Culture
2020.04.10

江戸のテイクアウトとファストフード文化!?物売・屋台や寿司・天ぷらの販売方法も紹介

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毎日リモートワークが続き、自炊の回数も増えました。あぁ、そろそろあのレストランの味が恋しい〜! 新型コロナウィルスの影響で食生活のリズムや食卓の風景が一変したという人も多いことでしょう。かくいう私もそのひとりです。最近は、近所のレストランやカフェを応援したい一心で、平日の昼間はできるだけ弁当や惣菜のテイクアウトをするようになりました。

ポジティブに考えると、テイクアウトにはいくつか利点があります。例えば、複数のお店の味を一度の食事で味わえたり、気になってたけどなかなか入れなかったお店の味を知るチャンスにもなったり。何よりも料理したくないなぁという気分のときに頼もしい存在です。

さて、現代のテイクアウトに似た文化がかつての東京、江戸の町にも存在していたことをご存知でしょうか? 幕末の頃、江戸の町へやってきた海外の人は、町人たちの暮らしを見て「一歩も外に出なくても、買い物できるなんてスゴイ!」と驚いたそうです。まずは江戸のテイクアウト文化を引っ張る「物売り」の商売を覗いてみましょう。

歌川広重の作品。右下に出前や物売りの姿が描かれている

なんでも販売!江戸の物売りがスゴイ

古い文献や浮世絵に描かれた江戸の町を覗いてみると、実に多種多様な物売りがあふれていたことに驚かされます。

物売りとは、お客さんの近くへものを運んで売るサービス。石焼きいも屋や移動パン屋のような形態です。江戸の町には車も走っていないから「石焼〜〜きいも〜〜♪」のような謳い文句は、町中に響いたことでしょう。ところで車がない時代に、どうやって商品を運んでいたのか気になりませんか? 浮世絵を見てみると、天秤を担いだり、背負ったりと、とにかく人力で売り歩いていたようで、物売りが肉体労働だったことがわかります。

同じく歌川広重の作品。左下にいるのは八百屋や魚屋だろうか?

さらにはこの物売り、ホームセンターやスーパーもびっくりするほど、たくさんの商品をそろえていたようです。生鮮品や豆腐、飲料水など食料品のほか、漢方薬といった生活用品、金魚や朝顔、風鈴などの娯楽商材、さらには箪笥など家具を販売する者まで。当時は長屋で住む人も多く、台所や生活用品を確保できる広いスペースがなかったために、こうした物売りが発展したようです。

ここでは食料品の中から2つの物売りを紹介しましょう。

煮売屋

仕事でヘトヘトに疲れた平日の夜、スーパーの惣菜に、何度助けられたかわかりません。こんな需要を満たすためか、夕食の頼れるサポートとして人気を博した物売りがいました。その名も、煮売屋。魚や豆など、すぐに食べられる惣菜を販売するため、江戸の主婦たちも利用したそう。需要が高かった反面、夜間の煮売りは火災を惹き起こす危険性があったため、防火の観点から夜間営業を禁じる命令がたびたび出されたそうです。

納豆屋

最近スーパーへ行くと、納豆が売り切れています。調べてみると、発酵食品に体の免疫を強くする効果を期待できるとかで、連日入荷しても即完売の状態だそうです。日本人の食卓に納豆は欠かせない存在ですが、やっぱり江戸でも人気だった様子。「なっと〜〜なっとなっとう〜〜なっと!」という呼び声で町中を売り歩く納豆屋は、物売りの中でもメジャーな存在でした。「納豆と蜆(しじみ)に朝寝起こされる」なんて川柳も残っています。

現代のごちそうがファストフードだった

物売りのほかにメジャーだった食品の販売業態が屋台です。「蕎麦の屋台は時代劇や落語でなんとなくイメージできるぞ」なんて人も多いかもしれません。現代の屋台と大きく異なるのはそのサイズ。多くがひとりで担いで移動できるようなコンパクトなものでした。どうやらファストフード店のような感覚で、その場でササッと食べる人もいれば、テイクアウトする人もいたんだとか。現代では信じられないようなごちそうも、こういった屋台で売られていました。

寿司屋

銀座の一流店を想像すると、長い一枚板のカウンターに板前さんが立っているようなイメージです。しかし、江戸の寿司屋のほとんどは、屋台や物売りスタイルでした。喜田川季荘(きたがわきそう)が著した近世風俗書『守貞謾稿』によると、屋台の幅は六尺(約1.8m)、奥行きは三尺(0.9m)と人ひとりがやっと立てるスペースだったことがわかります。

喜田川季荘編『守貞謾稿(巻5)』。寿司の屋台が描かれている(出典:国立国会図書館)

定番のネタはコハダやマグロ。屋台のカウンターには大きな木箱の中に握られた寿司が並んでいて、お客さんはそこから好きなネタを選びます。(目の前に置かれた)共用のお椀に入っている醤油につまんだ寿司をちょっとつけて、その場でパクッと食べるのが主流だったそうです。ちなみに寿司は1貫あたり約130円。江戸の人々は、コンビニのおにぎり感覚で食べていたのかもしれません。

天ぷら屋

寿司と並んでごちそうに挙げられる天ぷらですが、江戸の天ぷらは庶民のファストフードの筆頭でした。価格は寿司1貫と同じく、1串で約130円。現代でいうところの「ファミチキ」などのポジションでしょうか(すぐにコンビニに例えたくなってしまいます……)。多くはアナゴや貝柱など魚介類を串に刺したもので、寿司と同じく壺に入った天つゆにつけて、その場で食べられていました。

なぜこんなにテイクアウトやファストフードが発展したのか?

このほかにも、甘い水(現代でいう清涼飲料水)などの物売りもいれば、茶屋ではお団子のテイクアウトができました。おやつまでお持ち帰りできるとは、江戸のテイクアウト文化おそるべし。しかしなぜ、こんなにも江戸でテイクアウトやファストフード文化が発展したのでしょう? その答えのひとつが、江戸の町の人口比率にありました。

テイクアウト文化が発展した江戸時代中期の江戸の町は、人口に占める男性の比率が高く、一部の上層階級の男性が女性と結婚するために、一般庶民の独身男性の比率が高い傾向にありました。さらに、既婚家庭も男女共働きの世帯が多く、外食やテイクアウトの需要が高かったそうです。独身と男女共働きの世帯が多い状況、現代の東京に似ていませんか? 江戸の人々も「はぁ〜今夜はごはん作るのも面倒臭いし、寿司のテイクアウトにしよ!」なんて呟いていたのかもしれません。

先人たちの暮らしに、現代の私たちが学ぶべきヒントや、共感できるおもしろさがたくさんあります。こんなときだからこそ、250年以上昔の日本人の暮らしに目を向けてみてはいかがでしょう。

アイキャッチ画像はイメージです。(出典:シカゴ美術館