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2020.09.02

慶喜は?家康は?衝撃の徳川15代将軍子だくさんランキング!10回以上出産した側室が2人も!

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将軍は、その血を絶やさないために正室・側室に我が子を産んでもらうことも大事な仕事のひとつ。江戸時代を作り上げた15人の徳川将軍、誰がどのくらい子どもがいたのか知っていますか?もっとも子だくさんだったのは誰だったのか。実は子どもがいなかった将軍とは!? 徳川15代将軍が授かった子どもの数とエピソードをご紹介します。

【12位】7代将軍・家継:0人

7代目の徳川家継(いえつぐ)の子どもは0人。それもそのはず、3歳で将軍になり4年後に亡くなっているため、結婚などを経験することなくこの世を去っているからです。

結婚はしていないが婚約者はいた!

家継は6歳のときに婚約しています。それが八十宮吉子内親王(よそのみやよしこないしんのう)。

吉子内親王は当時、なんと生後1ヵ月!その背景にはもちろん政治的な策略があったのですが、生まれてすぐに婚約するとは今では考えられないですね。

【12位】13代将軍・家定:0人

家慶(いえよし)の息子で13代目を継いだ徳川家定(いえさだ)。自身が病弱だったためか子どもは生まれませんでした。

正室が3人も!

家定は子どもはいませんでしたが、正室と側室はいました。

そのなかでも驚くべきことが、正室が3人いたこと!

とは言っても、実は最初に正室として迎えた鷹司任子(たかつかさあつこ)と、その次の一条秀子を病気で亡くしており、3人目の妻として天璋院を迎えています。この天璋院とは、あの大河ドラマでも有名な「篤姫」ですよ。

【12位】14代将軍・家茂:0人

紀州徳川家から将軍入りした徳川家茂(いえもち)も子どもはいませんでした。

妻一筋!

徳川15代将軍の中で、側室を迎えなかった唯一の将軍です。

正室の和宮親子内親王(かずのみやちかこないしんのう)を妻に迎え、生涯で一人だけを愛しました。最初は政略結婚でしたが、二人とも次第に心が惹かれ合い、夫婦仲はとても良好だったようです。

【12位】4代将軍・家綱:0人

家光の長男として4代将軍に就任した徳川家綱(いえつな)は、正室のほかに2人の側室がいました。しかし亡くなるまで子どもが生まれることはありませんでした。

徳川将軍家の直系が途絶える

側室が妊娠しなかったわけではなく、いずれも死産や流産だったため、家綱の実の子はいませんでした。これにより徳川将軍家の直系が継ぐという慣習は途絶え、家綱の弟であり館林徳川家の綱吉が5代目を継ぐこととなったのです。

【10位】5代将軍・綱吉:2人

上野館林藩主ののち5代将軍に就任したと徳川綱吉(つなよし)は、側室の「お伝の方」との間に1男1女をもうけました。長男の徳松は幼くして亡くなり、長女の鶴姫は嫁に行きましたが20代の若さで亡くなってしまっています。

子どもは少なくてもお盛ん!?

綱吉の子どもは2人なので、さぞかし真面目だったのだろうか。と思いきや、実はお盛んだったのだとか。

気に入った女性であれば、独身だろうと既婚者だろうと若かろうと老いていようと関係なかったといわれています。また、男女どちらも対象!

男版大奥も作ったほどといわれており、真偽のほどは不明ですがお盛んだったようです。

【10位】9代将軍・家重:2人

9代将軍の徳川家重(いえしげ)は正室との間に子どもはおらず、2人の側室との間にそれぞれ1人ずつ子どもが生まれています。長男は10代将軍となる家治(いえはる)、次男は清水徳川家の重好。

息子の教育を父に横取りされる……

8代将軍の吉宗は、孫の家治をたいそうかわいがりました。吉宗は自身の息子である家重のことは諦めており、家治には吉宗自ら教育や指導を行い、相当な期待をしていたようです。

