図絵師(ずえし)――。なんとも風流で、江戸情緒漂う小粋な響きだと思いませんか。読んで字のごとく、図柄や絵を描くことを生業(なりわい)とする職人が図絵師。名古屋在住の安楽雅志(あんらく・まさし)さんは日本で、ということは世界でただ一人の図絵師です。なぜ、断言できるのか。安楽さんが考案した呼称だからです。
安楽さんの描くイラストは雄大な鳥瞰図(空飛ぶ鳥の視点のような、高所から地上を見下ろしたイラストマップ、アイキャッチ参照)や似顔絵、看板、絵葉書など多種で多彩。ジャンルが異なっても、作品の数々には「昭和」色の濃いレトロな味わいがにじみます。その背景には何が潜んでいるのか。「画家」という呼称が生まれる前に職業的な描き手を指していた「絵師」とはどうちがうのか。安楽さんに、図絵師として心がけていることや手がけた作品の創作秘話などを伺いました。
安楽雅志さん。手に持っているのはホーロー引きの看板風に仕上げた味噌煮込みうどんのイラスト
絵柄と言葉、それぞれの力を融合した表現を求めて
――詳しいお話を伺う前に、これまでに手がけたいくつかの作品をご紹介ください。
安楽:そうですね。どんな絵を描いているかを知っていただいた方が話が早いですからね。まずは、鳥瞰図。これは長崎県島原半島のパノラマです。
次に、似顔絵。後で詳しくお話しますが、鳥瞰図も似顔絵も、着眼点は同じなんです。
そして、店舗の看板。業種は違っても、大体、こんなテイストです。
最後に、言葉遊びを凝らしたオリジナル作品。最近は絵本も手がけています。
――安楽さんが自己紹介で使っている図絵師ってなんですか。
安楽:以前は会社員として似顔絵やイラストを描いていたのですが、2017年に独立する時、自分の思いを込めた呼称はないかなと考えてひねり出したものです。で、確定申告の時の職業欄に「図絵師」と書いたらすんなり通っちゃいました。
――イラストレーターではしっくりこない?
安楽:きませんね。絵だけではない、言葉だけでもない、両方を融合した表現をしたかったからです。例えば、絵葉書って、きれいな写真だけではなくて、ちょっとした短い文章が添えられていますよね。その写真を絵に置き換えた創作活動をしたかったんです。
観光名所、天橋立(あまのはしだて)に見立てた「海老の橋立」
人の作ったものの売り買いよりも、好きなことで暮らしたい
――もともと、絵で食っていこうと思ってたんですか。
安楽:小さいころ、お絵かき教室に通っていたことはありますが、職業にしようとは思いませんでした。大学の専攻も美術系ではなく、中国文学です。ですから、卒業したら中国に関わる仕事に就けたらいいなと思っていました。日中貿易に関わる商社マンとかですね。
――ところがそうはならなかった。
安楽:中国には学生時代から何度も足を運んでいます。そのたびに、注文に応じて路上で細かな切り絵を作ったり、即興の文字を書いたりする人たちの実演をいくつも見ました。感動しました。人の作ったものを売り買いするより、こっちの方が面白いと思ったんですね。たまたま、ぼくの時代の就職状況は超氷河期と呼ばれたころで、非常に厳しかった。だから、好きなことで暮らしていこう、という気持ちもありました。報われないなら、貧乏でも、好きなことをしたほうが幸せだと思ったんですね。
絵柄や書体からにじみ出る昭和感。耳という漢字の中の3は耳の形にするなど遊び心も
似顔絵の極意は対象のデフォルメと省略のバランス
――安楽さんの仕事の柱の一つに似顔絵がありますが、それが図絵師としてのスタートですか。
安楽:中国で刺激を受けた切り絵の似顔絵を学園祭で披露したら思いのほか、受けたんです。それで手応えを感じました。なんだかんだで卒業直前にはイラストレーターとしてデビューしていましたね。だけど、それで食っていけるほど世の中は甘くない。カメラマンのアシスタントやイラストレーターの手伝いなどをしていました。そうこうするうちにショッピングモールなどで似顔絵を描くイベントを手がけている会社と縁ができた。「描ける?」「描けます!」みたいなノリで。その会社に身を置いていろんな仕事に関わるようになりました。
――地元を中心に精力的に仕事をされていますが、ジャンルも幅広いですね。
安楽:最初にご紹介したように、大きく分けると「似顔絵」「鳥瞰図」「看板・壁画」「広告用ポスター・テレビ番組用テロップ」「絵本・絵葉書・ステッカー」といったところでしょうか。
朝のワイドショーで使われた解説用フリップのイラスト
――今日の活動の原点でもある似顔絵を描く時のコツは。
安楽:デフォルメと省略のバランスです。第一印象で瞬時につかむ。パッと見た時にどこを強調してどこを捨てるか。その取捨選択が描き手のセンスだと思います。特徴をいくつも並べると、互いに打ち消し合うので注意しています。その点、米国の画家は遠慮しません。容赦なく描く。現地で開かれた似顔絵大会に出場する中で学んだことの一つです。
――実際にはどんな手順で仕上げるのですか。
