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もし船を造りたいのなら、木を集めるために人を呼び込んだり作業や仕事を割り当てたりするのではなく、限りない海の広大さに憧れを抱くように彼らを教えなさい。(サン=テグジュペリ)
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2022.05.20

すごく…過酷ッ!「石橋山の戦い」源頼朝の逃亡ルートを辿ってみた

この記事を書いた人

どうも、毎度おなじみ鎌倉オタクです。今回は源平合戦の前哨戦、治承4(1180)年8月に神奈川県と静岡県の県境で起きた「石橋山(いしばしやま)の戦い」。令和4(2022)年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも描かれたこの地を訪れてみました!!

訪れる系鎌倉オタク、樽瀬川さん。

石橋山の戦いとは!

以前の記事でも紹介していますが、ざっくり言うと、相模国(現・神奈川県)の平家の家人代表・大庭景親(おおば かげちか)と源頼朝(みなもとの よりとも)が戦った戦です。

頼朝はここで一旦ボロ敗けしてしまい、船で房総半島まで逃げて再起を図るのでした。

大河ドラマでも描かれましたね! この頃の頼朝はかわいかった……。

古戦場へ行ってみた

うららかな春の日差しの中、まず訪れたのはJR早川(はやかわ)駅。早川駅にはコインロッカーはありませんが、土日には駅前に臨時観光案内所が設置され、手荷物預かりとレンタサイクルがあります。

駅から石橋山はバスもありますが、1時間に1本あるかないかってぐらい本数が少ない上に、最寄りバス停から更に15分くらい歩くので、自動車が運転できない場合はレンタサイクルがオススメです。

JR早川駅から石橋山古戦場(国土地理院地図で作成)

海沿いの道を南下していきます。途中に何か所も案内板が立っているので、迷わずに行けると思います。そして何よりも……!

国道135号線から見る、春の相模湾

この風景を見ながら自転車を漕げる……! めっちゃ気持ちいい~~!

しばらく海風を浴びながら進んで行くと……石橋山古戦場入口の看板が!

石橋山古戦場・佐奈田霊社入口

この日は天気が良い麗らかな春の日だったので、お散歩やサイクリングの人も多く、こんな会話が聞こえてきました。

「古戦場だって!」
「やだー、幽霊出そう」

……ああ、そうですね。そういうイメージですよね……。でも私、会えるなら会いたいですよ!! むしろ推しに呪われるなら本望じゃないですか!? 霊感強い人、私と一緒に史跡巡りしてくれませんか!?

確かに、推しの幽霊なら会いたいしなんなら連れて帰りたい。

と張り切って、1人で古戦場跡に向かいます。……が、ここからちょっとキツイ坂道が続きます。電動自転車が負ける坂道なんて……久々ですよ! でも上り切った後は、こんな絶景が……!

線路と海

嫌いな人いないでしょ、この景色!!(断定)

絶景を振り返ると、石橋山古戦場の石碑がありました。

石橋山古戦場の碑

石橋山で起きたこと

ドラマでは省略されていましたが、石橋山の合戦で負けて逃げる時、青年が1人残って時間稼ぎをしました。それが岡崎義実(おかざき よしざね)の末子である佐奈田与一義忠(さなだ よいち よしただ)です。

歌川国安『真田与一義貞』 出展:ライデン国立民族学博物館

雨が降りしきる闇夜の中、佐奈田義忠は「武士の晴れ舞台だ」といって目立つ鎧を着て立派な馬に乗り、名乗りを上げました。そこに大庭景親(おおば かげちか)、俣野景久(またの かげひさ)、長尾為宗(ながお ためむね)・定景(かげさだ)兄弟たちが襲い掛かりました。

勝川春亭『石橋山合戦 大庭景親 俣野景久』 出展:ライデン国立民族学博物館

暗闇で敵か味方かもわからない混戦状態の中、俣野を見つけて取っ組み合いをします。そしてどうにか俣野を組み伏せました。そこに長尾為宗がやってきて「敵はどっちだ!?」と呼びかけました。

佐奈田義忠は「上が俣野、下が佐奈田だ!」と叫びます。驚いた俣野は「上が佐奈田、下が俣野だ!」と言い返しました。長尾は手探りで鎧を触って、上が佐奈田義忠だと確信します。

佐奈田義忠はとっさに長尾を蹴り飛ばし、短刀を抜いて俣野に突き立てようとしました。しかしここに来る前に討ち取った敵の血で鞘から抜けず、そのうちに長尾景定がやってきて、佐奈田義忠を討ち取りました。

その佐奈田義忠が討ち取られた場所が、「ねじり畑」と呼ばれる場所です。

国土地理院地図で作成

ここで育った作物は、なぜか「ねじれて」しまうのでこの名がついています。案内の碑のよこにある木は確かにチョココロネかってぐらいにねじねじにねじれていました。

頼朝様はこの佐奈田義忠の忠義を忘れず、鎌倉幕府を開いた後ここに再び訪れて涙を流し、義忠を祀る神社を建てました。それが「佐奈田霊社」です。

頼朝様や真田与一も、850年前にこの景色を見たんでしょうか……

敵から逃げろ!!

