Art
2021.05.15

30年間準備し続ける謎の組織?近現代美術の宝庫「大阪中之島美術館準備室」に潜入!

この記事を書いた人
この記事に合いの手する人

この記事に合いの手する人

ここ2~3年耳にする気になる噂が、「大阪の中心部・中之島に、新たな美術館ができる」という話。「どうやら、すごい所蔵品を持っているらしい」「30年前から計画されていたらしい」など、断片的な情報は入ってきていたのですが、最近では、中之島に大きな美術館の建物が登場し、関西圏の美術ファンの間ではますます期待が高まっています。

建設中の大阪中之島美術館。中央の黒い建物が美術館。手前には堂島川が流れ、建物の奥には国立国際美術館と大阪市立科学館が見える ©大阪中之島美術館準備室
巨大な黒い建物が! たしかにこれは気になります。

新しくオープンする美術館の名称は、「大阪中之島美術館」。国内外の近現代美術に特化した美術館で、オープンは令和4(2022)年2月2日の予定とのこと。新しい美術館の情報が日々発信される中、筆者が以前から気になっていたのが、情報の発信源である「大阪中之島美術館準備室」の存在です。

準備室??

一体どんなところなのか……?

調べによると、この準備室が生まれたのは、なんと、平成2(1990)年。日本がバブルに湧いた時代に発足し、それから30年に渡り、美術館の開館準備を続けているらしい……。

え! なんでそんな長い時間に渡って準備を?

「30年の間に何があったのか?」「新しい美術館はどんな美術館なのか?」そんな疑問が次々と湧き起こり、「大阪中之島美術館準備室」に潜入取材を行いました!

さて、みなさん! この「大阪中之島美術館準備室」、一体どんな場所にあると思いますか? 「まぁ、大阪市内のどこかのビルの一室にあるんじゃないの?」そう思いますよね?

思う思う。

今回の取材を快く承諾してくださった「大阪中之島美術館準備室」から、取材場所として教えられた準備室の住所を見て、その意外な場所に私は目を疑いました。

 

「大阪市中央卸売市場……?」

 

「市場ってあの市場ですか?」私が広報さんにお伺いすると、広報さんは「えぇ、市場です。トラックなんかが出入りしている感じです。」とサラリとご返答。

謎が深まるぞ……!

ま、まさか……、アートの殿堂である美術館の準備室が、魚や野菜が威勢よく売り交わされる中央卸売市場にあるなんて……! 予想外の展開に少々面喰いましたが、私は大阪市中央卸売市場に潜入してまいりました。

市場へ潜入! 和樂webのアート関連記事では初めての流れです。

取材当日、初めて足を踏み入れる、磯の香り漂う大阪市中央卸売市場の独特の雰囲気に、興味津々の私。「いかんいかん、今日は美術館の取材だぞ!」と思い直し、ターレーが行き交う市場を抜けてたどり着いた先にあったのは、農協関連の事務所などが入る立派なオフィスビルのような建物でした。少し胸を撫でおろして、いざ「大阪中之島美術館準備室」に向かいます!

ドキドキ。

準備室の中は、整然とデスクが並ぶきれいなオフィスといった様子で、たくさんの方がお仕事をされていました。「ここが準備室かぁ……。」

準備室でにこやかに私を待ち受けてくださったのは、この美術館のプロジェクトに30年間携わって来られた、大阪中之島美術館の菅谷富夫館長です。

大阪中之島美術館 館長・菅谷富夫氏

30年間、時代の荒波に揉まれた美術館準備室

── 今回、大阪に久々に大きな公共文化施設が生まれると知り、とても楽しみにしています。

菅谷:これだけ大規模なものは久々ですよね。「もうこれが最後なんじゃないか。」そういう声すら聞かれます。

── ずいぶん長く準備をされていたと伺いました。準備室に入られた時、菅谷さんはおいくつだったんですか?

