これまでのあらすじ:和樂webで令和4(2022)年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の企画記事を執筆していた三浦胤義(みうら たねよし)botは、ある日畠山重忠(はたけやま しげただ)botから誘いを受ける。
重忠:(2022年)9月18日のトークショー&パブリックビューイングに、深谷市から誘われたんだが、私と重保(しげやす)と、一緒に行かんか?
胤義:えっいいの!?
重忠:うん。深谷市から「胤義さんも是非に」と。
胤義:ええっ! 畠山父子が深谷市から把握されているのは当然だけど、オレの存在まで深谷市から把握されてんの!?
重忠:いや、検索上位に来る記事とか書いていて、逆になんで把握されていないと思った?
というわけで、畠山重忠の出身地である深谷市から、大河公式イベントに誘われた、Twitterなりきりbot界の三浦胤義と畠山重忠・重保父子の珍道中の始まり始まり~。
登場人物
三浦胤義:相模国出身の鎌倉御家人。三代将軍・源実朝(みなもとの さねとも)に仕えていた。三浦義澄(みうら よしずみ)と伊東祐親(いとう すけちか)の娘の子。三浦義村(みうら よしむら)の同母弟。妻が鎌倉一の美女。
畠山重忠:武蔵国出身の鎌倉御家人。史実イケメンで怪力の持ち主。馬愛がすごい。母は三浦義澄の姉妹で、胤義とは従兄弟設定。
畠山重忠とは?人物解説!中川大志が演じる男は本当にイケメンだった?【鎌倉殿の13人予習シリーズ】
畠山重保:畠山重保の嫡男。母は北条時政(ほうじょう ときまさ)の娘。やはりイケメン。胤義とは同年代で、仲の良い友達設定。
*3人とも当時の事を見て来たかのように語っていますが、そういう設定なんだなと思ってください。
畠山重忠ゆかりの地
夕方から始まるトークショー&パブリックビューイングを前に、周辺の重忠ゆかりの地をめぐる事になった。
重保:周辺の父上ゆかりの地を巡るとしたら……だいたい3つのエリアに分かれるよ!
胤義:けっこうな広範囲だな……。
重保:すごいでしょ! 秩父党。
しかし当日は台風14号が近づいて、深谷も天候が荒れていた! 重忠は北条の策略ダイヤの乱れによる足止めにより遅参が確定!
重保:ち、父上~!
そして程なく、重忠から「吸い込まれるように二俣川行きの電車に乗ってしまった」という連絡が!
重保:父上~、今日は二俣川(の放送日)ですが、会場はそちらではありません~!!
胤義:仕方ない、先に行っていよう。すまん、重忠(棒)
東武東上線・武蔵嵐山(むさしらんざん)駅に降り立った若き2人の武士が目にしたものは……!
胤義:めちゃくちゃフィーチャーされてるぅ~~~!!
重保:父上、すごぉい!
大河効果ってすごい。2人は改めてそう思った。
1. 菅谷エリア
秩父党の家人の案内で2人がやってきたのは、畠山重忠を祀る「菅谷(すがや)神社」。
菅谷神社
菅谷の地は、重忠が頼朝様から賜った土地。屋敷の守護として、近江国の日吉大社を勧請し、建久元(1190)年に9月19日に創建したと伝わる。
胤義:意外と立派な神社だぁ!
重保:「意外と」ってなんだよ! 父上を祀ってるんだから当然でしょ!
胤義:いや、でも住宅地の中にぽつんとある系の神社なのに、参道も広くて長いし、木もでかいのばかりだし……。御神木でもないとこのデカさはなかなか……。静かだし良い所だよ。
菅谷館
続いてやってきたのは、畠山重忠が住んでいた菅谷館。現在はその敷地内に「埼玉県立嵐山史跡の博物館」が建っていて、畠山重忠関連ははもちろん、周辺史跡から発掘された貴重な文化財が展示されている。
建物の裏手には、菅谷館の遺構が整備されていて、コンクリートで作られた畠山重忠像がある。
重保:この父上像、渋カッコイイよね~!
胤義:ドラマの八田(はった)殿並みに濡れておる。
ちなみに埼玉県立嵐山史跡の博物館内には、喋る畠山重忠像・通称「ロボ忠」がいるぞ!
重保:でもロボ忠、若干老けてる風なのはなんでだろう。(註:畠山重忠の享年は数え42)
胤義:……あれかね? よくある「平均寿命50年の時代で40歳って言ったら今で言うおじいちゃんじゃん」的な……?
重保:平均寿命50年は50歳で老衰死するんじゃなくて、死んだ人の年齢を平均したら50歳って意味なんだけどね。
胤義:赤ん坊のうちで死ぬことも多かったからなぁ。
しみじみしていると、重忠からの連絡が入り、武蔵嵐山駅でピックアップして次の場所へ!
