日本文化の入り口マガジン和樂web
6月14日(月)
人間はあやまちを犯してはじめて真理を知る(三島由紀夫)
日本文化の入り口マガジン 和樂web
日本文化の入り口マガジン 和樂web
6月14日(月)

人間はあやまちを犯してはじめて真理を知る(三島由紀夫)

読み物
Culture
2021.02.07

父・頼朝の下した非情な決断とは。南沙良演じる悲劇の姫君、大姫の生涯【鎌倉殿の13人予習シリーズ】

この記事を書いた人

鎌倉御家人・三浦胤義(たねよし)が語る! 令和4(2022)年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』予習シリーズ! オレが何者かは第1回参照なッ!

第7回は、頼朝様と尼御台(あまみだい=北条政子)の愛娘(まなむすめ)「大姫(おおひめ)」! 大姫っていうのは、「長女」という意味で、固有名詞ではないんだ。本名は伝わっていない。

日本には古来から本当の名前を知られてはならないという風習があって、鎌倉時代には男はあまり関係なくなったんだが、女の名前はまだまだ隠されていてな……。尼御台の「北条政子」だって朝廷が尼御台に便宜上つけた名前で、尼御台自身は政子と名乗っていないどころか、自分が政子と呼ばれている事すら知らなかったと思う。女の本当の名前は、実の両親と夫しか知らないものなのだ。

え!! 政子って名前じゃなかったんですね!! びっくり!

さて、大姫の話だが……実は大姫はオレが元服する前に、若くして亡くなってしまってのう。でも、三浦に遊びに来た事があってお会いした事があるぞ! なんというか口は笑っていても、目はいつも悲しそうにしていたなぁ。心ここにあらずって感じで……。

というわけで今回は、ちょっと悲しい話だ。ネタバレっぽくなるので、真っ白な状態でドラマを楽しみたい人は、ここでストップだぞ!

くっ…… 気になるので、読みます!

時代に翻弄された幼い恋物語

大姫が生まれたのは治承2(1178)年と言われているが、安元2(1176年)年説もある。どちらにせよ、源平合戦が始まる前。頼朝様が流人(るにん)生活を送っている最中だった。(なぜ流人なのかは第1回参照)

治承4(1180)年に頼朝様は挙兵し、鎌倉で武士の都を造ることになり、大姫は鎌倉幕府の尊い姫となった。そして鎌倉の姫として暮らして3年後。寿永2(1183)年に6歳(あるいは8歳)の大姫の元に11歳の少年がやってきた。頼朝様の従兄弟、木曾義仲(きそ よしなか)殿の息子である義高(よしたか)殿だ。

頼朝様と木曾殿は従兄弟ではあるんだが、親の代で骨肉の争いがあって……。頼朝様のお父上の命令によって、木曾殿のお父上が殺されちゃってるんだ。因縁がオオアリなんだけど、世は「打倒平家」の機運が高まっている。親戚同士で争っている場合ではないというわけで、義高殿を大姫の婿とすることで和議を結んだんだ。いわば人質だな。

そんな大人の事情を知ってか知らずか、大姫は義高殿をとても気に入った。いつも仲良く遊んでいたらしい。木曾殿は史実イケメンなので、義高殿も美少年だったんだろうな。

幸せそうで良かった♡

で、前回の宗盛殿の記事でもチラリと書いたように、木曾殿は京を攻めて平家を追い払ったが、京人に嫌われてしまい、木曾殿追討命令が鎌倉幕府に出された。

そこで頼朝様は非情と言える決断を下した。

「愛娘」か「鎌倉」か、迫られた決断

頼朝様の命令で、鎌倉の軍勢が木曾殿を討伐するために京へ向かった。そして寿永3(1184)年1月に、木曾殿を討ち取る。

ちなみに木曾殿を討ち取ったのは、オレの親族である三浦党の石田為久(いしだ ためひさ)だ! かの石田三成が為久の子孫を自称しているよ! ……と、それはおいといて。

木曾殿を討ち取った知らせを受けた頼朝様は、義高殿の処遇を考えなくてはいけなかった。愛娘の幼い恋人、しかしその父を殺してしまった。残された息子がどうなるかを、頼朝様はよく知っていた。なんせ、今まさに平家を打ち滅ぼさんとしている頼朝様は、平家によって父を殺され、平家によって助命されたのだから。

まさか……!! やめて、頼朝!!

生かしておけば、必ず鎌倉幕府を滅ぼそうとするだろう。頼朝様はそう考えて、義高殿を殺す事に決めた。しかしその決断はすぐに大姫にもバレた。

恋人を逃がせ! 大姫の機転

大姫は明け方に義高殿を女装させて、侍女たちに託して逃がした。そして義高殿と同い年の男児を身代わりにして、義高殿といつもそうしているように双六で遊んだのだ。その入れ替わりは、案外なかなか気づかれなかったが、夜になって流石にバレた。

頼朝様は大激怒して義高殿に追っ手を差し向け、討ち取ってしまった。この事は大姫には内緒にしていたのだが、すぐにバレてしまい、真相を知った大姫はショックの余り病をわずらってしまったのだ。

それが武士の世と言えども……。幼い夫婦が、あまりにかわいそうです。

幼いながらも、命を燃やした生涯ただ1度の恋

それ以来、大姫は床に伏している事が多くなっていた。……義高殿のできごとはオレが生まれる前だから、オレは祭事でも、宴会の席でも、いつもぼんやりと座っているだけの大姫しか知らない。

縁談はいくつもあったんだが、「勝手に縁談を進めるなら、身を投げて死んでやる!」なんて言ってさ。でも、大姫は最終的に後鳥羽院……当時はまだ天皇だな。後鳥羽天皇へ嫁ぐ事が決まってしまった。これはさすがに拒否することができなかった。

でも、大姫は重い病にかかってしまい、京へ行かぬまま建久8(1197)年に、20歳(あるいは22歳)で亡くなったよ。まるでかぐや姫みたいな人生だな……。

天国で義高殿と仲良く暮らしているといいなぁ。

大姫役、南沙良殿について

そんな大姫を演じるのは、南沙良殿! 大きくてキリっとした目が印象的な美少女だな! どことなく、この眼力が尼御台役の小池栄子殿にも似ている……。この健康的な美少女があの大姫を……? この時点でハラハラしてしまう!

『頼朝の愛娘(まなむすめ)。純朴な少女は父の野望に巻き込まれていく──』

過酷な運命をたどった大姫ですが、これから演じていく中で私の中に出来上がる大姫が、どのように仕上がるのか、不安よりも期待のほうが大きくなっています。歴史はひとつでも、その時代を生き、駆け抜けた大姫の物語に正解はなく、演じる物語は未来の私の一部になると思います。

NHK_PRサイト 南沙良のコメントより抜粋

これは、ものすごい覚悟が伝わる……! 女優としての魂を賭けるような気迫を感じる! 悲しみと共に語られがちな、儚くも情熱的な大姫の人生を、どう演じてくれるのか期待!

『鎌倉殿の13人』、大姫の登場がめちゃくちゃ楽しみになりました!!

書いた人

承久の乱の時宮方で戦った鎌倉御家人・西面武士。妻は鎌倉一の美女。 いわゆる「歴史上人物なりきりbot」。 当事者目線の鎌倉初期をTwitterで語ったり、話題のゲームをしたり、マンガを読んだり、ご当地グルメに舌鼓を打ったり。 草葉の陰から現代文化を満喫中。