菅谷:僕は平成4(1992)年の春に34歳で大阪に来て、準備室の学芸員になりました。準備室ができて2年後のことです。

── 34歳ですか、それは長い年月ですね……。そもそも、大阪中之島美術館プロジェクトの発端は何だったんでしょうか?

菅谷:一つに大阪市100周年事業で何をしようかなということがありました。この構想が持ち上がったのが昭和58(1983)年のことです。

それと時を同じくして、大阪市に佐伯祐三の作品をはじめとする「山本發次郎コレクション」が寄贈されたこと。また、一方で、大阪大学医学部が中之島から引っ越しすることが分かり、大阪の中心である中之島4丁目から何もなくなってしまう状態は大阪として芳しくないので、大阪市が中心になって何かしようという動きもありました。

そういういくつかの条件が重なって、「中之島4丁目に近代美術館を作る」というプロジェクトが始まったと聞いています。

── 場所は、当初から中之島のこの場所に決まっていたんですね。

菅谷:そうです。土地は平成10(1998)年と平成15(2003)年の2回に分けて国から購入して、その間に埋蔵文化財の調査や土壌調査が入りました。

── かなり広い面積ですもんね……。

菅谷:ええ、驚くことに2回目の購入時には、1回目の半額になっていましたね。でも、ようやくそれらがすべて終わった頃には時代は変貌していました。平成14(2002)年には、大阪市に「財政非常事態宣言」が出され、新しい美術館に着工するという状況ではなくなっていたんです。

──「いよいよ、これから!」という段階でストップがかかったんですか。

菅谷:そもそも、数十年前に考えていた美術館をそのまま作ることができるわけはなくて、その間、時代とともに市民から求められる美術館というのも変わってきていますから、当然のことながら、計画も作り直さなくてはならないですよね。

── なるほど、30年前の構想がそのまま今の形になっているわけではないんですね。

菅谷:そうです。そうして平成21(2009)年には、「近代美術館あり方検討委員会」が発足して、時代にあわせた美術館の在り方を検討し、大阪市に提出しました。それがよい評価を得たので、「よし、やろうか!」となったんです。

── ついにですか……!?

菅谷:ところがちょうどその頃、市長が変わり、今度は「もう一回一から必要性を議論しましょう」ということになりまして。ここでプロジェクトは一度白紙に戻りました。

──またしても、プロジェクト存続の危機ですか……!

菅谷:それから再度、美術館の必要性を見直す戦略会議で議論を進めることになりました。最終的に現在の美術館の計画ができたのは、平成26(2014)年のことでした。

大阪中之島美術館 外観イメージ 設計:遠藤克彦建築研究所(提供:大阪市)

── 2014年にできた美術館像が今現実化してきているということですか。30年というと長い年月ですが、こうやって見ると、休んでいた期間はなく、常にプロジェクトは動き続けていたんですね!

菅谷:そうなんですよ。作品もずっと増え続けていますし、大阪市内で展覧会も開催してきています。90年代には南港の大きなホールで、コレクション展をはじめ、エルミタージュ美術館展やピカソ展といった企画展を年に2~3回企画して開催していました。

また、平成16(2004)年~平成24(2012)年の間には、コレクションの展示を行なう「心斎橋展示室」を開館しました。そういった意味で、美術館の建物こそなかったですが、コレクションも増えていましたし、展覧会も開催していて、何もしないでじっとしていたわけではありません。

── 「大阪中之島美術館準備室」を母体として、ずっと活動をされていたんですね。

菅谷:所蔵作品の貸し出しもたくさん行なってきました。「どこの展覧会に行っても大阪中之島美術館準備室の作品があるけど、一体どれだけ持ってるの?」なんて、聞かれることもあります(笑)。

── 美術館の計画は大きく2度変更していると伺いましたが、どのように変更されたのでしょうか?

