2022年1月から2月にかけて、書家・金澤翔子さんの個展が東京・神田神保町の「UCHIGO and SHIZIMI Gallery」で開催されました。翔子さんはダウン症と診断されながら、10歳から母・泰子さんに師事し、以来筆を執り続けています。今回の個展のテーマは「天地創造の物語」。観るものを圧倒する翔子さんの書がどのようにして生まれたのか。母であり師である泰子さんと、どのように歩んできたのか。個展の企画に携わった和樂web編集長 セバスチャン高木が、母・泰子さんに個展会場で伺いました。
金澤泰子氏プロフィール(写真右)
1943年生まれ。明治大学卒業後、書家・柳田泰雲に師事。85年娘・翔子さんを出産。書家・柳田泰山に師事しつつ、翔子さんが10歳のときから書の指導に当たる。著書に『愛にはじまる』『天使がこの世に降り立てば』『翔子・その書』『涙の般若心経』など。久が原書道教室主宰。東京芸術大学評議員。日本福祉大学客員教授。
エゴがないからこそできた個展
セバスチャン高木(以下高木):語弊のある言い方かもしれませんが、今回初めて翔子さんの書をきちんと拝見した気がします。というのは、これまでやはりどうしても「ダウン症の書家」というフレーズが自分の中にあったんです。そうではなく、今回の作品ときちんと向き合った時、そのパワフルさに圧倒されたんですね。お母さまでもある泰子先生は、翔子さんの作品のパワーについてどう思いますか。
金澤泰子さん(以下金澤):書に限らず、すごいパワーなんです。
高木:実は翔子さんは書じゃなくて、音楽とダンスに本当に才能があると話しておられましたね。
金澤:はい。でも(感受性という意味で)根っこは同じだと思いますね。私が書道をやっていたから翔子も書をやっているというだけで。ただ、以前に古典をやってた時なんかは、もう書き間違いばかりで、才能があるなんて夢にも思ってませんでした。
高木:自由な書風というか。
金澤:自由というか私は翔子の書の欠点も分かるので、周囲の方からは「お母さん、それほど厳しくなくても」と言われるほど、最初は基本を徹底して続けていました。でも翔子は、記憶する力はそれほどない。嫌というほど繰り返した「如是我聞」の四字も、ある時私が書いていたら「何それ?」って(笑)。
高木:忘れちゃってた(笑)。でもそれがすごい才能ですよね。僕も含めてやっぱり「忘れられない」から「自分」が出ちゃう。けれども翔子さんの場合、「自分」というものが……
金澤:ない。エゴがないんですよね。だから筆や紙やその時の状況によって、常に違う書体ができている。なんていうんでしょう、やはり自由なんですよね。
高木:例えば今回の個展でも、「山」の字(冒頭の写真、3人が囲んでいる書)を見た時、本当に山がそのまま表れてるような、翔子さんに山がのりうつっているんじゃないかという気すらします。今回翔子さんの個展を企画させていただくとなった時、最初に思いついたのが「天地創造」というテーマだったんですが、翔子さんじゃないとできないと思ったんです。ある意味で畏れ多いテーマかもしれないけれど、エゴがないからこそ、旧約聖書の神様の依り代(よりしろ)になれるんじゃないかなと勝手に思ってしまって。すごい大役を演じていただきました。泰子先生はこのテーマにどんな印象を持たれました?
