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2021.09.06

400年以上前にSDGsを先取りした武将がいた!黒田官兵衛に学ぶ倹約術【戦国武将の知恵袋】

この記事を書いた人

「けち」という言葉。
じつは、思いのほか、様々な場面で使っていたりする。

漢字で書くと「吝嗇(りんしょく)」とも。その言葉通り「金銭や品物などを惜しがって出さない」「むやみに金品を惜しむさま」などの意味を指す。

これ以外にも、「けち」は多くの意味を併せ持つ。
「けちな賞品」の場合には、「粗末とか価値がない」。「けちな振る舞い」では、「心が狭い」といった意味合いに。さらに「けちがついた」の「けち」だと、「縁起の悪いこと」という不吉さを表す。まあ、どれもこれも、あまりいい場面では使われない。

特に、私の場合。
ディケンズの小説『クリスマスキャロル』を思い出すからだろうか。改心する前のスクルージ老人のあの守銭奴ぶり。そのインパクトに引きずられ、「けち」に対するイメージは、殊更良くない。

そんなマイナスイメージが強いはずが。
戦国時代には、意外にも「けち」ウェルカムな人たちが多かった。

じつに、戦国時代は何かと物入りな時代。
計画通りに「戦」が起こればいいのだが。日々、戦況は変化し、突発的な対応に迫られることも。そんな「いざという場面」で莫大な戦費を用立てるには、日頃の節約がものをいう。だからこそ、戦国武将らは、堂々と「けち」というか、正確には「倹約」ウェルカムを表明してきたのだ。

今回の企画は、そんな戦国武将らの有難い「倹約術」がテーマ。誰もが驚く先人たちの知恵。やはり、その代表格といえば「徳川家康」や「前田利家」の名が真っ先に上がるはず。

しかし、今回、ご紹介するのは。
彼らに一切引けを取らない、コチラの方。
通称「官兵衛」こと「黒田孝高(よしたか)」である。

さてさて。
一体、どんな「倹約」法が出てくるのやら。
それでは、早速、ご紹介していこう。

※冒頭の画像は、落合芳幾 「太平記英勇伝」「九十五」「室田勘解由次宦孝高」 東京都立中央図書館特別文庫室所蔵 出典:東京都立図書館デジタルアーカイブ(TOKYOアーカイブ)となります
※この記事は、「黒田孝高」「豊臣秀吉」の表記で統一して書かれています

なぜ、なに、どうして。瓜の皮を厚く剥く?

豊臣秀吉の名軍師として名を馳せた「官兵衛」こと「黒田孝高(よしたか)」。「黒田如水」の名でも知られている彼だが。じつは、秀吉のみならず、織田信長、徳川家康と、あの「三英傑」を渡り歩いた戦国武将でもある。

そんな彼が「倹約」の記事で登場するのは2回目。
前回は「鯛」のお吸い物についてご紹介したと記憶している。

なんだか、2回も登場だなんて。
質素倹約の鬼みたいな気がしないでもないが。ここで、誤解のないように断っておこう。孝高は、ただの節約家ではない。日頃からしっかりと倹約をして、必要な場合には心置きなく使うというメリハリ型。

それにしても、日頃とはどこまでを指すのか。それが大いに気になるところ。まずは、あれこれいわず。『名将言行録』より、驚愕の事実をご紹介した方がいいだろう。

具体的な日時の記載はないが。
「瓜(うり)」が出る季節の話。
黒田孝高のところには、家臣や町の者などが献上した「瓜」が一斉に集まってくるのだとか。そこで、孝高は仕えている小姓らに、その瓜を食べさせるのだが。なんでも、その方法が一風変わっているというのだ。

歌川広重(3世)「大日本物産圖會」「同西瓜畑之圖」 東京都立中央図書館特別文庫室所蔵 出典:東京都立図書館デジタルアーカイブ(TOKYOアーカイブ)

どうやら、「瓜」の皮を剥かせる際に。
「厚く」皮を剥けと指示するのだとか。

うん?
皮が厚けりゃ。食べる部分の「中身」が少ないってコト?
なんだか、それって個人の好みというか。普通に考えて倹約とは関係がなさそうな感じ。いや、逆に、皮を厚く剥くなど勿体ない。これには、指示された者も困り顔。とうとう、孝高に、このように訴えたのだという。

「瓜は小さいため、厚く剥いては食べるところが少なくなります」

これに対して、孝高はというと。

「『いや一つ二つで足りなければ、いくつでも食えばよい』」
(岡谷繁実著『名将言行録』より一部抜粋)

なんだよ。思いのほか、太っ腹じゃん。
と自分で書きながら、なワケはないよな、と納得。いつもながらのこの展開、恐らくだが。ただし……と、続くワケで。

そのからくりが、コチラ。

「その皮を長持ちの蓋に入れさせて、台所の賄人を呼び『あの瓜の皮を塩漬けにせよ。台所で飯を食うとき、菜(さい)がない者が多い。その者たちの菜にさせよ。すべて茄子などの皮、そのほか野菜の切れ端、魚の骨など、少しも捨てず、それぞれこしらえておいて、菜のない者に食わせよ』といわれたから、平生からそのようにしたので、塩汁だけの者でも菜にありついた」
(同上より一部抜粋)

なるほど。私たちの思考は、「皮を捨てる」コトが前提だ。だから、皮を厚くだなんて、普通に勿体ないという感覚が生じてしまう。しかし、その前提から違うのだ。黒田孝高からすれば、「食べ物は丸ごと利用する」というのが当たり前。捨てるところなど一切ないのである。

だから、彼の頭の中では。
いかにして、1つのモノから多くの成果物を生み出すかという考えにシフトする。「瓜が取れる時期」に「瓜」を美味しく食べることは、さして重要ではない。それよりも、多くの人たちが「菜のある食事」にありつけるコト。こちらの方がより重要なのである。

瓜だけではない。他の野菜の皮、切れ端など。
数多くのバリエーションが、黒田孝高の下では奨励されていたのだろう。

それにしても、「魚の骨」って。
「出汁」以外に、一体、どうやって利用するんだと。恥ずかしながら全く分からなかったが。色々調べてみると、「骨酒」や、漬物の中に一緒にいれておくと風味が増すなどの声も。

さすがは、官兵衛様。
1つ勉強になった次第である。

孝高のホントの胸の内。払い下げる理由とは?