安楽:まずは椅子に掛けていただいた状態で簡単な言葉を交わしながら、印象をつかみます。優しそうとか怖そうとかですね。大切なのはその印象を信じること。その上で、輪郭、頬、目の周りを描いていきます。その際にはできるだけ立体感を強調します。これも米国仕込みです。使う道具は基本的に筆ペンと水彩絵の具。要する時間はモノクロだと3分、カラーだと15分ほどです。
安楽さんの自画像的似顔絵によるワッペン
下調べに半年、制作に1年半を費やしたパリの鳥瞰図
――似顔絵と並んで力を入れてらっしゃるのが鳥瞰図ですが、すごく根気のいる仕事だということは素人でも分かります。この分野ってすごく特殊だと思うんですが。
安楽:鳥瞰図を好んで描く人はあまり多くないと思います。時間も手間もかかり過ぎて金銭的に豊かになるのか定かでありません。ですから、好んで描く方は珍しいのではないでしょうか。
――鳥瞰図との出合いは。
安楽:もともと地図が好きだったんです。で、色々と資料を集めているうちに、わが国における鳥瞰図の第一人者であった吉田初三郎氏の作品に巡り合います。1920~40年代に活躍された方で、主に観光マップを数多く描かれました。全国的に鉄道が敷かれ始めたころです。吉田氏の地図は線路網の拡大に伴って起こった旅行ブームの波に乗って評判になりました。
――現在の旅行ガイドやパンフレットの役目を担っていたんですね。
安楽:ですから、吉田氏は引く手あまただったし、当時は同業者もたくさんいたはずです。ところが時代が変わって需要が激減すると、描き手もいなくなる。いなくなると技能の伝承が途絶える。そんな時、たまたま、放送局から旅番組の地図を依頼されたんです。その時、吉田流で行こうと思いついて、見よう見まねで簡単な鳥瞰図を描いてみました。幸い、毎週依頼されるようになったので、描くコツが分かってきました。偶然にも同じ愛知県の小牧市に吉田氏の弟子の息子さんがいたので、興味深い話を聞けたのもよかったですね。
東京タワーを中心に据えた都内の鳥瞰図
――鳥瞰図って、ずっと眺めていても飽きない不思議な魅力があります。なんででしょうか。
安楽:舞台となる街を大きく捉えながら、日本を一つの土地として描いているからだと思います。少なくともぼくは、そういうスタンスで描いています。そもそも、地図は、その土地のことは分かるが、その周りの地域との位置関係が分からないことが多い。当たり前の話ですが、土地は切り離された一区画ではなく、つながっています。ぼくの創作では、それを表すのに心を砕いています。
――パリの市街を鳥瞰図で、というオファーもあったとか。
安楽:印象に残る仕事の一つです。ものすごい労力を使ったけれども、本当に勉強になりました。下調べに半年、制作に1年半、足かけ2年がかりです。他の仕事の合間に少しずつ描き進め、1日2~3時間をこのための作業に費やしました。そのぶん、依頼者に喜んでもらえたし、自分でも満足のいく出来栄えだと思っています。
足かけ2年がかりで取り組んだパリ市街の鳥瞰図
――新たな依頼を受けた後の流れは。
安楽:まず、依頼された土地の成り立ちや歴史を調べます。その上で何を主役にするか、見どころをどこにするかといったことを決めます。次に、土地の微妙な起伏の様子や建物の隙間感などを現地調査します。これには1~2日を充てます。そして、下描き⇒ラフ⇒より詳細なペン入れ⇒色付けへと進みます。ペン入れまでが手書きで、その先はPC作業。ポイントは幹線道路のあたりをつけて、その地図の主人公となる建物を中心に据えることです。そして、全体のメリハリをつける。そのためには、デフォルメと省略とのバランスを考えます。似顔絵を描く時の心がけと同じです。
地元書店の依頼で製作した横浜金沢文庫鳥瞰マップ
「懐かしく、インパクトがあり、ユーモアのあるイラスト」
――安楽さんの似顔絵はかなりポップな印象があるけれども、その他のジャンルは「初めて見るのに懐かしい」感じがします。どうしてなんだろうと考えてみると、昭和のテイストが強いからだと思うんです。特に絵葉書シリーズのクセがすごい。
安楽:根底には古いものへの憧れがあります。アンティーク感や中国のキッチュな雑貨の醸し出す雰囲気ですね。ですから、店舗の看板にも絵葉書にもそういうテイストを極力反映するようにしています。絵葉書では、日々の生活の中で思っていることをダジャレや語呂合わせ、ダブルミーニングなどの言葉遊びをふんだんに盛り込んでいます。絵と言葉との融合です。小さな1枚の紙にどれだけの意味を込められるか、どれだけ描き手のメッセージを訴えられるかが勝負です。
言葉遊びをふんだんに盛り込んだポスター
――ジャンルを問わず、創作する上でいつも心がけていることは。
安楽:どのような作品であれ「懐かしく、インパクトがあり、ユーモアのあるイラスト」を意識しています。お行儀よく言えば「暮らしに役立ち、地域発展を促し、日本文化を豊かにする」を活動の基本にしています。作品との兼ね合いで言えば、似顔絵は暮らしに役立つし、鳥瞰図や看板は地域発展を促すし、オリジナル作品は日本文化を豊かにするのに役立っているのではないかと思っています。
トリックアート作品
【ひげラク図絵社】