2. 畠山エリア
次に向かったのは、畠山エリア! 名前のとおり、畠山重忠が生まれ育った土地だ!
埼玉県農林公園内にある飲食店や直売所には「重忠ピザ」「重忠みそ」「重忠にんにく」など、食用重忠が販売しているぞ!
重忠:食用って……。
胤義:世の中には推しを摂取することで、ようやく息ができる人種もいるんだ。
重忠:まぁ……私がみなの元気の素になるのなら、いくらでも喰らうがいい!
重保:父上、ご立派でございます!!
それから川本出土文化財センターには、市内で発掘された埋蔵文化財の管理をしていて、この日は重忠をテーマにした企画展が行われていたのだ!
胤義:つーか、嵐山史跡の博物館もそうだったけど……意外と白磁や青磁持っていたんだな。普段「うちはそこまで裕福じゃない!」って言っていたけど……。
(註:当時、磁器は日本で生産されてなく、中国からの輸入品だった。つまり超高級品! 特に白磁や青磁が尊ばれた。参:武士の「シフト表」発掘!?鎌倉時代の生活を『掘り出された鎌倉の名品』展から探る)
重忠:それは……! まぁ、ある程度のたしなみというか!
重保:(来月からお小遣いUPしてもらおうかなー)
畠山重忠公史跡公園
一行が辿り着いたのは思いっきり、畠山重忠の名を冠した公園! 重忠が暮らしていた屋敷跡である。
その中央に堂々と聳え立つのは、愛馬三日月を担ぐ畠山重忠像!!
重保:ドラマでも言及された、一ノ谷の戦いで馬を担いだ父上の像! いつ見てもカッコイイ!
重忠:三日月の表情も豊かだろう! (註:三日月についてはこちら⇒もしかして私って都合のいい馬?鎌倉幕府のエモキラ馬たちに「愛されモテ馬」になる秘訣を聞きました♡【妄想インタビュー】)
公園内には、重忠産湯の井戸や、重忠の墓もある。まさに畠山重忠の誕生から、栄光の日々、そして死ぬまでを思い描くうってつけの場所!
胤義:(ファンの情緒、忙しそうだな……)
らいと君ち(満福寺)
続いては、『鎌倉殿の13人』第35話の紀行に登場し、全視聴者をホッコリ癒したポメ様こと「らいと君」! ……が住んでいる、畠山重忠の菩提寺「満福寺(まんぷくじ)」!
重忠:……って、らいと君がメインになってないか? この紹介。
重保:仕方ないですよ、あの時のらいと君はもはや日本を救ったも同然でしたから……。
胤義:実際会ったら、めっちゃなつっこくて……。数か月分の犬分を補給したわ。
満福寺は平安時代中期頃に創建されたとされている寺で、源平合戦が始まる直前、寿永3(1184)年に畠山重忠が中興した。
重保:父上、その頃元服したばかりじゃない? すごーい!
寺には、畠山重忠の位牌と、守り本尊の千手観音像が安置されている。
井椋神社
らいと君ち(満福寺)の裏手にある井椋神社。
重忠:ここは私の父上がこの畠山の地に移住した時、氏神だった椋神社をここに勧請したものだ。私たち一族が代々守り敬ってきた、大切な神社である。
重保:今回の道中も見守っていてくださいね~(パンパン) って、ここで突然の激しい雨が!
胤義:(……もしかして、オレがいるから?)←畠山重忠を討ち取った側にいた武士。
鶯の瀬
井椋神社のさらに裏にある川辺は「鶯の瀬(うぐいすのせ)」と呼ばれる。ここは増水しても川の深さが変わらない浅瀬なのだ!
重忠:対岸にあった、郎党の榛沢成清(はんざわ なりきよ)の家から帰る時に、ちょうど今日みたいな大雨でなぁ。川を渡れずに困っていたら、1羽の鶯が浅瀬を教えてくれたんだ。そこから鶯の瀬と呼ばれるようになった。
胤義:現代は重忠橋があるから、安全に渡れるな!
重保:今日は僕が鶯になります! ピヨピヨ!
胤義:……鶯の鳴き声、ピヨピヨだっけ?
重保:あっ!
ピヨピヨと重保をイジりつつ深谷エリアへ!
3. 深谷エリア
胤義:深谷駅周辺だと、さすがに渋沢栄一(しぶさわ えいいち)の影響力がすさまじいな。
重忠:日本経済の父だからな、しかたない。
重保:父上だって、畠山重保の父ですよ!
胤義:(どちらかというと、お前が畠山重忠の息子だよ……ってのは黙っておこう)
一行が最後に向かったのは「道の駅おかべ」! ここには深谷市が総力をあげて作った数々の畠山重忠グッズが販売されているのだ!