さてさて。
これだけにはとどまらない。黒田孝高の独特のポリシーは、彼の「持ち物」においてもいかんなく発揮される。

じつは、孝高は、古い物をよく使う。
そして、どの品でも長い間持つということはしないのだとか。

なんでまた、ワケが分からない。「倹約」って「長持ちが美徳」みたいなイメージなのに。だったら、その品たちは、一体どこへ行くというのか。

やはり、ここにもからくりが。
どうやら、孝高は、近習の者に「払い下げる」というのである。

もう一度言おう。「払い下げ」だ。
つまり、家臣に使っていたお古の品を渡して、その代わりに「カネ」を取る。例えば、羽織などは150文や200文。足袋も相応の値段で払い下げるというのだ。

歌川豊国(3世)「二◆(五を2つ左右に並べる)四好今様美人」「着物好」 東京都立中央図書館特別文庫室所蔵 出典:東京都立図書館デジタルアーカイブ(TOKYOアーカイブ)

これには、周囲の者もやはり不思議顔。
だって、大名なんだから。それこそ、けちくさいこと言わないで、家臣にあげりゃーいいじゃん。

そこで、とうとう、そのうちの1人が孝高に申し上げたのである。
「わずかな銭のためにお払い下げなくとも、ただ拝領を命じればよいのでは」

これに対して、孝高はというと。

「孝高は笑って『人は、物をもらうのと、自分で買うのとでは、どちらがうれしいか』と聞いた。誰もが口をそろえて『人からもらうのも結構なことですが、自分で買ったほどではありません』」
(同上より一部抜粋)

えっ。そうなの?
「もらう」よりも「買う」方がよいのか。いやいや、私はプレゼントも嬉しいぞ。皆さまに声を大にして言いたいほど。

でも、冷静になって考えてみると。
自分へのご褒美は少しだけむずがゆいかも。ようやく、欲しいモノを自分の力で買えたんだねと、なんだか自分が誇らしい。「立派じゃん、私」と、確かに、胸を張れるような気がするのである。

孝高が見越しているのは、そういうコトなのか。
もちろん、それだけではないだろう。あの孝高なんだもの。さらに深い考察があるワケで。それでは、彼の言葉の続きを見てみよう。

「『もらった者は喜ぶであろうが、もらわぬ者は恨むであろう。誰にやり、誰にやらないでよいというわけのものではない。だからといって、功のない者にもやれば、功のある者に賞を与えるとき、その甲斐がない。だから、古い物をやりたいと思うときは、安く払い下げるのだ」」
(同上より一部抜粋)

「人の上に立つ」って、こういうコトなんだ。頭では分かっていても、活字にされると、また少し理解が異なってくる。少しでも多くの者に分け与えればいい。そんな安直な考えは、かえって害悪になる場合も。主君のほんの少しの気まぐれで行った行為が、家臣らの不満に繋がる。その可能性に気付かされる。

改めてだが。
戦国時代において、上に立つ者の苦労を、垣間見えたように思う。ここまで先を想像して、1つ1つの事柄を判断する。イマジネーションがなければ、きめ細やかな領国経営などできるものではない。豊臣秀吉が、その才を恐れたのも当然の結果なのだろう。

現代でも、未だSDGsを理解していない人もいる。それに比べれば。時代の先端どころか、軽く430年ほど前に既に取り入れているとは。

恐るべし、官兵衛様。
また1つ勉強になった次第である。

最後に。
黒田孝高の凄さを1つ挙げるならば。
それは、家臣にも同じような考え方がしっかりと浸透しているコトだろう。

じつは、この「払い下げ」には、後日談がある。
孝高が、ある近習に「革の足袋」を5文で払い下げたとか。加えて、面倒見のよいことに、足袋の洗濯の仕方まで伝授。水で洗って、なま干しにしたのち、酒をふりかける。そして、足にはめて干せばよいと教えたという。

こうして、孝高の言うとおりに洗濯した近習。
彼は、立派になった足袋を見せたかったのだろう。これを履いて黒田孝高の前へと現れる。もちろん、目ざとく見つける主君の孝高。近習に確認すると、やはり自分が払い下げた足袋だというではないか。

これには、孝高も、惜しくなったようで。
その足袋を返してくれと言ったのだとか。

そこで、返した近習の言葉とは。

「『かしこまりました。しかし酒代も要り、だいぶ時間もかかりましたので、値段はかなり高くなっております。まったく新しくお買いになった方がよいかと存じます』」
(同上より一部抜粋)

これには、孝高も、もっともだと納得したそうな。

主君も家臣も。
立場を超えて。
こうして、切磋琢磨して「倹約術」を磨くんだ。

私が遠い目をしたことはいうまでもない。

参考文献
『名将言行録』 岡谷繁実著  講談社 2019年8月
『お金の流れで見る戦国時代』 大村大次郎著 株式会社角川 2016年9月

書いた人

日本各地を移住するフリーライター。教育業界から一転、ライターの道へ。生まれ育った京都を飛び出し、馬車馬の如く執筆する日々。戦国史、社寺参詣、職人インタビューが得意。

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