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2021.11.27

何が何でも入りた~い!江戸女子憧れの職場「大奥」多彩なお仕事、大解説!

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和樂webには様々な記事がありますが、大奥に関する記事はアクセス数が多いテーマの一つです。
江戸城大奥の生活は、記録を残したり、口外したりすることが禁じられていたため、実はよくわかっていないのが現状です。だからこそ、大奥に興味を抱く方が多いのではないでしょうか?

隠されると余計に気になっちゃいます!

時代により人数が変わりますが、江戸城大奥では多くの女子たちが奥女中(おくじょちゅう)として働いていました。

▼そもそも「大奥とは?」を知るならこちらの記事をどうぞ
大奥での性行為は見張り付き!?徳川幕府を支えた“女たちの最前線”を3分で解説

働く女子たち。「奉公」というお仕事

江戸時代の女子の仕事の代表が、女中として屋敷に奉公すること。奉公には、大きく「見習(みならい)奉公」「年季(ねんき)奉公」という2種類の雇用形態がありました。

見習奉公

「見習奉公」は、数か月から数年、同等か格上の家で働きながら行儀見習いをすること。
商家では、娘を武家奉公に出すことがありましたが、これは娘を良家に嫁がせるために箔(はく)をつけることが目的。奉公しながら行儀作法を学ぶとともに辛抱することを学び、わがままが直ることを期待して奉公に出しますが、娘の親が各方面に付け届けをしたり、娘に仕送りをしたりすることもあったのだとか。

年季奉公

「年季奉公」は、契約社員のように期日を決めて、働いた分の報酬をもらうもの。3年から5年程度の年季ごとに契約を更新して勤めます。基本的に住み込みの勤務で、食事と住む場所が提供されます。商家の奉公では、夏冬のボーナス代わりに「お仕着せ」と呼ばれる着物や帯、下着、足袋などが支給されました。
農家の場合は、農閑期だけの短い「季節奉公」に出る者もいました。

衣服がボーナスだったのですね! どんなものがもらえるかワクワクしそう!

大奥は、江戸城のどのあたり?

江戸時代、大名や旗本など大身の武家の邸宅は、当主を中心として公的な事務や儀式をする「表(おもて)」と、当主の妻や子どもたちなどの家族が生活する「奥」が明確に区別されていました。特に、江戸城の奥向を、大名家などと区別して「大奥」と呼びます。

江戸城本丸御殿は、大きく「表」「中奥(なかおく)」「大奥」の3つの区域に分けられ、この順に南から北へ配置されていました。
「表」は儀式と政治の場所で、将軍が公的な儀式を行う部屋や諸大名の控室や諸役人の詰所などがありました。「中奥」は、将軍の生活空間であるとともに、政務を執る場所。「大奥」は、将軍の正室である御台所(みだいどころ)や将軍の子女たちが生活する場所です。

「江戸城図」より 国立国会図書館デジタルコレクション

「江戸城図」の江戸城御本丸の部分で、右半分が「大奥御殿向」になります。
表と中奥はあまり厳密な仕切りはありませんが、中奥と大奥の間には厳然とした塀があり、お鈴廊下と呼ばれる2本の廊下のみでつながっていました。

「江戸城本丸大奥総地図」 所蔵:東京国立博物館 ColBase

江戸城御本丸の奥向きを示した絵図の、画面上方の彩色のない部分が天守台、黄色い部分が御殿、赤い部分が長局(ながつぼね/奥女中の居住する建物)です。御殿には、表と同様に儀式や対面を行う部屋や御台所や側室、将軍の母が住まう部屋などがあり、廊下で複雑につながっていました。奥女中は、大奥の別棟である長局という寄宿舎に暮らし、毎朝、御殿の中の自分が所属する大奥の部屋に通いました。

通勤が近くて便利!

大奥のお仕事は、こんなにたくさん!

大奥は、将軍とその正室である御台所の生活を支える役所のような場所です。
大奥の主人は御台所ですが、実際には、大奥の最高職である御年寄(おとしより)が大奥を運営を行っていました。