菅谷:最初は、バブルという時代背景もあり、「中之島に大きな近代美術館を作ろう」という計画でしたが、二度目のプランでは少し規模を縮小し、「市民協働型の美術館」というような方向性に。そして、現在進行している三度目のプランでは、インバウンドも含めた集客的な考え方を採り入れるとともに、経営の方でも、「PFIコンセッション方式」という方法を採用し、大阪市だけではなく、民間企業と協力しながら運営を進めていく方針になっています。

※PFI・・・・・・公共施設などの設計、建設、運営において、民間の資金とノウハウを活用し、公共サービスの提供を民間主導で行うことで、より効率的なサービスの提供を図るという考え方。

── 公共の施設ですけれども、市が運営していくというわけではなく、民間が運営されるんですね。

菅谷:そうですね、そこが他の市立美術館とは違うところですね。

大阪中之島美術館の中はこうなっている!

── 現在、新しい美術館が建設中ですが、中はどのようになっているのでしょうか?

菅谷:こちらが展示フロアのフロアマップです。建物は5階建てで、3階が収蔵庫、4階と5階に合計5つの展示室があります。基本的には、4階はコレクション展示フロア、5階が企画展示フロアという想定をしています。

4階は屏風など、日本画の大型作品が展示できるよう、60メートルのガラスケースを用意しています。一方、5階は天井高を6メートルで設計していて、現代アート作品など幅広い作品に対応できるように考えています。

日本画などの大型作品の展示に対応した4階展示室

4階の展示室は合計約1,400㎡、5階は合計約1,700㎡です。今、日本で一番大きい企画展の展示室が六本木の国立新美術館の展示室で、2,000㎡程あると聞いていますが、会場レイアウトなどを工夫すれば、新美術館規模の展覧会を大阪で開催することも不可能ではないということです。

── それは、楽しみです! 関西から東京に展覧会のためにわざわざ遠征することも多いですから……。

菅谷:ある調べによると、東京の巡回展が大阪に回ってくると、大体東京の3分の2くらいの来場者があるらしいんですよ。それだけの需要があるにも関わらず、大阪の美術館の数は、東京に比べて圧倒的に少ない。こういう会場があれば、今まで関西で観ることができなかった展覧会や作品も観ることができるようになる、そうしたいと思っています。

── 建物の特徴を教えていただけますか?

菅谷:1階と2階は、カフェやショップが入る無料ゾーンで、真ん中に展覧会入場者以外の方でも自由に通り抜けができる通路(パッサージュ)があります。

大阪中之島美術館 内観イメージ 設計:遠藤克彦建築研究所(提供:大阪市)

4階から見下ろしたパッサージュを見下ろしたところ(竣工内覧会時の様子)

菅谷:これは、単なる通路ではなくて、両サイドにホールやショップ、カフェなど色々な機能がそこにあり、ちょっと寄っていこうかということも可能ですし、ぶらぶら通り過ぎていただくこともできるスペースになっています。1階のカフェは美術館の外から直接入れる構造にしていますので、美術館の鑑賞後はもちろん、それ以外の時でも気軽に利用していただけます。

── 中を通り抜けできるのは、助かりますね。中之島は一つひとつの施設が大きくて、建物の周囲を回るのが大変な印象がありますから。

菅谷:そうですね。出入口を多く設けて、色々な方向からアクセスできるようにしています。国際美術館側と関電ビル側には、それぞれ連絡デッキもできます。堂島川側には芝生広場も計画していて、イベントなどもできればと考えています。

── 国際美術館と連絡通路で繋がるんですか! 展覧会の梯子がしやすいですね。

国内外の近現代美術約6,000点を収蔵。近代デザインに関する作品も

── 気になるご所蔵品についてですが、現在どのくらいの点数があるのでしょうか?

菅谷:日本と海外の近現代美術を中心に、約6,000点の作品を所蔵しています。

── 現在、6,000点ですか。日に日に増えている気がしますね。作品の内訳はどのようになっていますか?

