クラフトビール造りに必要なのは、良い素材とビール造りへの情熱、そして地域への思い。そんなことを感じさせてくれるのが、滋賀県蒲生郡日野町に誕生したヒノブル―イング。生まれた場所も年代も違う3人を引き寄せた場所が日野町であり、3人を強く結び付けたのが日野祭でした。クラフトビールを支える地域の魅力とそこに賭ける人々の思いを追いました。
昔も今も!商売の基礎を作った近江商人の精神が息づいている
日野町と聞いても「どこ?」と思う人は多いはず。でも「近江日野商人」発祥の地と言われたら、ピンと来ますよね。滋賀県蒲生郡日野町は、室町時代に蒲生氏によって開かれ、約400年以上にわたって繁栄が続いた町です。江戸時代、近江日野商人は全国に名を轟かせるほど商売の礎を築き、「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」の「三方よし」の精神で商売の真髄を打ち出しました。
過疎化の日野町に引き寄せられた3人の出会いがすべての始まりだった
この町に生まれ育った田中宏明さんは、江戸時代から代々続く酒屋の6代目。大学卒業後、大阪や京都で働いていましたが、Uターンを決意し、現在は実家の酒屋である「酢屋忠本店」を継いでいます。日野町と日野祭をこよなく愛する田中さんは、過疎化する地域を目の前になんとかして町の活性化の手伝いができないかと考えていたといいます。
ヒノブル―イングで醸造家としてビール造りに情熱を注ぐショーン・フミエンツキさんは、ポーランド出身。アメリカで知り合い、結婚した奥様の出身地がここ日野町だったという巡り合わせで、2010年に日野町に移住。家を建てた地区が蒲生氏の氏神である馬見岡綿向(うまみおかわたむき)神社の氏子地域であることから、必然的に祭りに参加することになったのだそうです。
そして、ブランディングや広報を務めるロンドン生まれのトム・ヴィンセントさんは、ロンドンの美大に進学後、アメリカに留学。そこで知り合った日本人と一緒に来日し、日本文化に興味を持ち、1996年に日本に移住。日本の地域や企業の魅力を伝えるクリエイティブディレクターとしても活躍しています。仕事で地方を回るうちに、ここ日野町にある近江商人の旧邸宅を気に入り、2017年に日野町へと移住してきました。
商業発祥の地とも呼べる日野に引き寄せられた3人が、いつしかビール造りの夢を語り合うことになります。そこにはドラマさながらのストーリーがありました。
伝統の祭りの灯を消さないために、立ち上がった3人のブルワー
――日野祭に関わったことで3人は知り合われたのですよね。みなさんにとって祭りって何でしょうか。
ショーン:初めて祭りに参加した時、みんなが一緒に頑張っていて、力を合わせて日野祭を盛り上げていた。それがすごく楽しくて、感動したんです。みんなでお酒を飲んで、仲良くなって、そこから祭りにはまっていきました。
トム:祭りは行事ではなく、コミュニティそのもの。年代も立場も関係なく、一体感を得られる。伝統を引き継ぐということは義務もあるけれど、町が一つになれる力を持っている。それが祭りの持つパワーだなと思います。
田中:2017年にトムさんが僕と同じ地域に引っ越してきて、すぐに祭りの練習に参加してくれたんです。お囃子も2週間ぐらいで覚えてくれて、みなすごく感激した。ショーンとトムさんは日野に馴染んでいるし、僕より日野に知り合いが多い(笑)。祭りって人と人を繋ぐ力があるように思います。
――祭りがある意味、壁をとっぱらってくれたんですね。そこからビール醸造へと、どうつながったのでしょうか。
田中:日野祭が終わった後、トムさん家に集まろうということになって。そこで初めて僕はショーンと会ったんです。その時にトムさんから「これからどうしていきたいの?」と聞かれて、僕は酒屋なんで「お酒を造れるようになりたい」と話したんです。
