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2021.10.10

「おまえ、ひまだろ?行ってこい」イージーチャリダー。小6少年ソロキャンパーの冒険自転車旅

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僕のソロキャン物語VOL.7 小学6年生のひとり自転車旅

2003年の夏、僕はいつものように北海道を長期自転車キャンプ旅をしていた。
この年、実は自転車雑誌の取材も兼ねていて、自分と同じように自転車で旅している人と出会った場合、話を聞いて写真を撮らせてもらって雑誌にまとめ、記事にしていた。
90年代末に、映画「由美香」と「流れ者図鑑」でたくさんの旅人に出会って、その面白さに感化されていたのである。
今度は写真と文章で記録として残しておきたいという考えが強く働いていた。
夏の北海道には、あらゆる事情で、人力旅の人間がウヨウヨしていて、自分自身が面白がる事ができて、元気ももらえたからである。

この年は、豊漁と言えばいいのか、実に様々な人物と出会い、総勢31名もの人物を取材できてしまったのである。

それこそみんな千差万別で、若い人物から歳いった人、大食漢、さみしがりや、免停食らったお兄さん、フィットネス目的の奥様、ママチャリ高校生3人組、ハッピ着て走る女の子、などなどなど。

たった一台の自転車で、ここまで世界を広げる事ができるのか?と思った。
お話を聞いていても、全員生き生きとしていて、真面目に遊んでいる様子が直に伝わって来て感動した。

僕は、彼ら彼女らを、あえて「イージーチャリダー」と命名し、一人一人を丁寧に、でも、おもしろおかしく愛情をこめて描写した。

BICYCLE NAVI 2003年秋号

前回の記事の、69歳の女性も、そんな中の一人であった。

「自殺しなくて良かった」 ~京都の69歳おばあちゃんの北海道自転車キャンプ旅~

そして実は、この69歳の女性と出会う三日前の8月4日、僕はこの旅で(いや、今まで出会ったどの旅人よりも)最年少の少年旅人と出会ったのである。

11歳 小学6年生

2003年、8月4日
当時の日記を調べると、この日まで数日ほど、日高の沙流川キャンプ場にいて、しばらく雨が続いていたので停滞していたが、久しぶりに晴れて喜んで出発している。
しかも、まだ出発して8日目なのに、この日まで14人もの自転車旅人に遭遇し、取材も成功していた。

今や記憶は定かでないが、日記の記録によると、日高の沙流川から国道237号を太平洋側に出て回ろうと、平取の方面に向かっている。
その道の途中、小学生の彼と出会った。

その時は18歳の学生の男子と一緒に自転車で走っていたので、兄弟で旅してるのかと思った。
声をかけて、路上で話を聞かせてもらった。

すると、なんと小学生の彼は、単独の一人旅だった。
愛知からフェリーで7月末に北海道に入り、夏休みの間、北海道各地を周るのだという。
18歳の学生君とは、フェリーの中で仲良くなり、とりあえず一緒に行動していたのだった。

まさか、小学生の自転車一人旅までいるとは思わなかったのでビックリ仰天だった。

しかし、特に旅とか自転車とか興味があるわけではなかったらしい。
話を聞くと、お父さんがバイク好きのバイク乗りで、北海道にツーリングなどに行ってた事があるらしい。

お父さんから
「おまえ、夏休みひまだろ? 行ってこいよ」
と言われた。

特に断る理由もなかったので
「まあ、いいか」って感じで出てきた。

クールである。

前カゴに、何か大きなものを積んでいて、何かと思ったら無線機だと言う。
やはり、お父さんが無線をやっていて何かトラブルがおきたら、この無線で周波数を合わせトラックの運ちゃんと交信して助けてもらえ、という事らしい。
時々、トラックの運ちゃんと交信している、という。

携帯電話はあったが、スマホもまだ普及していない時代である。
それでも、こんな技があるとは思わなんだ。

基本的にはキャンプだそうで、予算を聞いたら
「わからん」

足りなくなったら、親の銀行口座から引き出す、と言っていた。

彼は楽しんでいるんだろうけど、特に熱い何かがあるわけでもなさそうで、淡々と語り、
再び、18歳の学生君と走り出して去っていった。

そのクールな佇まいが印象に残っている。

路上で会って、会話した程度なので、このぐらいの情報しかわからない。
基本的に一期一会の世界で、取材のため、後に雑誌も送りたいので、連絡先は教えてもらうのだが、よほどの事が無い限り、こちらから連絡して後の情報を知る事はない。