菅谷:20世紀前半の西洋近代美術を中心とした、海外の作品が約800点。残りの作品は日本の作品で、その中には油彩約400点、日本画約200点、水彩・素描約600点などが含まれます。

── 日本美術の作品の方が多いんですね。デザインの分野の作品も所蔵されていると伺いましたが。

菅谷:日本の美術館では、絵画、彫刻、それから工芸とくることが多いんですが、工芸といえば、やはり関西では京都があって、それを後から追いかけるのも大変ですし、大阪という街の特徴を考えると、産業都市としての性格もあるので、近代デザインに力を入れたらどうだということで、この方針が決まったと聞いています。

コロマン・モーザー≪アームチェア≫ デザイン1903年/製造1903~04年頃

──通常のコレクション展示では、日本の作品、海外の作品、デザイン作品などを満遍なく観られるのでしょうか?

菅谷:はい、そのように予定しています。

──個人的に、大阪中之島美術館で拝見するのが非常に楽しみな作品がありまして、重要文化財に指定されている、福田平八郎の「漣(さざなみ)」(リンクを開くと、大阪中之島美術館コレクション所蔵作品ページにて作品をご覧いただけます。) なのですが……。以前、他館の展覧会で拝見して感動したのですが、こちらが大阪中之島美術館のご所蔵品だと知り、驚きました!

菅谷:そうなんです。「漣」は、水面を描いた日本画の作品ですが、当時としてはとても前衛的な作品でした。福田平八郎自身は、「釣りに行って描いた絵」なんて言っているようですが、この絵には何枚もの下描きが残されていて、念入りに計算されて描かれた作品です。銀地の部分は、絹地に金箔を押した上にプラチナ箔が重ねられています。これには、表具屋が間違えて金箔の屏風を持ってきたので、その上からプラチナ箔を貼って描いた、という逸話がありますが、いやいや初めから計算して作られたものだ、という説もあり、実際どちらかは分かりません。ただ、金箔の上にプラチナ箔を重ねていることで、通常の銀地よりも温かみが出ていると思います。当館に収蔵された時には屏風だったのですが、当館の方で元の一枚の絵画の形に戻しました。

── 制作当初の姿に戻ったのですね! 「漣」をホームグラウンドで鑑賞できるのがとても楽しみです。

ついにヴェールを脱ぐ、珠玉のコレクションから、一部作品を先取りしてご紹介!

数ある大阪中之島美術館コレクションの中から、今回の和樂webの記事では、日本の作家の作品に注目して、その目玉作品の一部をご紹介させていただきます!

目玉作品4点を鑑賞してみましょう。

土田麦僊 ≪散華≫

土田麦僊≪散華≫中央(6曲1双) 大正3(1914)年

左右(2曲1双)

こちらの作品は、日本画コレクションの中でも特に大規模な作品の一つ。中央に4曲、左右それぞれに2曲の屏風が配置されるという変則的な組み合わせで、全屏風の幅をあわせると720cmを越える大作です。中央の屏風には手に蓮の花を持ち舞い踊る2人の菩薩、左右の屏風には4人の供養僧、人物の周りには軽やかに舞う散華(仏を讃え供養するために散布する花)が描かれています。

今にも笑い声が聞こえてきそう!

当時27歳だった作者の土田麦僊(つちだばくせん)はこの作品を描いた大正3(1914)年に、奈良の古社寺・博物館などをめぐり古美術の調査を行なっており、本作はその成果をもとに制作されました。また、本作の菩薩像の肉感的な肢体は、新聞広告で募集した女性モデルを参考にして描かれたそうです。躍動感と静謐さ、現実と非現実が同居する幻想的な一作です。

金森観陽 ≪南蛮来≫

金森観陽≪南蛮来≫左隻 大正7(1918)年

金森観陽≪南蛮来≫右隻 大正9(1920)年

大阪中之島美術館では、大阪にゆかりのある作家の作品を多く収蔵しているのも一つの特徴です。一風変わったこちらの作品の作者は、明治~昭和初期にかけて大阪画壇で活躍した日本画家・金森観陽(かなもりかんよう)。桃山時代の南蛮貿易をテーマに、左隻には、船から降ろされた積み荷の様子、右隻には沖合に浮かぶ巨大な南蛮船とそれを見物する人びとが描かれています。

ブルーとゴールドの対比が鮮やか!