ショーン:僕はアメリカに留学時代、醸造キットを買って、6年ぐらいホームブリューイングをしていたんです。出身のポーランドでも醸造の研修を受けている。だからビールなら造れるよと話しました。日本の小さい酒蔵が造るみたいに、ビールもその土地のもので造れたら面白いんじゃないかなと思ったんです。
田中:日野祭って、昔ながらの風習で、年配の人たちは朝から茶碗で日本酒を飲むぐらいお酒が強くて。でも若い人たちは、それについていけないところがある。ここで軽く飲めるクラフトビールがあれば、若い人たちも楽しめるんじゃないかと思ったんです。それで神社の宮司さんに相談したら、そもそもお祭りの意味は五穀豊穣を祈願すること。地域の恵みに感謝して、地元で採れた農作物でそれを加工したお酒を奉納するのが本来の形なんだから、ぜひビール造りやってくださいと背中を押してもらいました。
クラフトビール醸造家だったショーンさんを中心に、この町ならではのクラフトビールを造ろう! と盛り上がり、動き始めた3人。具体的な実現へと向かえたのは、それぞれの役割がはっきりしていたからでもありました。会社の設立や全体的な経営マネージメント、商品企画などは田中さんが、ビール醸造に関してはショーンさんが、ブランディングやデザイン、広報関係はトムさんが請け負いました。日野を盛り上げるためのクラフトビール会社だから名前も『ヒノブルーイング』と名付け、ロゴマークになっている『ヒノシン』は、馬見丘綿向神社の神の遣いである猪と日野町のヒノにひっかけたもの。
祭りに合うビールを造る。それが自分たちのミッション
ビール造りを始めるにあたり、当初は田中さんの実家の横の倉庫に醸造所を造る計画が進んでいました。ところが、地ビール造りをしていた滋賀農業公園『ブルーメの丘』を訪れると、ビール醸造を休止していて、機械も使用されていないままの状態だったそうです。ビール造りを始めるなら、ぜひここを使ってほしいと申し出があり、そこから一気に計画が進みました。仕込み水もブルーメの丘内にある井戸水から浄化した水を使用できるなど、やはり3人には、お酒の神様がついていたのではと思います。こうして2018年にヒノブルーイングは醸造を開始しました。
――日野で造るビールなのだから「祭」が基本コンセプトになったんですね。
ショーン:日野祭には「ヤレヤレ、ドントヤレ」という掛け声があって、祭の日はその言葉だけで友達になれるし、その言葉だけで過ごせる(笑)。それで僕たちが造るならこの掛け声をビール名にしようと。「ヤレヤレエール」のヤレヤレ~は、まさに景気づけだから、ビールもごくごく飲めるフレッシュな味わいを楽しめるエールにしました。「ドントヤレ」は香ばしさとはちみつの甘さを活かし、ホップを大量に使って造るIPA(India Pale Ale)という種類で、通常のエールよりコクを大事にしました。「クダリスタウト」は、「下り(略称)」という日野祭で曳山が神社から町内に戻る時のお囃子にひっかけて、クールダウンするように、コーヒーを使った黒ビールにしました。普通の黒ビールは重いんですが、これは軽めに作ってあって、〆のビールをイメージしています。
田中:こういうストーリーのあるビールが面白いかなと思ったんです。ビールを通して伝えたいこと、僕たち3人だからこそできるミッションやコンセプトを考えました。日野祭って人材不足で、神輿の担ぎ手もいなくて、バイトで担ぎ手を雇っているのが現状なんです。それなら、僕たちがビールを造ることで、日野祭に来てくれる人を増やしていこうと。一度、町を出た若い人たちがまた町に戻ってきてくれるようなビールを造ることは、僕たちだからこそできることだと思ったんです。
地域活性化を担うブルワリーの挑戦