息子の世話を父に横取りされ、家重はどんな想いだったのでしょうか……。

【9位】10代将軍・家治:4人

9代将軍・家重の長男・徳川家治は10代将軍を継ぎました。

そんな家治は、正室との間に2人、側室2人との間にそれぞれ1人ずつ、合計4人の子どもを授かっています。

長男は「幻の11代目将軍」

側室・蓮光院との間にもうけた家基(いえもと)。家治の長男として生を受け、徳川家代々の通字「家」を名前に授けられ、誰もが家基が徳川家の後継ぎと考えていました。文武両道で政治に対する関心も高く、将軍となる器も兼ね備えていた家基。

しかし満16歳のとき、突然亡くなってしまいます。そのため、後に53人もの子どもを授かったあの家斉が11代将軍となり、家基は「幻の11代目将軍」と呼ばれるようになったのです。

【8位】8代将軍・吉宗:5人


テレビドラマ「暴れん坊将軍」のモデルとなった8代将軍の徳川吉宗(よしむね)は5人の子宝に恵まれています。正室との間には子はおらず、全て側室の子どもです。

後の「御三卿」家系を輩出

吉宗の長男・家重は9代将軍を継いでいますが、次男の宗武(むねたけ)は田安徳川家を設立し、三男の宗尹(むねただ)は一橋徳川家を設立しています。そして、家重の次男・重好(しげよし)は清水徳川家を設立。この三家は「御三卿」を呼ばれました。

【6位】3代将軍・家光:6人

秀忠の息子・家康の孫である徳川家光は生涯で6人の子どもを授かりました。

もともとは男色家であったため女性に興味がなかった家光ですが、結果として6人の側室との間にそれぞれ1人ずつの子どもをもうけています。側室は子どもをもった6人以外にも2人おり、中でも「お万の方(永光院)」は家光に深く寵愛され大奥の実権を握ったことでも有名。

後の徳川幕府を継承する人物が次々と誕生!

家光の6人の子どもの中には、その後の徳川幕府を担う人物が多く誕生しているんです。

まずは「お楽の方」との間に生まれた家綱。跡取りとして誕生し、家光の死後は4代将軍となった人物です。

そして「お玉の方」との間に生まれた綱吉は、上野館林藩主となった後、家綱の死後は5代将軍の座に就いています。

さらに「お夏の方」との間の子どもである綱重は甲府藩主となり、その子どもである家宣(いえのぶ)が6代将軍になっています。

【6位】6代将軍・家宣:6人

6代将軍の家宣も6人の子をもちました。実は、家宣は将軍の在任期間が3年5ヵ月という短期間なので、将軍になる前にすでに4人の子どもが生まれています。

悲しい子どもとの別れ

家宣は正室・近衛熙子(このえひろこ)との間に1男1女ももうけています。しかし、どちらも生まれて間もなく夭折。

また、側室との子どもは4人いますが、2人は1歳にも満たないうちに亡くなり、1人も誕生から2年ほどで亡くなっています。

家宣が死去したときに生きていた唯一の子どもである3歳の家継が7代将軍の座に就きますが、満年齢で7歳に満たないうちに亡くなってしまいました。

家宣の子どもは全員成人することなくこの世を去っています。

【5位】2代将軍・秀忠:8人

家康の息子で2代目の将軍となった徳川秀忠(ひでただ)は8人の子をもうけ、そのうちの7人が正室のお江との間に授かっています。この二人はとても仲睦ましかったのだとか。

名君・保科正之も秀忠の子!

秀忠の子というと3代将軍の家光が有名ですが、実はお江ではない女性との間にも秀忠は男児をもうけているのです。それが保科正之です。

保科正之は名君として知られており、高遠藩、最上山形藩、陸奥会津藩の藩主も務めています。秀忠は政治の才がなかったといわれていますが、息子である保科正之は非常に有能で、その才を江戸幕府のために発揮しました。

【4位】初代将軍・家康:16人


江戸幕府初代将軍の徳川家康の子どもは16人。養子なども含めると合計38人もの子どもがいたそうです。

後の徳川幕府の礎となる人物が誕生!