楊洲周延「千代田の大奥 式日 局の退出」 メトロポリタン美術館

幕府が直接雇用する大奥の女中(=奥女中)には、将軍や御台所に目通りが許される「御目見以上」の職と、目通りができない「御目見以下」の職がありました。

御目見以上のお仕事

・上﨟御年寄(じょうろうおとしより):御台所が輿入れの際に京から従って大奥に入った公家出身の女性が多い。御台所専任の秘書であり、儀式等の責任者。
・御年寄:「老女」とも呼ばれ、大奥全体を管理する職。幕府の閣僚である老中と同等の地位とされ、大奥を代表して、表向きの政事に口をはさむこともあった。
・小上臈(こじょうろう):上臈御年寄に仕える見習いの少女で、公家出身が多い。上臈御年寄の部屋で一緒に生活しながら経験を積む。
・御客会釈(おきゃくあしらい):将軍や諸大名の使者の接待などを担当。御年寄出身が多い。
・中年寄(ちゅうどしより):御台所や姫君付の御年寄のサポート役。
・御中臈(おちゅうろう):将軍付、御台所付があり、それぞれの身辺の世話を担当。将軍付の御中臈は器量よしが選ばれることが多く、将軍のお手がつくと、側室となる。
・御小姓(おこしょう):御台所や姫君の側に仕え、身の回りの世話をする少女で、15歳以下の旗本の娘が務めた。
・御錠口(おじょうぐち):将軍が普段暮らす中奥と大奥をつなぐ「御錠口」を管理担当。
・表使(おもてつかい):大奥の渉外係。大奥で必要なものの買い物をしたり、大奥の事務を担当する男性役人・御広敷(おひろしき)役人との折衝にあたる。
・御右筆(おゆうひつ):大奥の文書担当。日記や記録の作成、通達書、書状などを執筆。文字の美しさだけではなく、和歌など文学にも詳しく、美しい文章を綴る才能も必須。御年寄の秘書的役目もあった。
・御次(おつぎ):仏間や茶道具、台所の整理整頓・管理担当。最も重要な仕事は、季節ごとのイベントのプロデュースで、遊芸の心得のある者が選ばれた。
・御切手書(おきってがき):大奥の出入口である「七ツ口」の管理・監視担当。
・御坊主(おぼうず):将軍付の雑用係。50歳前後で、剃髪姿、羽織袴を着用し、表への御用も務める。
・呉服之間(ごふくのま):将軍と御台所の衣類の仕立て、管理担当。
・御広座敷(おひろざしき):表使の下働きで、諸大名の女使を迎える御広座敷の雑用係。

エリート集団なんですね。私は「御右筆」になってみたいな~!

御目見以下のお仕事

・御三之間(おさんのま):御三之間より格上の座敷の掃除を担当。上級女中の雑用係。大奥のイベントの際は、御次とともに遊芸を披露した。
・御中居(おなかい):御次の配下。御膳所で料理を担当。
・御火之番(おひのばん):大奥の「火の用心」を担当。各部屋を巡回し、火鉢や囲炉裏などの火の元を確認し、不始末があれば厳重に注意をした。大奥のイベントの際は、御次・御三之間とともに遊芸を披露した。
・御使番(おつかいばん):御広敷(おひろしき)の御錠口の管理担当。大奥と外部との取次役であり、外からの手紙や進物のやり取りや出入りの人々の監視役でもあった。
・御端下(おはした)・御末(おすえ):大奥のあらゆる雑用のほか、風呂・御膳所用の水汲みや掃除などの重労働を担当。

火事があったら大変! 大奥の中でも「御火之番」は責任重大……

奥女中は職種によって主人が違う?

奥女中は、職種によって御台所付と将軍付に分かれ、将軍付が格式・権威ともランクが上とされました。例えば、御客会釈、御錠口、御切手書、御坊主などの職種が将軍付、中年寄、御小姓などの職種が御台所付となります。
御中臈は将軍付と御台所付に分かれ、側室は将軍付の御中臈から選ばれました。

楊洲周延「千代田の大奥 観菊」 メトロポリタン美術館
将軍付なら、未来の「将軍の母」になるチャンスも!?

奥女中が個人で雇う「部屋方」

御目見得以上の奥女中は、身分に応じて「部屋方(へやかた)」と呼ばれる女中を雇っていました。部屋方は、雇い主である奥女中の食事の用意や身のまわりの世話、部屋の掃除、洗濯などを行います。

例えば、御年寄には個人秘書的な役割をこなす「局(つぼね)」を筆頭に、「相の間」「小僧」「多聞(たもん)」など、20人くらいの部屋方がいました。このほか、「部屋子(へやこ)」と呼ばれる親類縁者の少女を預かり、奥女中の見習いとして礼儀作法を教えたり、遊芸の稽古をさせていました。行儀見習いのために預けられた「世話子(せわこ)」と呼ばれる下働きの少女(農民や町人の娘たち)もいました。

大奥には男性もいた?