ヒノブルーイングのオリジナルビールは4種類だけで、それ以外はOEM(※)で20種類ぐらい請け負い、ビールを造っているそうです。そこには、各地の祭りにあったビールを造ることで、その町を元気にしていきたいという3人の思いがありました。
田中:それぞれの町の祭りの特徴に合わせてビールを造れば、OEMとして売ってもらえるし、僕たちも違うチャンネルを持つことで宣伝にもなります。例えば滋賀県の江州音頭(ごうしゅうおんど)っていう面白い盆踊りがあって。郷土芸能のような踊りで、踊りと唄いがセットになっていて、唄いの部分はラップみたいなんです。そこの協会の人と一緒に江州音頭ビールを造ろうということになり、若い人にもアプローチしてみんなが楽しめるビールにしました。現在、いろいろなビールを造らせていただいているんですが、全国の人たちがビールと祭りを通して地域を活性化していく力になれたらな、と。「このビール飲めるなら祭りに行くわ」という人を増やしていきたい。
トム:地域活性化にはやはり元気な企業が必要。田中とショーンが家業を継いだり、起業することで、仕事が生まれ、人が集い、活性化していくんだと思う。そういう場を作ることが町のためにもなり、そのためのブルワリーでもあるんです。
※自社で製造した製品を自社ブランドではなく、他社のブランドとして販売すること
滋賀県以外の人たちにもヒノブルーイングの面白さを知ってもらいたい
――みなさんの活動範囲は全国へと広がっているんですね。そういう人たちが滋賀に来てくれるようになるといいですよね。
田中:東京の下北沢で初めてイベントした時に、日野祭の音頭を流して、「ヤレヤレ~」とやっていたら、「日野祭に行ってみたい」という人たちがいて。本当に神輿を担ぎに10人ぐらいの人が来てくれたんです。バイト代払って神輿担いでもらっていたのに、東京から来てくれるという人がいるなんて、とみな歓迎して、受け入れてくれた。地元の人にとっては、じいちゃんたちの昔ばなしは聞き飽きているんですが(笑)、東京の人たちは新鮮で面白がってくれて、みな、テンションが上がりました。ショーンの友達もアメリカから来てくれたよね。
ショーン:ハッピを着て、祭りに参加して、神輿を担いでました。全然帰ってこないなと思ったら、知らない家に上がって飲んでいたり(笑)。信じられないようなことが起きていた。みんながもてなしてくれるんだけど、外国ではいきなり知らない人をもてなすなんてことはないから。彼が日本のあちこちを観光して帰る時に、どこが良かったか聞いたら、「日野」と言ってくれたんです。どれだけお金を出しても、あんな経験はできないし、すごく良かった。忘れられないと。それが僕もすごく嬉しかった。
田中:この楽しさを知らないで町を出てしまう人たちに伝えたい。祭りって面白いし、日野町は最高だよって。
胸の熱くなる話に、取材班一同、感激してしまいました。クラフトビールを造ることで町の持っていた歴史や文化が新たな形で花開いたのです。そして、人との繋がりが薄れている今、国籍も年齢も超えて、笑いあえる時間はどれだけ貴重なことなんだろうかと。その時間を共有できる日野のクラフトビールは地域の魅力をさらに広げてくれる気がしました。
ヒノブルーイング株式会社
【本社】
滋賀県蒲生郡日野町大久保730番地
【醸造所】
滋賀県蒲生郡日野町大字西大路843 ブルーメの丘醸造所敷地内
公式サイト:http://hinobrewing.shop8.makeshop.jp/
Instagram:https://www.instagram.com/hinobrewing/
連載 滋賀県クラフトビール巡り
第1回 クラフトビール、今なぜ人気?滋賀・長濱浪漫ビールの若き醸造家に魅力を聞いてみた
第2回 「井伊の赤備え」をイメージしたレッドエールも!荒神山の麓でサステナブルなビール造り『彦根麦酒』とは
第3回 祭りをビールで表現!?滋賀県日野町の伝統を守るため、現代の三銃士がクラフトビールに挑む!