金澤:やはりすぐに『旧約聖書』が浮かびましたね。すごく良いテーマだと思いました。これまでに書いた作品の中からテーマに合うものを選んで並べましたが、「天地創造でやるから書いて」と言われていたら、とても書けなかったかもしれませんね。
高木:最初に先生のところに伺った時、旧約聖書における「光あれ」という言葉は、翔子さんの書の中では何が該当しますかと尋ねましたよね。僕は何か点のようなものかなと想像していたですけれども、泰子先生は「漢数字の一」とおっしゃって。だから今回「光」の書と「一」の書を並べました。
金澤:展示も立体感があってすごいですよね。天井にも書を飾ってくださって。こんな展示の方法は初めてでした。「風」の隣に「雨」があって「雲」もあって……すごい発想ですし、これほどテーマをきちっと定めて個展をしていただいたのは初めてだと思います。
苦しみの中で始めた書道
高木:翔子さんの書は、もはや書を超えてると思っているんです。書風がなくて自由だとおっしゃっていましたが、こうした自由な展示の仕方をしても、全然負けない。書が持つパワーを考えれば、これぐらいの強いメッセージ性のある展示じゃなければだめだと思いました。でも、このパワーの元になったのは、翔子さんが10歳の頃、泰子先生と苦闘していた時代にあるんじゃないかと。
金澤:そうですね。全てがそこからですね。
高木:何を書かれたんでしたっけ?
金澤:般若心経ですね。262文字かな。全部難しい字です。きちんとすべて写経するのは本当に難しいんです。それを少なくとも10組は書きました。それ以外にも失敗したものもたくさんあるんですけども、今見直すと、「字の黎明期」みたいなのがあるんですね。まだ未完成だったところから、何回も繰り返していくうちに般若心経を一枚ちゃんと書けるようになって、その中で持続の力がついて。
ただね、私が翔子に書を教えようとしたこともないですし、やらせたいとか、そういう気持ちはまったくなかったんですよ。今思うと「天に仕組まれていた」と思うことがあるんです。翔子が障害者として生まれ、どうすればいいんだろうという悩みから始まって、今一応は書家となって、みなさんに評価していただいて、支持していただけるようになったこのプロセスを振り返ると、誰かに「仕組まれていた」としか思えないように感じるんです。
高木:振り返れば道に見えるものも、当時は全然道じゃなかった。
金澤:道なんか全然見えないですよ、まさか書家になるなんて思えるような心境じゃなかったです、本当に。何か立派な、秀でた人間になるなんて夢にも思わないです。
高木:泰子先生は何かの本で、その時二人は暗闇の中に閉じ込められていたようで、書を書くことで一本の光が見えた、と話しておられましたね。
金澤:はい。苦しかったから、書をやったわけです。他にやることを見つけられない。苦しんでいるときに筆を執って、そこに光が見えたような気がしたんですね。苦しくて、学校も行かないで、周囲から隔離されて、孤独の中で二人で書をやっていた。あのときに般若心経を書いていなければ書家にはならなかったです。あの時基本を繰り返したこと。そこで翔子に楷書の基本ができたんですね。それがやがて光に、書家になる道になっていったわけです。
高木:僕もその頃の般若心経を見たんですが、胸を打たれました。
金澤:ただね、あのときの書は、書家としての「正しい線」が一本としてないんです。私の師匠に当たる人はかなり厳しくそのことをおっしゃっていました。
高木:いわゆる書道家のセオリーからは……
金澤:見事に全部外れてる。よく見ると四つの点が五つあったりとか、めちゃくちゃなんです。一字が大きいために、次に続く字がちっちゃくなったり。でもバランスとしてはでき上がっている。翔子にはそういうバランス感覚に長けた能力があるのかなと思いました。
高木:一行だけを見ると形にはなっていなくても、全体ではバランスが取れている。
金澤:そういうことが多いんです。なぜかできちゃってる。
「翔子はダンスと料理の天才」
高木:先ほど翔子さんがストリートピアノを弾くところも動画で拝見しましたけど、あれは誰かに習ったわけではないそうですね。
金澤:本当に少しだけ5歳か6歳のときにバイエルをやろうとしたんですが、やめてしまいました。私も翔子がピアノを弾くなんて知らなくて、動画を撮った人が送ってくれたのを見て、私もびっくりして。あんなふうに弾けるなんて。
(隣に座っている翔子さんに向かって)翔ちゃん、あのストリートピアノは何であんなに弾けたの?
