鴻巣七騎(こうのすしちき)。なんだかかっこいい響き。
戦国時代に現在の埼玉県にあった岩付(いわつき)城主太田氏に仕えて活躍した武士たちのことをいいます。現在の北本市周辺に領地を持っていた彼らが、有事のときに主の元へと駆けつけた道が、北本市の東側を通る岩槻街道*。
埼玉県北本市を歩いて歴史をひもとく連載「北本奥の細道」。3回目は鴻巣七騎の息吹が残る、岩槻街道を歩きます。ナビゲーターは北本の地域史に詳しい磯野治司さん、写真撮影は北本出身の和樂webスタッフとま子さんです。いざ、出発!
大河をめざせ!鴻巣セブン
岩槻街道を歩くその前に、鴻巣七騎のメンバーをご紹介しておきましょう。
1.大島大炊助(おおしまおおいのすけ)・大膳亮(だいぜんのすけ)【北本市宮内・古市場】
2.深井対馬守景吉(ふかいつしまのかみかげよし)【北本市深井】
3.小池長門守(こいけながとのかみ)【鴻巣市鴻巣】
4.立川石見守(たちかわいわみのかみ)【鴻巣市下谷】
5.加藤修理亮(かとうしゅりのすけ)【北本市中丸】
6.河野和泉守(こうのいずみのかみ)【鴻巣市常光】
7.矢部某(やべなにがし)【鴻巣市下谷】
8.本木某(もときなにがし)【桶川市加納】
彼らが活躍したのは、相模国(神奈川)を支配していた後北条氏の北条氏康・氏政と、越後(新潟)の上杉謙信、甲斐(山梨)の武田信玄らが関東の覇権を争った時代です。その睨みあいの中心ともいえる武蔵国を駆け抜けていたのが鴻巣七騎。
埼玉がNHK大河ドラマ「青天を衝け」の舞台となった2021年。もしも次に埼玉が大河の舞台になるとしたら、主役は彼らだったりして。本木某は俳優の本木雅弘さんのご先祖様にあたるといいますから、ビジュアルのイメージもふくらみます。
ところで7人より多い、そうなんです。途中メンバー交代などがあったのでしょうか、鴻巣七騎として伝えられている人数は7人に限りません。また、住んでいた場所なども諸説がありはっきりとはしませんが、北本市の東側一帯と桶川市の東部、鴻巣市の南東部を含む、戦国時代に「鴻巣郷」と呼ばれていたあたりに所領を持っていた在地武士(地侍)だったと伝えられています。
ミステリアスな鴻巣七騎たち、その素顔に迫ってみましょう。
鴻巣七騎の一人、深井氏が眠る寿命院
まず訪れたのは北本市の北東、深井地区に古くからある寿命院です。「深井の大寺」と呼ばれるここには、鴻巣七騎の一人だった深井対馬守景吉をはじめ、深井氏歴代の墓が並んでいました。
深井氏は桓武平氏の流れをくむ白井長尾氏を祖先に持つ、中世のブランド力のある武士です。深井景吉の子孫も出世を遂げていて、中でもひ孫にあたる松平信綱は川越藩主ならびに江戸幕府3代将軍徳川家光の側近として、幕府の老中首座をつとめました。他にも、子孫が津藩(現在の三重県)や高崎藩の家老をつとめたという記録があります。
寿命院 基本情報
住所:北本市深井4-55
電話:048-541-1635
武蔵三之宮ここにあり、宮内氷川神社
岩槻街道を南へ歩いて次に立ち寄ったのは、大島氏の領地だった宮内地区にある氷川神社です。昔は6000坪もの広大な敷地を誇り、江戸時代後期の1827(文政10)年にはその由緒の古さから武蔵三之宮に認められたという記録があります。村の鎮守様としては立派すぎませんか!?領主だった大島氏の存在の大きさが感じられます。
宮内氷川神社 基本情報
住所:北本市宮内4-136
電話:048-594-5566(文化財保護課)
幻の館跡を探して
住んでいた場所も、名前さえも正確には伝わっていない鴻巣七騎ですが、実は大島氏の館があったとされる場所が、これまでの調査で見つかっています。宮内の氷川神社からさらに岩槻街道を南へ歩いたところにある、古市場の上手(うわで)館跡。江戸時代後期に書かれた『武蔵志』に「古市場に古塁あり」と記述があるものの、長い間その詳細は不明とされていた土塁が、昭和63年頃の調査で発見されたのです。
また、最初に訪れた寿命院(深井氏の菩提寺)の北側からは、平成30年から行われた発掘調査で幅7m、深さ1.6mもの堀跡が見つかりました。昔は寿命院を含む一帯がお堀に囲まれていて、そこに深井氏の館のひとつと伝えられる「対馬屋敷」があったのではと推測されています。
ところで、地元の領主として立派なお屋敷に住んでいた彼らですが、戦の他にも大変な仕事を任されていたみたいです。
武蔵野の荒野をひらいた開拓者でもあった
鴻巣七騎の一人だった大島大炊助は1559(永禄2)年、当時の岩付城主太田資正から「深井氏と協力して百姓を動員し、郷内の荒野を開発するように」と書状で指示を受けています。
いくら戦をして領地を増やしても、その土地が荒れていては農作物は育たず、食べていくことができません。在地武士はいわば戦国時代の中間管理職。ときに戦国大名の支配争いに馳せ参じる兵(つわもの)であり、ときに荒野の開拓者でもあったのです。
戦国大名のようなスーパースターではない鴻巣七騎が、ドラマの主役になることはないかもしれません。けれども彼らの姿を想像しながら岩槻街道を歩くと、アスファルトの遠くに駆ける騎馬の土煙がたつような気がするから不思議です。
当たり前ですがこの世界を作ったのは、歴史に名を残すような人々だけではないのです。知らなかった戦国の情景が見えてくるような気がした、北本奥の細道でした。
「連載 北本奥の細道」
第一回 東京へ向かうのになぜ“下り”?埼玉県北本市「中山道」謎を紐解くぶらり旅
第二回 0歳の赤ちゃんが富士山にのぼる?江戸時代から続く初山参りと浅間山信仰
第三回 武蔵国を駆け抜けた鴻巣七騎とは?岩付太田氏と家臣団をつなぐ岩槻街道を歩く