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Culture
2022.06.13

徳川家康の快進撃はここから!出世城と呼ばれた浜松城を3分で解説

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徳川家康って皆さんはどんなイメージでしょう? 「関ヶ原の戦いを制した人」、「260年余も続く江戸幕府を開いた人」、「戦国武将として押しも押されぬ天下人となった人」などでしょうか。かくいう私も、風格のあるリーダー像を思い描いてしまい、処世術に長け、知将としての落ち着きに満ちた大人の男、ズバリできる人! というのが徳川家康のイメージです。しかし、若かりし頃の徳川家康の人生は、波乱に富んだ苦労の連続でした。

そんな徳川家康の天下人となるための快進撃を支えたのが、29歳から45歳という青年期から壮年期までを過ごした浜松城(静岡県浜松市)です。百戦錬磨の今川氏や武田氏を倒して、この城を足掛かりに一気に天下統一へと駆け上がっていきました。そんなことから出世城とも呼ばれています。2023年の大河ドラマ『どうする家康』では、間違いなくストーリーの中心になるであろう浜松城。今からチェックしておかねば! なのです。

これは耳より情報!要注目ですね!

徳川家康について詳しくはコチラの記事で
人質から天下統一へ!松本潤演じる『どうする家康』主人公・徳川家康を3分で解説

今川氏の牙城を勝ち取った家康が、天下統一の足場を固めた城

『桶狭間の戦い』で今川義元が織田信長に討ち取られ、今川家は衰退の一途をたどります。徳川家康も今川氏の人質から解放され、岡崎城に戻りました。その後、敵対していた織田信長と同盟を結び、西に味方を得た家康は、三河を平定後、勢いに乗り、遠江(とおとうみ)の制圧に向かいます。

同様に今川氏の領地であった駿河・遠江は、甲斐の武田信玄も狙っていました。そのため、家康は居城であった岡崎城を嫡男の信康に譲り、1570(元亀元)年に今川氏の支城であった曳馬(ひくま)城に入城します。この時の家康は、大企業相手(武田氏)に、市場シェアを互角に獲得したやり手のベンチャー社長といった感じでしょうか。そして、居城となる曳馬城の改修を開始します。名前も曳(引)馬城の名が、馬を引く(敗北)の意に取れ、縁起が悪いことから浜松城としました。

なるほど!ベンチャー社長の例え、わかりやすい!

山城から近代城郭へ。急激に進化していく城造りを家康は武田に学んだ

浜松城の前身である曳間城は、小天竜川を堀として、沖積平野に向かって階段上の傾斜面を利用していたことから、自然の要害を活かした堅牢な造りといわれました。この特性を活かして改修した浜松城は、城域を南北に510m、東西に500mへと広げ、西北の最高所に天守をあげた天守曲輪から、その東に本丸、二の丸・三の丸を階段上に配した梯郭式(ていかくしき)の曲輪となっています。

この浜松城で、まさに「どうする家康」と問われるような、大きな戦いが起こります。それが1572(元亀3)年に武田軍と激突した「三方ヶ原(みかたがはら)の戦い」です。これが家康にとって最大の敗戦となったといわれています。31 歳の家康にとってこの敗戦の痛手は大きく、命からがら浜松城へ逃げかえったとの逸話が残っているほどです。

その後は、「浜松普請」と呼ばれる3年に渡る改修工事で、浜松城をさらに強靭な城へと改修していきます。築城に関しての経験が浅かった家康は、武田氏の城を接収する中で、築城技術を学んでいったといわれています。

敵方から技術を学ぶ家康、やっぱりスゴい人。

織田信長の家臣として活躍し、駿府城へと出世を遂げる

徳川家康は、織田軍として「姉川(あねがわ)の戦い」、「長篠(ながしの)の戦い」に参戦し、活躍の機会を得ました。さらに、1582(天正10)年に長篠の戦いで弱体化した武田勝頼との「甲州征伐」で勝利します。この戦の褒美として、家康は、信長より駿府一国を与えられました。

家康が浜松城から駿府城に移った後は、徳川の家臣であった菅沼定政 (すがぬまさだまさ) が城代として入り、徳川家康が関東移封後は、1590(天正18)年に豊臣秀吉の家臣、堀尾吉晴(ほりおよしはる)が城主となります。この時に壮大な野面積みの石垣を築くなど、大規模改修を行いました。

浜松城の城主になると出世できる? 当時そんな噂が流れたかも?

浜松城は、「関ヶ原の戦い」以降、譜代大名が城主となり、約260年の間に25人の城主が誕生しました。その中から、なんと、老中5人、大坂城代2人、京都所司代2人、寺社奉行4人を輩出することになります。浜松城主時代に、幕府の要職に就く人が続出したことからも「出世城」の名が広まったとされます。

現在の浜松城は、県内最古級といわれる石垣の上に、1958(昭和33)年に3層4階の復興天守をあげ、2014(平成16)年には、木造の天守門と土塀の一部を復元しました。

高台に建つ、壮大な城は、天下人をはじめ、多くの要人を輩出した風格が漂っていてます。「うだつの上がらない人生なんて嫌だ~。出世した~い」という人は、いますぐ浜松城へGO!

このお城は、1度は行かなきゃですね!浜松と言えば、浜名湖の鰻が有名。大好物なので、鰻も楽しみたいなぁ♡

写真提供:浜松市

参考文献:デジタル版 百科マルチメディア 
     デジタル版 日本大百科全書
     東海の名城を歩く 静岡編 中井均・加藤理文(吉川弘文館)
    

浜松城公園

住所:静岡県浜松市中区元城町100-2
開館時間:8:30~16:30(但し入場は10分前まで)
休館日:12月29、30、31
料金:大人(高校生以上)200円
浜松城公園公式ホームページ

書いた人

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康をはじめ、有名な戦国武将が、愛知県をはじめ東海エリアから多数輩出されていることから、歴史の入り口は東海にあり!と勝手に燃えているにわか歴女。思い込みと圧が強いことから、高木編集長より「圧女くろりん」と命名される。しかし本人は、まじめに「目指せ!歴女への道」をスローガンに「歴女くろりん」と改名できるよう日々、精進中。

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幼い頃より舞台芸術に親しみながら育つ。一時勘違いして舞台女優を目指すが、挫折。育児雑誌や外国人向け雑誌、古民家保存雑誌などに参加。能、狂言、文楽、歌舞伎、上方落語をこよなく愛す。十五代目片岡仁左衛門ラブ。ずっと浮世離れしていると言われ続けていて、多分一生直らないと諦めている。