♪でんでんむしむし、かたつむり〜♪
♪おまえのあたまはどこにある〜♪
幼いころに愛唱した「かたつむり」の歌。かたつむりといえば、今も昔も子どもたちの良き遊び相手というイメージです。
小さなかたつむりのツノをツンツンと突いた経験は、だれにでもあるのではないでしょうか。
けれどミセス茶人・オノがご紹介するハワイのかたつむりは、どうも事情が違っているようです。
日本は今、梅雨のまっただなか……
文と写真/オノ・アキコ
最初から読む→常夏の島ハワイで楽しむ茶の湯とは?【一期一会のハワイ便り1】
茶席の菓子には「アジサイ」が用いられ、茶道具の銘には「カタツムリ」が表れる季節。
カタツムリといえば、ハワイで見かけるカタツムリはやたらに大きい。大きいといってもピンとこない方もいるだろう。ハワイに引っ越して、初めてわが家の壁を這うカタツムリを目にしたときは、度肝を抜かれた。
〝ゲンコツを背負ったようなお餅〟とでもいったらよいだろうか。とにかくサイズが大きくて、恐ろしかったのだ。
光合成で伸びる草花と同じように、ハワイの太陽をサンサンと浴び、雨水をとり込んで成長するから、「こんなに大きくなっちゃったのぉ? カタツムリさん!」とつぶやきたくなるほどである。
そんなカタツムリを見ると、到底茶杓などの銘にしたいとは思わない。なんともグロテスクな存在だからだ。
さて、お茶を嗜む方には説明不要だが、茶道具や茶席の菓子には銘がつけられてることが多い。
銘は、その器物の形状からインスピレーションを受けた言葉であったり、またときには茶事茶会のテーマや亭主の思いを表したり、その時節を匂わす言葉でもある。
由緒ある茶道具には、もともと銘がつけられていることもあるが、新しい茶道具や無銘の和菓子なら、みずから銘をつけるケースもある。
だから国内はもちろんのこと、海外のお稽古場でも、点前のなかで
「お茶杓の銘は?」
「〝白糸(しらいと)〟でございます」
「菓子銘は?」
「〝青梅(あおうめ)〟でございます」
と、機転の利いた季節折々の銘を述べる稽古をしている。銘は、具体的にその世界を浮かび上がらせる大切なしかけだともいえるだろう。
銘と祭事で感じるニッポン
銘は、茶道の世界にとって、とても、とても大切な存在だ。
しかし四季のないハワイで、茶杓の銘を選び、もてなしの場を〆るとき、日本とはまた異なる悩みがある。
とくに当地で育ち、四季折々の自然の移り変わりを経験したことのない島の人には、日本で育ったわれわれとは目に浮かぶ情景が明らかに違うからである。
たとえば、水辺に舞う蛍の幻想的な光を見たことがないので、「蛍狩り(ほたるがり)」などといってもピンとこないし、吐く息の白さを経験したことがないから、「寒月(かんげつ)」と聞いても、あのシンと冴え渡った冬空の下、手足を凍らせて見上げる月の清らかな光が脳裏に浮かぶことはないのだ。
祭事も、当然日本とは異なる。それでも五節句の内の3つぐらいは当地に定着している。
それはひとえに「元年者(がんねんもの)」と呼ばれる、150年ほど前に海を渡って当地に移り住み、想像を絶する困難を乗り越えてその地位を確立した勤勉な日本人とその子孫である日系の人々のおかげである。
その代表が、お正月(人日/じんじつ)、ひな祭り(上巳/じょうし)、子供の日(端午)で、日系の家庭や、多くの学校では節句にちなんだ行事がとりおこなわれている。
七夕になると、やや知名度は下がるものの、時々、笹の葉につるした短冊を見かけることもある。こうした風景は、ふるさとの夏を強く思い出させてくれるものである。
インディペンデンス・ディは鮮やかな花火で
この時期は、7月4日のアメリカの独立記念日「インディペンデンス・ディ」に向けて、花火蒔絵の棗を用いることもある。
というのも、毎年この日はアラモアナ・ビーチで打ち上げられる花火を見るために、早い時間からビーチの場所どりをするのだ。
その光景は、さながら日本で繰り広げられるお花見のようでもある。
1959年、ハワイがアメリカ合衆国の一部になったときから、独立記念日は島の人びとの祭日となった。
帰りの混雑さえ気にならなければ、潮騒の音を背景に、太平洋に打ち上げられる花火を見るのは、とても楽しい。もしこの時期にハワイに行かれることがあるのなら、夜は意外に海風が冷たいので、羽織ものを1枚持たれるとよいことも書き添えておく。
ところで、みなさんはハワイの州旗をご存知だろうか。アメリカ合衆国50州のうち、唯一、英国のユニオンジャックが描かれている旗がそれである。
ハワイ諸島はその昔、英国に守られていた歴史をもつ。そのため英国と親交が深く、国家として認められたことへの思いが、そのデザインに見てとれるだろう。
星条旗を掲げる合衆国の一部となった現在のハワイの繁栄と、いにしえのハワイの歴史に想いをはせるなら、この時期の茶席にとり入れる色も、赤・青・白をキーカラーにしてみるのもよいかもしれない。
日本文化を学び、伝えるということ
それにしても、海外でお茶を続けていくとき、だれしもが大小の壁にぶつかる。現実的に手に入らないものがあるからだ。
それは有形のものだったり、無形のものだったりするわけだが、どちらの場合もさまざまな課題を提供してくれる。
課題が有形のものであるならば、創意工夫によって、乗り越えられることもある。
けれど、さきほどの銘の話のように、日本文化の歴史背景をもたない人に、お茶の精神性をも伝えなくてはいけないという場合は、共有できる感覚や時間軸がないわけだから非常にむずかしい。
だからこそ、その土地ならではの趣向(しゅこう)でお茶を楽しむということは、日本文化を学び、伝えてゆく上での大切な「歩み寄り」なのだ、とも感じている。
それは、私にとって己の想像力が試される良い勉強でもある。
そして、そうしたどんな試みも包み込んでしまうほど、茶の湯の世界は奥深い。
私は、幼少から成人までの大半を日本で過ごした。お茶を嗜むようになったのは海外で過ごす時間が多くなってからで、日本の伝統のすばらしさや工芸の質の高さを再認識させられている。そして和の歳時記にも敏感になった。
このたぐい稀な文化を学び、お茶の心を大切にしながら、そのなかにハワイの歴史や風土への尊敬とアロハの精神をとり入れて、これからも当地の人びとと共に、ゆっくりと茶の道を歩んでゆきたいと思っている。
(来月もお楽しみに!)
最初から読む→常夏の島ハワイで楽しむ茶の湯とは?【一期一会のハワイ便り1】
オノ・アキコ
65年生まれ。国際基督教大学卒業後、モルガン・スタンレー・ジャパン・リミティッド証券会社を経て、ロンドンのインチボルド・スクール・オブ・デザイン校にて、アーキテクチュアル・インテリア・デザイン資格取得。2007年ハワイに移住し、現在はハワイ大学の裏千家茶道講師を務めている。ハワイでの茶の湯を中心に、年に数度は日本に里帰りをしつつ、グローバルに日本文化を楽しんでいる。