翔子さん:知らんうちに。勝手に。
一同:(笑)
高木:それって書を書く時も一緒ですか? この「山」を書いたときは何を思ったんですか?
翔子さん:富士山。
金澤:ずいぶん荒れてる富士山ね。
高木:でも富士山にしか見えなくなるね。
翔子さん:風も書いた。
金澤:そうね。「風」の字は優しい感じで、ああいう「雨」だったらピアノの音が聞こえてきそう。
高木:そうですね。やっぱり書にしてもピアノにしても何か降りてきてる。
金澤:ダンスもすごいです。同じ根っこみたいなところから来ているのかもしれない。感受性みたいな。
高木:書のセオリーには合ってないかもしれないけれど、「表現方法としての書」がある。
金澤:お料理もそうなんです。私は天才的だと思っています。YouTube(金澤翔子公式チャンネルのこと)のタンドリーチキン見てみてください。計りもカップも使っていないのに、本当においしいんです。私も作ったことないのに。
高木:翔子さんの才能を我々は偶然「書」の中に見ているだけなんですね。泰子先生がダンサーだったら今頃はもう世界的なダンサーに。
金澤:そう思いますね。ただ、その代わり数列が分からない。だから社会の構造もわからない。右脳の「魂」だけ。「無一物中無尽蔵」(注:人間は無一物が本来の姿なのだから、それに徹したとき、逆に一切が無限に現れる自在の境地が開けるという意味の仏教語)と先日書きましたけど、「何もない心」ってすごい。翔子にあるのはただ一つだけ。「喜んでもらいたい」ということ。それだけでやってる。誰かに何かをあげるのが好きなんです。
高木:仏教で言うところの「空(くう)」ですよね。入ってきたものを増幅してバッと出すような。だから書もさまざまな形があるのかもしれないですね。
金澤:私ね、この子に言語障害があることが「天の恵み」だと思うんです。普通の人の観念を通さないで「無」というか「空(くう)」というか、数列が分からないことでお金が分からないし、そうすると欲望が持てないわけですよ。社会で偉くなりたいとか、お金持ちになりたいとかが分からない。私たちだったらいろんなことのバランスだとか、そんなことを考えちゃいますよね。欲望がなければそれを考えなくていいんですよ。
高木:「何かを成そう」みたいな感覚があったら、あの「山」の字は絶対書けないですよね。
お子さんのこと、一度全部諦めなさい
金澤:ただね、自由な書でも、基本は踏まえているんですね。何千字も書いたことで、やっぱり基本だけは体が覚えてる。私に叱られながらでしたけれども、でもあの時翔子は私をたすけたかったのだと思うんです。私が生きることに苦悩しているときに、自分が書をやることで「母親が救われている」と翔子は分かったんです。母親を喜ばせようとして、筆を執っているという気がします。周囲は「おかしい」「変な子」だと思うかもしれないけど、私にはそれがよく分かります。
高木:翔子さんは翔子さんのロジックに従っている。
金澤:そうですね。それが社会に合わない。
高木:でも、周囲に合わせられないことで苦しんでいる方って世の中に大勢いるわけじゃないですか。そのことを思うと、泰子先生と翔子さんに、ある意味救いを求めに来ているのかもしれないですよね。
金澤:翔子が障害者であることの中に私自身が救いを感じたのは、「社会に合わせる子にしなくていい」ということでした。学校からも拒否されたし、つまり学歴が重視される社会からは弾かれた。でもそのことで「好きな道を行っちゃっていいんだ」という救いになった。結局、全部諦めたんです。一回諦めることですよ、子育てというのは。社会的には何にもなれなくても、一人で生きていけるようにしていこうと。だから、お料理などをできる環境を作ってきました。
