イケメンでセクシーなモテ男が、実は凶悪な殺人犯だった!
危険な匂いのする男性はどこかミステリアスで、「近づくと危ない」と頭ではわかっていても、なぜか惹かれる女性たち……。
まるでドラマや小説の主人公になりそうな設定ですが、実在し、週刊誌やワイドショーをにぎわすこともあります。
そんな男が歌舞伎の世界にも登場することを知っていましたか?
イケメンだけど悪いヤツは、歌舞伎では「色悪(いろあく)」と呼ばれます。見た目は色白で二枚目のいい男。しかも、ものすごく色気のある女たらし。でも、内心は残忍で冷酷。平気で女性を裏切るだけではなく、裏切られた女性は、時には殺されて無残な姿に……。
この記事では、歌舞伎の「色悪」とはどんな役柄なのか、そしてなぜ女性は「色悪」に惹かれてしまうのか、その魅力を徹底解剖します!
「色悪」とは?
歌舞伎の「色悪」は、悪役・敵役(かたきやく)の一つです。歌舞伎の番附に載る役柄名であり、どちらかと言えば下の部類の役柄になります。つまり、「イケメンで色気のある悪役」ではありますが、ポジション的には、ややランクの落ちた悪役です。
「イケメンで色気もあるので女性にもてるものの、自分のためにしか生きていけないような男」であり、「ちょっと安っぽく、悪事をしてもロクなことをしない男」でもあり、「まともに働かず、いつもお金がないくせに、すぐに女に手を出す男」が「色悪」と呼ばれる男たち。しかも、「悪」がある分、単なるイケメンよりも女性にとっては魅力的に見えるのです! もしかしたら、魅力的でなければ「色悪」ではないのかもしれません。そして、「色悪」の男は、ヒロインだけではなく、客席にいる観客までも魅了するのです!
「色悪」の誕生
歌舞伎の役柄の中でも「色悪」は比較的後発で、若女形から立役に転向した水木竹十郎(みずき たけじゅうろう、1674~1721年)という役者によって始められたと言われています。
水木竹十郎は、初代水木辰之助に入門して若女形として修業をした後に江戸に下り、初代山中平九郎の娘婿となって、山中竹十郎として立役に転向。享保6(1721)年正月、山中竹十郎が工藤左衛門祐経(くどうさえもんすけつね)を演じた時に、初めてこの「色悪」という役柄が登場しました。
竹十郎の転向は、義父である平九郎の家の芸が「実悪(じつあく)」と呼ばれる悪人役で、婿である竹十郎に継がせたいという意志によるものでした。竹十郎は元々女形である上に容姿端麗で、「悪」とは反対の資質をもった役者であり、同時に、竹十郎は真女形や純二枚目の役者としては邪魔になりかねない、きりっとした強さを持った役者でした。平九郎は、竹十郎の役者としての資質を見抜き、それを「悪」の性根作りに積極的に応用することをすすめたことにより、竹十郎を元祖とする「色悪」が生まれたのです!
しかし、竹十郎がやがて年取って「色(色気)」があせた時にこそ、家の芸である真の「実悪」役者になって欲しい、という義父・平九郎の期待もむなしく、「色悪」という役柄が登場した年の9月17日、竹十郎は病気により急逝。竹十郎は「実悪」に進むことなく、「色悪」役者のまま亡くなったのです。
このように「色悪」の誕生には、女形・二枚目立役の役者を家の芸を継承させるために悪役にしなければいけなかったという理由が存在したのですが、「色悪」という種類の役柄は、歌舞伎の中にはぜひ欲しい役柄でもありました。「色悪」という役柄が生まれたことで、それまでの単純だった歌舞伎の構成や役柄を複雑にし、ドラマとしても、演技や演出に幅と深みを加えることに貢献したのです。
「色悪」とは、こんな役
表面はやさしく、イケメンで善人、あるいは、少なくとも極悪人には見えない姿ではあるものの、いざとなると悪人の本性を現し、平気で女をだましたり、裏切ったり、殺したりするという二面性を持った男が「色悪」と呼ばれる役柄です。歌舞伎の代表的な役としては、『東海道四谷怪談』の民谷伊右衛門(たみや いえもん)、『盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)』の薩摩源五兵衛(さつま げんごべえ)、『色彩間刈豆(いろもようちょっとかりまめ)』の与右衛門などがあります。
『東海道四谷怪談』『盟三五大切』は、いずれも四世鶴屋南北が作者で、江戸時代後期の文化文政時代(1804~1830年)の頽廃的な世相を背景にして「色悪」の役柄が登場します。それまでの敵役とは異なる「色悪」は、昔も今も舞台に悪の華を咲かせて観客を魅了しています。
この記事では、『色彩間刈豆』の与右衛門を取り上げ、「色悪」とはどのような役なのか、さらに詳しく見ていきます。
『色彩間苅豆~かさね』の与右衛門は、こんなにも悪いヤツ
『色彩間苅豆~かさね』は、文政6(1823)年6月、江戸・森田座で初演された『法懸松成田利剣(けさかけまつなりたのりけん)』の二番目序幕にあたります。『法懸松成田利剣』の作者は四世鶴屋南北ですが、清元舞踊『色彩間苅豆』は二世松井幸三が作詞、清元斎兵衛が作曲しました。
『色彩間苅豆』は、大正時代に六代目尾上梅幸、十五代目市村羽左衛門によって復活。清元延寿太夫の美声とともに一躍人気となり、現在もたびたび上演されています。
『色彩間苅豆~かさね』のあらすじ
武家に仕えていた与右衛門は、腰元(身分の高い人に仕えて雑用をする女性)・かさねと深い中になりましたが、当時、同じ家中での恋愛は赦されないものでした。(武家奉公では、社内恋愛は禁止でした。)
そこで、二人は心中をしようと約束をしましたが、与右衛門は書置きを残して出奔。追ってきたかさねと、木下川堤(きねがわづつみ)で再会します。与右衛門の子を身ごもっていたかさねは「一緒に死のうと約束していたのに」とすがりますが、与右衛門は「訳あって、一緒に死ねない」と言います。
その時、川面に鎌の刺さった髑髏(どくろ)が卒塔婆(そとうば)に乗って流れ着きます。与右衛門が拾い上げて鎌を引き抜くと、美しかったかさねの顔がたちまち恐ろしい形相に!