胤義:すげぇ愛されてるんだなぁ……。
重保:すごいでしょ~!
とまぁこんな感じで、いよいよ本編、トークショー & パブリックビューイングの会場に向かうのであった!!
トークショー & パブリックビューイング in深谷
深谷市民文化会館に入ると、そこには畠山重忠とその側近、榛沢成清と本田近常(ほんだ ちかつね)の幟が!!
重忠:なんと! ドラマ本編には出てこないのに成清と近常の幟まで!!
胤義:多分、名前は出てこなくても今日ドラマ内で重忠のすぐ近くにいるのがどちらかなんじゃないだろうか。
重保:2人とも、いつも父上と一緒にいたもんね!
OPパフォーマンス
トークショーが始まる前に、オープニングパフォーマンスとして深谷市に伝わる重忠太鼓と重忠節おどりが!!
重忠:私の名がこんなところにも! なんだかモゾモゾするなぁ。
胤義:重忠太鼓かっけぇ! 腹に響くぅ!
重保:重忠節おどりは、現在も深谷市の小学校で習うそうですよ!
そして深谷市が誇るゆるきゃら「ふっかちゃん」と「しげただくん」も登場! 思わず周りの観客たちも「カワイイ!」と黄色い声を上げる。
そして、やけにトーク慣れしている深谷市長の「放送が終わっても深谷市の重忠への想いは変わらない。これからも残していきたい」という言葉からスタート!
トークショー
まず登場したのは出演したのは、阿野全成(あの ぜんじょう)役の新納慎也殿。
重保:全成殿って深谷や畠山とゆかりあったっけ?
重忠:まぁ、同じく北条の娘を娶ったってぐらいだなぁ。
全成殿はやはり深谷とは関係なかったが、新納殿自身は先祖を辿ると、島津家の分家! その島津家には畠山重忠の娘が嫁いでいるという繋がりがあるようだ。
続いては、稲毛重成(いなげ しげなり)役の村上誠基殿。
重保:稲毛殿は同じ秩父党だね!
重忠:私の従兄弟だ!
胤義:確か、奥方が早く亡くなってしまって出家したんだよなぁ……。そして供養のために相模川に橋を懸けて……。オレも妻に先立たれるとか、考えるだけでもツライ!
そしてラストは、平賀朝雅(ひらが ともまさ)役、山中崇殿!!
重保:と~も~ま~さ~!! って!
胤義:まさかの開幕土下座!!
重保と激しい口論をし、畠山重忠一族討伐の原因となった人物! それが畠山重忠ゆかりの地に来るということで、卵を投げられる覚悟で来たとのこと。
重忠:まぁ、山中殿には罪はないよな!
重保:でも、朝雅の憎たらしいところ、上手く表現していたよ! 僕、TVに掴みかかって家人に止められたもん!
胤義:一人で見てなくてよかったな……。
重忠:まさか、ドラマの中では北条政範(ほうじょう まさのり)殿を毒殺するとは……それを重保に罪をかぶせるとは……。
重保:政範殿は、ちょっと体が弱くて……実際は京都に実朝様のお嫁さんを迎えに行く道中で病気になっちゃたんだ。でも京都に行くのが遅れちゃうから、僕が政範殿を引っ張って山越えを……。
重忠:……え? 重保よ。政範殿に無理をさせたのか?
重保:え!? いやそのあのそれは……! あ! ほら舞台上でも朝雅がいじられている!
舞台上ではすでに退場してイチ視聴者となった全成殿こと新納殿に「毒盛ったでしょ!」と詰め寄られ「あれは胃薬ですよ!」と言い張る朝雅殿こと山中殿。バックスクリーンには悪い顔で粉末状のナニカを盛る平賀朝雅が……。
新納殿:胃薬をこんな悪い顔で盛る人いませんよ!
山中殿:当時の胃薬って臭いから、こんな顔になっちゃうんですよ~。
笑いに包まれる会場、上手くごまかしたと思っている重保。しかし胤義は重忠がじっと重保を見つめているのを見て「(後で詰められるな)」と思っていたのだった。
パブリックビューイング
さていよいよ、本編のパブリックビューイング! 普段はお茶の間で見る大河ドラマを、大画面で大勢で見る。笑い声もあり、すすり泣く音もあり……。
(以下、本編の録画やアーカイブ配信を見ながら読むとより楽しめます)
胤義:おあああああああああ! オレだぁああああ! いきなりオレが出て来たぁああああ!! 36話目にしてオレが!!
畠山重忠を討つために、まずは息子の重保を人質に取ることを三浦義村(みうら よしむら)に指示する北条時政。
重保:僕だって武士なんだから、「謀反人だ」なんて言われたら抵抗するしかないよ! 命を本当に助けるつもりだったの? 三浦殿ぉ!