子育てで悩んだお母さんたちが相談に来られるんですが、私は「一回諦めなさい」って言うんです。「あなたのお子さんのこと、一度全部諦めなさい」って。翔子と私は諦めざるを得ない状況だったけれども、「諦めること」から出発すれば、「全部オッケー」「全部大丈夫」に誰だってなれる。
高木:確かに本来はその人その人のロジックがあるはずですものね。
金澤:この子は一人っ子で、兄弟と比べられることもなかったし、学校でも試験を受けたこともない。だから競争心が養われなかった。この競争社会の中で競争心が養われなかったことは、とても貴重なことでした。
翔子はお月さまに向かって話をするんですね。翔子を見ていて思うことは、社会の埒外にいるからこそ、この子は自然本来の摂理の中で生きているということです。そこでは全部が肯定されている。誰も否定されない世界。すべてが肯定されて「全部大丈夫」になっている。人は本来、誰もが肯定されるべき存在なのに、勉強ができないから駄目だとか、そう言うお母さんやお父さんが本当に多いんです。だから私は「お母さん、生きてるだけで大成功じゃないですか!」って言うんです。
書で人々が救われていく
高木:人生100年の時代に学歴が生きるのってせいぜい50代くらいまでですしね。平安時代の人々って自然と対話します。月を観て歌を詠んだり、その自然の風景に自分の心を託したりする。そういうことが今はできなくなっていますよね。
金澤:翔子が小さい頃「何になりたい?」と聞くと「三日月になりたい」って言ってたんです。月は自分で輝いているわけではないでしょう? 太陽の光を反射して輝いている。翔子も、書をやる以前は新月のように真っ暗でした。爪を噛む癖もひどくて。きっと存在を認めてもらいたかったのだと思います。それが二十歳で個展をさせてもらって、それも苦し紛れにやった個展でしたが、「翔子ちゃんすごい」って皆さんに拍手をしてもらって。そしたら爪噛みがやんだんです。翔子も皆さんの応援を浴びて、だんだんと高く昇ってきて、三日月……満月にはまだなれないけども、みなさんに照らしていただいていると思います。
高木:いろんな人に照らされているって、いいですね。
金澤:本当にそうです。だってこれ、「変な字だ」って言われたらそれでおしまいじゃないですか。私からお仕事を頼んだことなんて一度もないのに次から次にお仕事を頂いて、そのことがとてもありがたくて。いつも「嬉しいね」って言って。救われるんですよ。
その一方で、翔子の書を見に来てくださった、障害がある子供たちの親御さん方が翔子の字の前で泣いて泣いて……。目の前で救われていく。そんな気がして、それがまた嬉しくて。誰かを救えるということは、翔子のすごい才能だと思ってやってきました。
高木:僕も仕事柄いろいろなアートを見ていますが、本当にすごい字だと思います。この「山」と「風」……もちろん書家としても素晴らしいと思うんですが、「書家」という括りから外れていいんじゃないかと。現代アートとしか思えないです。
金澤:そうですね、書家の括りからはちょっとはみ出しちゃってます。
高木:でもこの「花」なんて、ちょっと良寛さん(江戸時代後期の曹洞宗の僧侶。書の達人として知られる)みたいな書風を感じます。でも良寛さんのような字って、書こうとしても書けないじゃないですか。狙うと臭くなっちゃう。それを自然に書けるのはすごいです、本当に。
金澤:作為がないのがいいのかもしれませんね。
高木:翔子さんが知っている「空(くう)」の世界を、おそらく私たちは書を通してしか見ることができない。だからやっぱり、翔子さんにはこれからも書いていただきたいです。次のステップと言っては失礼かもしれませんが、大自然の中に「山」や「風」の字を架けたり、東京の五色不動それぞれに般若心経を奉納して飾ったり、桂離宮に「月」を飾ったり、壮大なスケールのインスタレーションもやってみたいですね。
金澤:すごくおもしろそうですね。
高木:ぜひ実現させましょう。