東北一ハイカラな街・弘前の歴史
本州の最北に位置する青森県。弘前(ひろさき)市を含む西部は津軽地方と呼ばれ、ねぷたまつり、津軽三味線、津軽塗など独自の文化を生みました。弘前城の城下町として栄える一方、明治時代には外国人宣教師を受け入れ、東北一ハイカラな街としての顔ももちます。
弘前郵便局の風景印。
青森・弘前城の歴史とは?
すべての道は岩木山と弘前城に続く。殿様も御山を毎日眺めてた
城の街、弘前。弘前城は今から約400年前、津軽統一を果たした津軽家初代藩主・為信(ためのぶ)が計画し、2代藩主・信枚(のぶひら)が慶長16(1611)年に完成させた津軽氏の居城です。桜の名所として知られる弘前城ですが、これは廃藩後の明治15年に荒れる城内を見かねた旧藩士がソメイヨシノ1000本を植栽したことに始まりました。
その後も大規模な植栽と市民の寄付が続き、現在では約2600本!10月半ばになれば、これらの桜と1000本を超える楓が色づき弘前城を彩ります。弘前の街歩きは、まずはお城から始めるのがおすすめ。
東北で唯一天守が現存している弘前城。
もうひとつ、旅の起点を弘前城にした理由があります。その残雪で田植えの時期が決まるというほど、津軽の暮らしにとけ込む岩木山(いわきさん)。その姿が弘前城の本丸からよく見えると地元の人が教えてくれたのです。
「本丸からの眺めは絶好です。あれを見れば、お城がここに建てられたのも納得です」お殿様もこうして心を休めていたのでしょうか。岩木山は津軽人の心にある故郷の風景。
市内から車で約40分の所にある岩木山。標高1625m、別名を“津軽富士”。
津軽出身の太宰 治の眼にはこう映りました。「したたるほど真っ蒼で、富士山よりもっと女らしく、十二単衣の裾を、銀杏の葉をさかさに立てたようにぱらりとひらいて左右の均斉も正しく、静かに青空に浮かんでいる」(『津軽』角川文庫)-2013年和樂10月号より-
弘前市マスコット「たか丸くん」