重忠は鎌倉の手前、二俣川の丘陵地帯に陣を張る。
重忠:……なんだか私はやる気マンマンだな。実際は謀反の意志はない事を示すために武装せずに平服で向かったのだ。……って! えっ! 義時と私が殴り合っている!!
合戦の最中に、なんと主人公・北条義時と畠山重忠の一騎打ち!
胤義:いけぇ! 重忠ァ!! 歴史変えちまえ~!
重保:父上~! がんばれ~!
重忠:(意外としぶといな義時……やはり中身が小栗旬殿だから筋肉補正が……)
畠山重忠には数々の怪力伝説があり、『吾妻鏡』にも記されている。一方で北条義時はあまり武勇伝はないどころか、力仕事では指揮担当をしているあたり、あまり体力はないのでは? というのが鎌倉時代ファンの共通認識。果たして主人公は生き残れるのか!? という手に汗を握る展開!
この一騎打ちがどうなったのかは是非本編を見て欲しい。
そして畠山重忠に謀反人の罪を着せた時政には、御家人たちの反発が予想される。そこで時政は、重忠の従兄弟・稲毛重成を捕らえて罪を着せ、処刑することになったのだった。
胤義:稲毛殿ぉ~! ごめんねぇ! でも稲毛殿の弟の榛谷重朝(はんがや しげとも)殿の幼い息子(あるいは孫)は、オレが保護したからぁ!! のちにオレの代官として、上総国の伊北庄(いほうのしょう=現・千葉県夷隅郡大多喜町/大多喜城の前身と考えられている)に赴任させるからぁ!
重忠:あと、明治の世になれば、稲毛重成を尊敬してやまない商人が「いなげや」という商店を開き、現在は南関東で覇権を握るスーパーマーケットの1つになるぞー!
アフタートーク
本編が終わると舞台が明るくなり、再び舞台に現れる新納殿。続いて現れた稲毛重成役の村上殿をハグをし、その後現れた平賀朝雅殿のハグ要求はスルーするのであった……。
見終わった後のアフタートークも盛り上がる。
新納殿:「誰も恨んではいけないよ」(新納殿が演じた全成の名台詞)
村上殿:信じられるものが少ない時代、何を信じたかだと思います。稲毛重成は奥さんを愛し、信じたんだと思います。
山中殿:自分の先祖がこの時代に生きていたのは事実。何をしていたのかなぁ。
しんみりしつつも、楽しいトークショー&パブリックビューイングだった。むしろ人が大勢いたからこそ、しんみりしすぎなくてよかったかも。
三浦胤義botが役者さんにインタビューしてきたよ!
大盛況のうちに終わったイベント……だが、観客たちへのサプライズで、第36回で散った畠山重忠に対する献花台が!!
その裏で、胤義たちは会場に残り……なんと報道陣に交じって取材をすることに!!
胤義:(普通の質問ではなく、ここはやはり胤義botとして……歴史上人物botとして聞いておかねば!!)
ということで……
Q:三浦一族の印象はどうですか?
新納殿:三浦義村さんみたいな生き方が、あの時代正解だと思うよ!
何が起こってるか俯瞰して見ている、人を統率する力もあったと満場一致に絶賛される三浦義村。よかった……三浦に悪印象は持たれていないようだ。
Q:役として、畠山重忠があの世に来た時、あるいは自分が行った時、どうすると思いますか?
新納殿(阿野全成):まぁ、ハグですよね!
山中殿(平賀朝雅):自分は死んだらノーカンだと思うんで、あの世で重忠に会ったハグしに行くと思います。んで、ひょいっと避けられると思います。
村上殿(稲荷重成):従兄弟同士なんで、お酒を飲みながら語り合いたいですねぇ。
なんか、それぞれの様子が目に浮かぶようだ……。
たぶん他のメディアとは毛色の違う質問に、真摯に答えてくれたお3方に感謝!!!!!
その後
胤義:はぁ~緊張したなぁ。
重保:役者さんってすごいね~。新納殿はTVで見るより10倍キラキラしてたし……普段の山中殿は平賀朝雅と違って良い人だし。
重忠:稲毛重成役の村上殿は素朴な感じで、応援したくなるなぁ。
胤義:で、今何時?
重保:……19時50分
重忠:歩きじゃ間に合わんな。馬(タクシー)手配するか!!
胤義:今日は担ぐなよ? 馬は乗った方が速いから。
重保;どうせなら、父上の実家で、母上とじじ様と一緒に本鎌を観ましょう!
と、いうことで、本鎌こと8時の本放送に間に合わせるべく急いで重忠の実家へ向かう3人であった。