっすぐに天へと伸び、しなやかで自在にたわみながらも、たやすく折れはしない。縦に割ると気持ちよく垂直に裂け、そこから「竹を割ったような、すかっとした性格」という言い回しも生まれた。
梅は寒中、他にさきがけて咲き、早春に芳香を漂わせる。一斉に花開く桜のような華やかさはないものの、その慎ましいあでやかさは古来より広く愛されている。
これら松・竹・梅は、冬のさなかにも緑を保ったり花を咲かせたりすることから、中国で「歳寒三友」と呼ばれるようになった。松竹梅の呼称より、現在では耳慣れない歳寒三友のほうが言葉の成立が早かったというのは少し意外である。別にみやびを気取っていた訳ではなかったらしい。知らねぇこととはいえ、アこりゃ失礼いたしやした。
日本にこの組み合わせが伝わって、吉祥の象徴とされはじめたのは江戸時代からだという。中国においては特段めでたいものとは看做されていなかったというのは、興味深いところである。
「歳寒二友」「歳寒二雅」「歳寒仙侶」もある!
「歳寒三友」には仲間がいる。かのアルファベットや坂道のグループと、発想の根本は似ているかもしれない。歳寒グループにも兼任があり、それぞれのユニットで日本画や陶磁器・漆器・刀剣の小道具などのモチーフに採用され、活躍している。
歳寒二友(さいかんにゆう)
梅と菊である。実際にこの2種の花を同時に見ることはあまりないように思うが、菊は品種によっては秋以外にも咲く。ただ、「心あてに折らばやおらむ初霜の おきまどはせる白菊の花」の和歌に見るように、菊は初霜の頃=秋の花といったイメージが強い。
現在の暦で見ると、菊は主に11月、梅は2月に咲き、本格的に寒さが厳しくなりはじめる頃と、寒さが終わりを告げる頃と、両端の花といった雰囲気の取り合わせである。
歳寒二雅(さいかんにが)
竹と梅である。松竹梅から「松」が抜けたものだが、松は雅ではないのだろうか……。個人的には、「二友」と「二雅」が逆であってもよいように思うのだが。
歳寒仙侶(さいかんせんりょ)
水仙・竹・梅とともに岩石が描かれたものをいう。水仙のほうの歳寒三友に岩があれば、この「歳寒仙侶」となる。ややこしい。
「仙侶」とは仙人の仲間、という意味で、「侶」は「伴侶」などにも使用される「連れ立つ仲間」を意味する漢字である。岩が仙人の棲む山を示しているものと思われるのだが、つまり岩石の有無で画題、すなわちその絵の示す意味が変わるということだ。ややこしい。
番外編・四君子(しくんし)
歳寒グループではないが、似たような発想からなる4種の植物、竹・菊・蘭・梅の取り合わせである。
君子とは、徳や礼儀を備えた、人の上に立つべき人物を言うが、これらの植物は草木のうちでそうした存在であるとする考えによるものである。
梅は全グループ掛け持ちする大人気アイドル!
既にお気付きのかたもおられるかもしれないが、歳寒シリーズのすべて、そして四君子にも梅が登場している。
今でこそ桜が絶大な人気を博しているが、梅は古くから我が国で愛されてきたセンター・トップアイドルである。歳寒三友の言葉が成立した中国においても梅は重要な地位を占めている。
和歌では「花」と「香」があれば梅を指す、とウン十年昔に古典の授業で教わったが、平安時代以前はむしろ桜より梅を好んでいたとも聞く。
菅原道真が祀られている太宰府天満宮の本殿前には、「飛梅(とびうめ)」と呼ばれる白梅がある。この地への配流が決まった道真が都を発つ際、「東風吹かばにほひをこせよ梅の花 あるじなしとて春を忘るな(春な忘れそ)」と詠んで別れを惜しんだ、それに応えるように京都から飛んできたとされる梅である。
和泉式部も、能『東北(とうぼく)』などに見られるように、梅を愛していたといわれる。梅は全国の天満宮のシンボルとなっているほか、多くの市町村の市花(木)となり、全国各地に梅の名所が点在し、加賀前田家など武家の家紋としても使用されている。
柏はいずこへ……
「歳寒の松柏(しょうはく)」という、苦境にあっても信念を変えず屈しないことのたとえはあるのだが、ユニット名としての歳寒シリーズになぜか柏は出てこない。松柏類といえば、古来長寿や子孫繫栄の縁起物であり、格式の高い樹木として盆栽にも多用されているはずなのだが。理由をご存知のかたがあればぜひご教授願いたい。
寒さの中にこそ
明けない夜はない、春の前には冬がある、などと言うが、なかなかどうして夜も冬もよいものである。身の安全を確保しつつ、冬のみやび、歳寒グループを存分に楽しんでみたい。