後日、キャンプ場で誰かの情報で、彼は札幌にいたらしく、珍しがられて大人に囲まれていたらしい、という情報が飛び込んできた。

いつもいつも、こういう出会いの時は、もう会う事がないだろう、と、思う。

しかしこの時は違った。
不思議な事に、彼とは二度目があったのである。
しかも翌年であった。

そんな馬鹿な、と思うが、これは事実だ。

2004年 再び

そして2004年。
再び「イージーチャリダーツアー」として、旅人の取材をメインに2年連続で北海道に上陸した。

2004年の旅は、2003年の旅より強化して期間も長く取り、日本海側を縦断し、北上した。
以前書いたスナフキンのようなフランス人の旅人に出会ったのもこの年だ。

彼はスナフキン?名も知らぬフランス人ヒッチハイカーとの出会い〜北海道自転車キャンプの旅〜

その日は8月21日だった。
増毛という日本海側の小さい街で、朝、セブンイレブンに寄った時だった。

凄い偶然だった。

去年出会った、小6の男の子とバッタリ再会してしまったのだ。
どちらが最初に気付いたのか、記録がなく、もう覚えていない。

しかし、話は通じた。彼も自分を覚えていてくれたのだ。

お互いにビックリした。まさか、この広い北海道で、二年連続で路上で出会うとは、かなり低い確率だろう。
オレは宝くじは当たらないが、変な出来事には当たりやすいのか?

彼は、11歳から12歳、小学6年から中学1年生になっていた(当たり前)。

去年の経験がモノを言っているのか? 一回り頼もしくなったように見える。
発言も自信満々な感じがみなぎっていて、去年よりよく喋るようになっていた。


自転車は去年のものではなく、新しいものだったが、ツーリング車ではなく、後ろのみにキャリアを付けて無理矢理荷物を積んでいた。

自分のランドナーキャンピング車を見て、やたら羨ましがっていた。
「いいなぁ、オレもこういうのが欲しいんだけど、買ってくれないんだよね」

さすがに今年は無線機は積んでいなかった。
予算も、去年、父親は懲りたのか?今年はキチンと予算が4万円と決められた。

おかげで生活力が付き、中学生なのにママみたいな発言が飛び出た。

「閉店間際のスーパーに行くと、弁当が安くなっていいんだよね。いつも狙ってく。
もう、そろそろ一か月の旅も終わる頃だけど、まだ、お金余ってるもんね」

また来年も旅するのかは、不明なようだが、今度はバイクに乗りたがっていた。

「次はバイク乗りたいなぁ、自転車はもういいや。バイク乗りたい」

今年も一人で旅しているが、友達とは来ないのか? 聞いてみた。

「友達の親は許してくれないんだよ、アブナイ、無理、ダメって言われちゃうんだよ」

そう言われればそうだろうな、とも思ったが、何だかさみしい気もした。

彼とは、この時以来、やはり会ってはいない。
彼の事も、二度に渡り自転車雑誌に紹介して、その号は送っている。
この記事を見ていたら、連絡いただきたいと思う。

今年で29歳のはずである。
まだまだ若い。
彼はまだ旅を続けているだろうか? バイクでの旅は実行しただろうか?

オレは今でも同じ自転車で、何も変わらず、相変わらずスキあらば、旅を続けている。
また、どこかで出会えるだろうか?

そして、さまざまな旅人の事が頭をよぎる。
時々、思い出すのだ。

思い出しても、どうと言う事はないのだが、元気だと嬉しいな、と単純に思う。

当時、小学生だった彼に聞いてみた。
「これを読んでる読者に、何かメッセージはある?」

「やってみてください」

これ以上の言葉は見つからないと思った。

書いた人

映画監督  1964年生 16歳『ある事件簿』でマンガ家デビュー。『ゲバルト人魚』でヤングマガジンちばてつや賞佳作に入選。18歳より映画作家に転身、1985年PFFにて『狂った触角』を皮切りに3年連続入選。90年からAV監督としても活動。『水戸拷悶』など抜けないAV代表選手。2000年からは自転車旅作家としても活動。主な劇場公開映画は『監督失格』『青春100キロ』など。最新作は8㎜無声映画『銀河自転車の夜2019最終章』(2020)Twitterはこちら