家康の子どものうち、三男の秀忠は2代目将軍となったことでも有名。

そのほか、九男の義直(よしなお)、十男の頼宣(よりのぶ)、十一男の頼房(よりふさ)は、それぞれ尾張徳川家、紀州徳川家、水戸徳川家の始祖でもあります。この3つの徳川家は将軍家に次ぐ権威を持ち「徳川御三家」として徳川幕府を支えていました。

【3位】15代将軍・慶喜:21人

江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜(よしのぶ)は10男11女の合計21人の子どもがいました。このほかに死産してしまった子が2人います。

また、正室との間に1人の女子をもうけましたが、この子は生後4日ほどで亡くなっているため、子どもはすべて側室が産んだ子です。

10回以上出産した側室がすごい!

慶喜の子ども21人は、新村信(しんむらのぶ)と中根幸(なかねさち)という2人の側室から生まれています。新村信は10人、中根幸は11人(他、2人死産)を生んでおり、子どもたちも含めてみな仲が良かったのだとか。慶喜の勢力もさることながら、これほど何度も出産をした側室2人がすごいです……!

【2位】12代将軍・家慶:27人

11代将軍の家斉(いえなり)の子である徳川家慶は14男13女の合計27人の子どもを授かりました。正室の浄観院との間には3人の子をもうけ、側室は9人いました。

これほど多くの子宝に恵まれたのに……

27人もの子どもを授かりましたが、そのうち成人したのはなんと1人!後の13代将軍となる家定のみでした。

家慶が子どもを多くもったのは、父親に似て精力に溢れているからなのかと思っていましたが、本当は子どもが次々に亡くなってしまったためにやむをえず子作りをするしかなかったのかもしれませんね。

【1位】11代将軍・家斉:53人

家斉が授かった子どもの数はなんと53人!男子26人・女子27人の子宝に恵まれましたが、当時は子どもの死亡率が高かったこともあり、無事に成年になったのは28人といわれています。

15歳で将軍に就任して69歳で死去するまでの間、正室の広大院、20人以上の側室、“お手付”といわれる女性が20人以上と、多くの女性を愛しました。この数も諸説あり、正確な人数はわからない……というのですから、すごいことです。

華やかな大奥の裏では財政破綻!

これほど多くの側室がいれば、そこに仕える女性も増えるし、食事や着物など大奥にかける費用は莫大なものになることは想像に難くありません。また、多くの子どもがいたために養育費も相当な金額に。家斉自身、政治よりも遊興のほうが好きで派手な生活を送っていたため、あっという間に財政は傾きました。

男女事情は15人15色!子どもがいてもいなくても日本のためにがんばった!


徳川15代将軍のお家事情はさまざま。政治的背景から結婚や子作りを余儀なくされた将軍もいながら、自身の性癖や欲の赴くままに生きた将軍もいました。

しかし、どの将軍も当時の日本のトップという立場。どんなに奔放に生きているように見えても、気苦労は相当なものだったでしょう。

子どもがいてもいなくても日本のためにがんばった将軍たちに敬意を表します。

なお、どこでどうやって子作りしていたかについては、漫画でご覧ください(ランキング8位の方の時代が舞台です)


よしながふみ「大奥」1 (ジェッツコミックス)

アイキャッチは喜多川歌麿『風俗美人時計 子ノ刻 妾』より

「大奥」についての基礎知識はこちら

徳川将軍の妻たちが暮らした「大奥」ってどんなところ? 3分でわかる記事は以下よりどうぞ!

書いた人

東北で生まれ育ち、現在は東京在住。3児の母として、縁のある土地の郷土料理を食卓に出したり、日本の伝統的な遊びを子どもたちと一緒にしたりしています。着付けを習ったりアンティーク着物を集めたりする趣味がある一方で、相撲やプロレス観戦も大好き。ペットの犬1匹・猫2匹を溺愛しています。