佐奈田義忠の奮戦の甲斐があって、頼朝たちは石橋山を脱出します。その時、敵にみつからないように少人数づつバラバラに逃げることになりました。

頼朝たちが身を隠したのが「しとどの窟(いわや)」と呼ばれる洞穴です。……が、ここがしとどの窟だと言われている場所は、湯河原町の山奥と真鶴岬の2か所あります。

国土地理院地図で作成

どちらが正しい……というのも現在ではわかりませんが、湯河原町のしとどの窟は山奥にあり足場は悪く、現在はバスも通っていません。おまけに取材日には雨が降ってしまいました。というわけで今回は、アクセスのよい真鶴岬のしとどの窟へ行ってきました。

しとどの窟

真鶴岬のしとどの窟は、真鶴駅からバスに乗り、「魚市場(うおいちば)バス停」で下車します。そして少し戻ると道沿いにあります。

国土地理院地図で作成

天気が良ければ、真鶴駅からレンタサイクルでも良いですね!

しとどの窟で起きたこと

頼朝は数人の家人と一緒に、とある洞窟に隠れました。その時、近くで大庭景親が頼朝を探し回っていたのですが、なぜか梶原景時(かじわら かげとき)が頼朝の居場所を知っていながら、思う所があって「山に人が入った形跡はない」と言い、景親の手勢を引っぱって、別の山へと行きました。

真鶴岬のしとどの窟

梶原景時が頼朝を見逃したのは有名な話ですが、その元ネタとなる『吾妻鏡』に書かれているのはこれだけです。なぜ梶原景時が見逃したのか、その理由は明らかではありません。

ドラマでは運良く敵の目から逃れた頼朝に天運を見たという演出になっていましたね。その他にも元々平家方ではなく頼朝に通じていたのではないかという説もあります。

勝川春亭『石橋山合戦 梶原景時』 出展:ライデン国立民族学博物館

頼朝たちはここに長居しても敵に見つかるだろうと思い、船で脱出するため、土肥実平(どい さねひら)の所領を目指しました。

大河ドラマではなかなか緊張感漂う一幕でした!

船で伊豆半島を脱出せよ!!

というわけで、頼朝が出航したと言われる浜、「岩(いわ)海岸」へ向かいます!

国土地理院地図で作成

歩いてでも行ける距離ですが、わりと坂道が急なので、電動アシスト自転車をレンタルするか途中までバスがおススメです。あえて頼朝様と同じ苦労をしてみるぞ! と言う人は、せひ徒歩でチャレンジ!

武士って体力あるよな~。

国土地理院地図で作成

岩海岸へGO!

まぁ、私は素直にバスで坂を登りました。坂を下ってまた上ると、案内板が!

岩(いわ)海岸方面へ坂を下って行きます。この坂には謡坂(うたいざか)という名前がついています。

由来はこうです。頼朝様ご一行が岩海岸に向かう途中、土肥実平さんの領地が敵に火を掛けられているのが見えました。それにショックを受けて落ち込む頼朝様を元気づけるために、土肥さんが「焼亡(じょうもう)の舞」と呼ばれる歌舞を歌い踊ったという話が『源平盛衰記』にあります。

「我家は何度も焼かば焼け」……「我が家を焼きたかったらいくらでも焼けばいい!」と半ばヤケクソ気味の歌詞ですが、頼朝様の世になったら何度でも立て直してやる! という不屈の心を歌いました。

めっちゃ元気づけられる歌!!

坂を下り切ったら、いよいよ岩海岸。「源頼朝船出の浜」ですが……。観てくださいこの美しい海!!

曇り空でこの青さなんですから、晴れてたらどれだけのものだったんでしょう……。

晴れてたら、房総半島まで見えていたかもしれない……。

帰りはまた謡坂の石碑まで戻り、案内板通りに真鶴駅に向かって、ゴールです! お疲れさまでした!!

MISSION COMPLETE!!

と、いうわけで伊豆半島での頼朝様の動きを追ってみましたが……。当時はこれは歩きだったんでしょうかね? 洞窟に隠れる時点で馬は捨てていると思われるので。

これはドラマの頼朝様みたいに「もうやだ~! 歩きたくない~!」ってなっちゃうのも解るかも。でも命が掛かっているので歩かなくてはいけないんですが。現代人である私たちが安全に移動できるのは、本当にありがたいことですね。ありがとう、文明。

頼朝に電動自転車を貸してあげたくなった。

書いた人

神奈川県横浜市出身。地元の歴史をなんとなく調べていたら、知らぬ間にドップリと沼に漬かっていた。一見ニッチに見えても魅力的な鎌倉の歴史と文化を広めたい。