左隻を見てみましょう。左奥には長いペルシャ絨毯を運ぶ異国の水夫たちが歩いています。画面手前に描かれているのは、檻に入れられた虎。周囲を舶来の動物を物珍しそうに眺める人びとが取り囲んでいます。画面右端には美しい孔雀の尾がチラリ、その隣で、宣教師と武士が肩を並べています。明るい色彩で、登場人物や当時の風俗を活写したユニークな作品です。

村上華岳 ≪雲上散華之図≫

村上華岳≪雲上散華之図≫ 昭和13(1938)年

こちらは、大阪で生まれ、大正~昭和初期に関西で活躍した村上華岳(むらかみかがく)の作。晩年、画壇との接触をほとんど断っていた華岳は、山水画と仏画の制作を通じて精神世界を追求しました。本作は、華岳が死の前年に描いた作品。散華の入った高坏を手に、雲の中を浮遊する菩薩の姿が描かれています。

ずーっと観ていたくなります。不思議な画面です。

「線の行者」であることを自らに課した華岳。菩薩は華岳特有の繊細な線で象られ、天空には金泥、立体感のある雲にはアルミ泥が用いられています。何点かある散華菩薩像の内でも特に完成度が高く、見れば見るほど鑑賞者を引き込む不思議な作品です。

佐伯祐三 ≪郵便配達夫≫

佐伯祐三≪郵便配達夫≫ 昭和3(1928)年

最後にご紹介するのは、洋画家・佐伯祐三(さえきゆうぞう)の作品で、大阪中之島美術館の根幹を成す「山本發次郎コレクション」の中の1点。当館では、佐伯祐三の初期から最晩年の作品までを収蔵し、その所蔵作品は第一級の規模と内容を誇ります。本作は、大阪で生まれ、フランスに渡り、30歳という若さでこの世を去った佐伯の絶筆に限りなく近いと考えられる代表作。病に侵された佐伯は、偶然アトリエを訪れた美しい髭をもつ郵便配達員の老人にモデルを頼み、最初に半身像を、翌日にこちらの全身像を描いたといわれています。(半身像も大阪中之島美術館所蔵)

たまたま訪れた老人がモデル!

椅子に腰をかけた制服姿の郵便配達夫の体は左に大きく傾き、輪郭は直線的にデフォルメされています。目は大きく見開かれ、手元のタバコから立ち上がる煙が印象的です。死の淵に立ってもなお描くことをやめない画家の気迫が感じられる名作です。

開館記念展覧会は、『Hello! Super Collection 超コレクション展 』と『モディリアーニ展』

注目の大阪中之島美術館開館記念展覧会は、第一弾として、『Hello! Super Collection 超コレクション展 ―99のものがたり―』(2022年2月2日(⽔)~3⽉21⽇(⽉・祝))を開催します。本展では、大阪中之島美術館コレクションの中から代表的な作品を厳選して展示。また、それぞれの作品が収蔵に⾄るまでやその後の展⽰活動の中で人びとと紡いできた物語もあわせて紹介されます。本記事で紹介した作品も出展されるかもしれません!