大奥というと女性だけの空間であると思われていますが、実は男性の役人もいたのです!
大奥に関わる役人には、表の政治責任者である老中、大奥の管理責任者である留守居(るすい)、大奥の経済関係の責任者である御台様御用人がいました。大奥の一角には御広敷(おひろしき)と呼ばれる役人の詰め所が設けられており、ここには広敷用人(ひろしきようにん)と呼ばれる大奥における事務や取次ぎを行う役人がいました。御台様御用人、御広敷番頭などの大奥役人は留守居の指揮下となります。
また、上級女中が個人で雇う「御宰(ごさい)」と呼ばれる下男は、奥女中の供や買い物などの雑用を担当していました。

江戸女子の憧れ。大奥で働くにはコネが大事?

江戸の娘たちとその母親にとって、武家屋敷の奥奉公、特に江戸城大奥で働くことが憧れであったと言われています。娘たちは、幼い頃から奥奉公に備えて行儀作法を厳しくしつけられたほか、書道、歌道、香道、華道、茶道などを習っていました。

三代目歌川豊国、二代目歌川国久「江戸名所百人美女 いひ田まち」 国立国会図書館デジタルコレクション
茶道のお点前の稽古中の旗本の娘を描いています。

江戸城大奥に上って奥女中となれば、俸禄(ほうろく/給与)が支給されて家計の足しにもなったので、娘を大奥に奉公に出すことを望む親も多かったと言われています。

今なら超一流企業で働くようなイメージでしょうか? 確かに憧れる~~!!

どうしたら、奥女中になれるの?

それでは、どのようにして大奥の女中の採用が行われたのでしょうか?

大奥には、幕府が直に採用する奥女中のほかに、奥女中に雇われる「部屋方」と呼ばれる女中がいました。奥女中への第一歩は、御年寄などの上級女中の部屋方になること。部屋方として大奥に入って勤務状況が認められると、奥女中になるための出願をし、「何月何日、御吟味(おぎんみ)」という試験日の連絡が来るのを待ちます。
試験日当日は、御年寄の前で美しい文字が書けるか、音曲や花生け、裁縫などの実技試験を受けます。その後、身元調べがあり、奥女中としての採用が決まると、「何月何日、引越上がり可申候(もうすべくそうろう)」という御沙汰書(おさたがき)が届きました。

一勇斎国芳「娘御目見図」 国立国会図書館デジタルコレクション

勤務初日は、御年寄から御宛行書(おあてがいがき/給与目録)、大奥用の名前、役職をいただいたあと、御台所にあいさつをします。御目見得以上の役職の者は敷居の外、襖(ふすま)の際(きわ)で拝礼することができましたが、御目見得以下の役職の者は、続きの御二之間の外でお辞儀をするだけでした。
また、「奥向のことはいっさい他言しない」などを記した誓紙を提出します。支配の女中頭からは、「女中法度」の条項を申し渡されました。

受験や就活を思い出しました!

大奥の出世競争に勝つには「一引、二運、三器量」

大女中としてのキャリアは、採用時の宿元の身分や家柄によってほぼ決まっていましたが、当然、出世競争もありました。

御目見得以上の職種には、旗本の娘が選ばれます。奥女中として新規に採用された旗本の娘は、御三之間からスタート。その後の出世は、「一引、二運、三器量」と言われました。奥女中たちは、御中﨟以上の上級女中を世話親(せわおや)としますが、その引き立てが昇進に大きく影響したのです!

楊洲周延「千代田の大奥 哥合」 メトロポリタン美術館

御右筆を経て表使になるというバリキャリ系出世コースがある一方、御次や御小姓になり、将軍の目にとまって御中臈を目指す者もいました。ただし、将軍のお手がついて御中臈になっても、子どもを産まないとそれ以上の出世は望めません。男子を産んでその子が将軍になれば、将軍生母として将軍家の家族に入ることができました。

さっきは「御右筆」になりたいと言いましたが、やっぱりワンチャン狙って「御中臈」目指します!!

ノンキャリア組奥女中の場合

一方、御目見得以下の奥女中は、御家人、江戸の商家や江戸周辺の豪農の娘が採用されましたが、同じ役職に据え置かれるか、昇進できたとしても御末頭までの場合が多かったのです。ただし、どうしても上級女中として奉公をしたい場合は、「旗本の養女になる」という裏技を使うこともありました。

「御端下・御末」は正式な奥女中の役職ですが、掃除や駕籠(かご)かきなどの重労働がありました(御台所の重要な客人やお里帰りの姫は、大奥の中を駕籠で移動したのです! )。重労働を嫌がる武家の娘はこのような職には就きたがらなかったため、庶民の娘が就くことが多かったと言われています。

大奥の上級女中は一生奉公なので、実家に帰ることは許されません。
一方、中・下級の奥女中の中には、「これ以上、出世できない!」とわかると、親の病気などと申し出て親元へ戻り、そのまま退職して武家や裕福な商家に嫁ぐ娘もいました。彼女たちにとっては、奥女中としての奉公は上流階級の生活に触れる機会であり、大奥への奉公によって箔をつけ、良縁を得て結婚退職をすることが一つの目標だったのです!