実は、かさねの姿が醜く変わったのは、与右衛門が犯した悪事の因果で……。
年の差カップル
この作品では、かさねと与右衛門は18歳の年齢差があります。
与右衛門は久保田金五郎という名前の時、羽生村の百姓助の女房・お菊と密通。現場に踏み込まれて、菊は火箸で夫の目を、金五郎は出刃で助の左足を傷つけて逃れました。
その後、病死した菊の回向をするところへ、幼い女の子を抱いた助がやってきて、金五郎と乱闘になります。助は鎌で惨殺され、女の子は川に流されます。この時、金五郎は20歳ほど、女の子は後のかさねで、2歳でした。
『色彩間苅豆』は、それから15年後の話なのです!
かさねの変貌と最期
腰元・かさねは、同じ家中の壮年のイケメン男との恋に溺れましたが、世慣れた男にとっては遊びでしかなく、しかも、男は母の密通相手であり、父を殺した犯人でした。何も知らないかさねの身の上に、恐ろしい因果が襲いかかります。
かさねは、漢字で書くと「累」。まさに、重なる因果を象徴する名前と言えます。
『色彩間苅豆』は、男と女の心のすれ違いに深い因果が絡む舞踊劇で、清元の名曲に乗せて、恋模様と惨劇が舞台の上で繰り広げられます。
前半では与右衛門とかさねの美男美女による艶やかな道行を見せますが、髑髏と卒塔婆が流れてくることで舞台は一変。かさねの顔は醜く変化し、与右衛門はその場からにげるために、邪魔なかさねを殺そうとします。かさねは仇なる恋に迷ったその身を嘆き悲しみながらも、血みどろになって与右衛門を追いかけます。
壮絶な立廻りの末、かさねは橋の上で殺される。与右衛門は逃げていきますが、怨霊となったかさねの霊力で引き戻されます。「連理引(れんりびき)」という見えない力に翻弄される演技が与右衛門役者の見せ場でもあるのです!
かさね伝説
かさね伝説の中で最も流布したのが、元禄3(1690)年に出版された仮名草子『死霊解脱物語聞書(しりょうげだつものがたりききがき)』で、祐天上人の教えを広めるための本でもありました。この話は、江戸時代初期、慶長17(1612)年から寛文12(1672)年までの60年にわたって、下総国岡田郡羽生村(現在の茨城県常総市羽生町付近)で繰り広げられた実話に基づくとされています。
母が連れ子の助を殺した因果のため、かさねは助の姿そのままに醜く片目と片足が不自由に生まれついました。かさねは成長しましたが、夫となった与右衛門に、苅り豆を背負っているところを殺されて怨霊となり、後妻を6人まで取り殺します。
そして、6人目の妻が生んだ娘・菊に取りつき、与右衛門に襲いかかりますが、祐天上人の法力で解脱します。続いて、助も菊に取りつき、再び祐天上人が解脱させました。
東京・目黒の祐天寺には、祐天上人によって解脱したかさねを祀る累塚があり、羽生町の法蔵寺にはかさねの墓があります。
かさね伝説は、初世桜田治助(さくらだ じすけ)作『伊達競阿国戯場(だてくらべおくにかぶき)』(安永7(1778)年)、四世鶴屋南北作『阿国御前化粧鏡(おくにごぜんけしょうのすがたみ)』(文化10(1813)年。通称「湯上りの累」)、『法懸松成田利剣』など、歌舞伎にも取り入れられています。
「色悪」は、演じる役者も魅了する!
十五代目片岡仁左衛門さんは、「演じる心-悪の色気を語る」(『演劇界』 2009年3月号)で次のように語っています。
色悪に限らず主役級の悪役は、お客様に「あいつ本当に悪い奴だ。腹が立つ」と思われながらも何か魅力を感じていただけるような人物にしないといけません。でも、悪役は演じていて面白い。役者として化ける振り幅が大きいし、自分のなかにもどこか残虐性が潜んでいるかもしれない。演じる悪の面白さは役の大きさに拘りません。大物も小物も、悪人は悪人でそれぞれ自分の人生を一生懸命に生きている。その人物の生きざまを演じるのが面白いんですよ。
このように、「色悪」は、演じる役者も魅了しているのです!
もしかしたら、魅力的でなければ「色悪」にはなれず、ヒロインに限らず、「悪いヤツ」だとわかっていていたとしても贔屓にしたくなる歌舞伎の男こそが「色悪」と呼ばれるのかもしれません。
主な参考文献
- 『河竹登志夫歌舞伎論集』 河竹登志夫著 演劇出版社 1999年12月 p.314~327 色悪考
- 『演劇界』 2009年3月 「巻頭大特集 色悪の魅力」
- 『新版歌舞伎事典』 平凡社 「色悪」の項
- 『新版歌舞伎事典』 平凡社 「色悪」の項
- 歌舞伎演目案内「色彩間苅豆~かさね」(Kabuki on the web)