続く第二弾は、『モディリアーニ展 ─愛と創作に捧げた35年-』(2022年4月9日(土)~ 7月18日(月・祝))を開催。イタリアで生まれ、フランスに渡り、エコール・ド・パリの一員として活躍した、アメデオ・モディリアーニ。当館が所蔵する「髪をほどいた横たわる裸婦」(1917年)をはじめ、国内外から集められたモディリアーニ作品を一堂に展示するともに、同時代のパリを拠点に繰り広げられた新しい動向や多様な芸術の土壌を示し、モディリアーニの芸術が成立した軌跡をたどります。

アメデオ・モディリアーニ≪髪をほどいた横たわる裸婦≫ 1917年

また、開館記念公演として、美術家の森村泰昌と⼈形浄瑠璃⽂楽の⼈形遣い・桐⽵勘⼗郎によるコラボレーション公演「森村泰昌×桐⽵勘⼗郎創作公演プロジェクト「⼈間浄瑠璃」(仮)」も開催されます。

⼈形浄瑠璃⽂楽の⼈形遣い・桐⽵勘⼗郎(左)、現代美術家・森村泰昌(右)。森村泰昌×桐⽵勘⼗郎創作公演プロジェクト「⼈間浄瑠璃」(仮)

大阪の上野!?文化施設が続々オープンする大阪・中之島から目が離せない!

さてさて、大阪中之島美術館のオープンが心待ちにされる大阪・中之島エリア。関西以外の方の中には、「どんなエリアなの?」という方も多くいらっしゃるかと思います。中之島は大阪の中心部(梅田からバスもしくは地下鉄を利用すると10分強)にある、堂島川と土佐堀川に挟まれた中洲です。大阪中之島美術館以外にも、「国立国際美術館」、「大阪市立科学館」、「大阪市立東洋陶磁美術館」、「大阪市中央公会堂」、「大阪府立中之島図書館」などの文化施設があるエリアなのですが、3年前には、日本と東アジアの美術品を展示する「中之島香雪美術館」、昨年は建築家・安藤忠雄氏が大阪市に寄贈した「こども本の森中之島」がオープンし、文化芸術の発信地としてますます活気を帯びてきています。例えて言うなら、上野です、上野。公園があって、科学館があって、公会堂があって、美術館の梯子ができる、そんな大人も子どもも一日楽しめるエリアです。ぜひ、みなさま、レジャーや出張で大阪にお越しの際は、水と緑に囲まれた芸術の島・中之島でのんびりアートめぐりを楽しまれてはいかがでしょうか?

大阪・中之島にある文化施設(スマートフォンの場合は、画面を横にしてご覧ください。)

大阪中之島美術館概要

19世紀後半から今日にいたる日本と海外の代表的な美術作品を核としながら、地元大阪で繰り広げられた豊かな芸術活動にも目を向け、約6,000点の作品を所蔵。コレクションの領域は、洋画、日本画、海外の近代絵画、現代美術、版画、写真、彫刻、デザインなど多岐に渡る。国内外のさまざまな分野の優れた作品や動向に注目した企画展を開催。令和4(2022)年2月2日オープン。

住所: 大阪府大阪市北区中之島4丁目
アクセス:京阪中之島線 渡辺橋駅より徒歩約5分、Osaka Metro 四つ橋線 肥後橋駅より徒歩約10分
webサイト:https://nakka-art.jp/
Twitter:https://twitter.com/nakkaart2022
Facebook:https://www.facebook.com/nakkaart2022

参考文献:『大阪市立近代美術館【仮称】所蔵作品110選-絵画・彫刻篇-』大阪市立近代美術館建設準備室編

書いた人

大阪府出身。学生時代は京都で過ごし、大学卒業後東京へ。分冊百科や旅行誌の編集に携わったのち、故郷の関西に出戻る。好きなものは温泉、旅行、茶道。好きな言葉は「思い立ったが吉日」。和樂webでは魅力的な関西の文化を発信します。

この記事に合いの手する人

我の名は、ミステリアス鳩仮面である。1988年4月生まれ、埼玉出身。叔父は鳩界で一世を風靡したピジョン・ザ・グレート。憧れの存在はイトーヨーカドーの鳩。