二代目歌川広重、三代目歌川豊国「江戸自慢三十六興 霞ケせき宿下り」 国会図書館デジタルコレクション
「宿下がり」とは、武家屋敷などに奉公する奥女中が休暇をもらって親元へ帰ることです。
一度大奥に勤めたら一生安泰なんですね~!

奥女中のお給料はいくら?

奥女中の諸手当の詳細も不明ですが、役職ごとの給与体系があったようです。

諸手当の内容は、年に2回年俸としてもらう切米(きりまい)呼ばれる玄米で支払われる基本給で、1石(こく)は約1両で、1両は現在の金額に換算すると約10万円(江戸時代初期の場合)。ただし、米相場で1石の金額が変動し、お金の価値も時代で変動します。切米は、札差(ふださし)という米売買業者に委託して売り、手数料を引いた金額を受け取ります。
このほか、衣装代にあたる合力金(ごうりききん)、本人と部屋方の月々の食糧代としての扶持(ふち)、薪、炭、風呂用の薪、灯り用の油、味噌や塩を買うための五菜銀(ごさいぎん)がありました。
扶持は、女性は1日3合の計算で(男性は5合で計算)、年2回、玄米で支給。部屋方など、個人で雇う奉公人がいる場合は、人数分が支給され、下級女中で個人雇いの奉公人がいない場合は1人扶持となります。

例えば、御年寄の俸禄は「50石、合力金60両、10人扶持」、表使の俸禄は「8石、合力金30両、3人扶持」と言われています。上級女中の諸手当の1年分を現代の金額に換算すれば相当の年俸になりますが、大奥のハードな仕事をこなし、かつ、一生奉公に見合うだけの手厚い待遇を受けていたとも言えるかもしれません。

ちょっと計算が苦手なのですが、御年寄なら年収1100万+奉公人の給料、という感じでしょうか?

奥女中という江戸女子のキャリア

江戸城大奥と言えば、将軍をめぐっての御台所と側室、側室同士の確執とか、奥女中たちの権力争いやそれらを背景にしたスキャンダルなどが取り上げられがちですが、これは、現在の職場でもありそうな女子同士の嫉妬・足の引っ張り合いや出世競争などと同じようなもの? 働く女子たちにとっては、「江戸時代の大奥も、私たちと似ているかも?」という点が、大奥人気の一つなのかもしれません。
大奥で働く多くの女子たちのそれぞれが、一人の女性として、しぶとく、したたかに、そしてしなやかに生きていたのです!

三代目歌川豊国「奥奉公出世双六」 国立国会図書館デジタルコレクション

江戸城大奥の奉公と様々な役職をコマにした双六で、各コマ絵には、その役職の女性が描かれています。下段中央の「ふりはじめ」がスタート。下働きをしながら上段に向かって出世し、上段中央の御台所で「上り」となる奥勤めの女性の出世を題材とした双六です。
江戸の庶民の多くは長屋暮らしをしており、その娘たちにとっては、大奥は想像もつかない夢の世界。もしかしたら、双六で遊びながら、夢を実現させていたのかもしれませんね。

女性が自分の力で夢やキャリアを掴む。江戸時代は今以上にそれが難しかったのかなと思います。

主な参考文献

書いた人

秋田県大仙市出身。大学の実習をきっかけに、公共図書館に興味を持ち、図書館司書になる。元号が変わるのを機に、30年勤めた図書館を退職してフリーに。「日本のことを聞かれたら、『ニッポニカ』(=小学館の百科事典『日本大百科全書』)を調べるように。」という先輩職員の教えは、退職後も励行中。

この記事に合いの手する人

大学で源氏物語を専攻していた。が、この話をしても「へーそうなんだ」以上の会話が生まれたことはないので、わざわざ誰かに話すことはない。学生時代は茶道や華道、歌舞伎などの日本文化を楽しんでいたものの、子育てに追われる今残ったのは小さな茶箱のみ。旅行によく出かけ、好きな場所は海辺のリゾート地。