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Craftsmanship

2025.07.16

世界が憧れた日本の“KATAGAMI”。ウィリアム・モリスも魅せられた伊勢型紙の美

三重県鈴鹿市といえば「F1日本グランプリ」が開催される鈴鹿サーキットのある場所として知られているが、伊勢形紙と呼ばれる日本を代表する伝統工芸品が生まれ育った所でもある。

伊勢形紙は本来、友禅や小紋といった着物の柄や文様を染めるために必要とされる用具だ。和紙を柿渋で加工した型地紙(渋紙・型紙とも呼ばれる)に、職人が彫刻刀を用いて複雑で微細な文様を丹念に彫り抜いていく。その歴史は千年以上にわたるともいわれている。

型紙に文字や模様を切り抜いて紙や木片、布といった素材の上に置き、絵具やインクなどを刷り込むステンシルというDIYなどで人気の版画技法があるが、原理はそれに似ている。

近年は染めのための用具というだけでなく、伊勢型紙そのものに注目が集まり、そのデザイン性や芸術性などが高く評価されるようになった。海外から伊勢型紙を求めてやってくるバイヤーもいるほどだ。

ここでは伊勢型紙の魅力とその美しさを紹介したい。

※「いせかたがみ」の文字表記については、「伊勢型紙」と「伊勢形紙」の2種類があり、歴史的には「形」の方が古く、伝統的工芸品の登録には「形」が使われている。しかし、近年は「型」の字に統一しようという動きになっており、「型」の字で地域ブランドを取得している。ここでもその使い分けに乗っ取って表記させていただく。

アイキャッチ画像は伊勢型紙柄の一部 鈴鹿市伝統産業会館

浮世絵に見る伊勢型紙

過日、私は三重県鈴鹿市伝統産業会館を訪れ、「浮世絵に見る伊勢型紙展」(主催「NPO法人 歴史と文化のある匠の見える里の会」)を見た。鈴木春信や鳥居清長ら江戸時代を代表する浮世絵師が描いた浮世絵には、伊勢型紙を用いて染められた着物の柄が正確に描写されているのだ。

丸く囲まれた着物の模様部分の横にはその名称が書かれており、隣には実際の伊勢型紙が展示されていた。あらためてじっくり見ると、文様の細やかさと多様さに驚かされる。

伊勢型紙といっても伊勢国(三重県)全体で生産されてきたわけではない。産地は三重県鈴鹿市の白子(しろこ)・寺家(じけ)・江島地区に集約されている。友禅や小紋、注染(ちゅうせん)、更紗、紅型(びんがた)といった染色の文化や技法は全国各地に点在しているが、染色に使用される型紙のうち9割以上はこれらの地域で型彫師と呼ばれる型紙職人によって手彫りされているのだ。つまり白子・寺家・江島地区は全国の染色用型紙のほとんどの生産を担っていることになる。

女性の振袖に描かれた紫陽花、子どもの肩には菖蒲、武士が着用する羽織は大名縞と呼ばれる細い縞模様が描かれている 鳥居清長「浅草 金龍山 八境」より

伊勢型紙など、鈴鹿市の伝統工芸を紹介する鈴鹿市伝統産業会館

優美で精緻な伊勢型紙の文様

古来、日本人は花鳥風月や四季折々の風物、暮らしの中のいろいろなマテリアルにさえ美を見出し、伝統模様として具象化してきた。伊勢型紙の繊細で優美な文様もそれらを基に生まれたものであり、時には新たな着想を得てこれまでにないモダンなデザインを生み出してきた。

「芭蕉」技法/突彫り 状態/紗張り 所蔵/オコシ型紙商店  芭蕉とは暖かい地方の植物の名前で、花芭蕉、実芭蕉など種類がある。図案の毛筆の勢いを突彫りでうまく表現している

「向かい鶴菱(つるびし)」技法/引彫り 状態/紗(しゃ)張り 所蔵/オコシ型紙商店 長寿を願い、おめでたい動物である鶴を2羽1対で組み合わせた紋様。伸びやかに広げた両羽に引彫りの良さが出ている。紗張りとは紗という目の粗い織物を彫った型紙に張り付けて染色に耐えられるよう補強されている状態をいう

「波頭(なみがしら)」技法/突または引彫り 状態/生型 所蔵/オコシ型紙商店 着物の紋様は一方方向だと使いにくい。上下互い違いに組み合わせることで、上手に着物の紋様にしている

「牡丹」技法/引彫り 状態/生型 所蔵/オコシ型紙商店 花びらの外側の力強い輪郭線と内側に整然と並んだ細い線の対比が美しい。中心に向けて消えていく細い線を淀みなく彫れるかは腕の見せどころ

※型紙の解説は「NPO法人 歴史と文化のある匠の見える里の会」による。

型地紙を彫ることでできあがる型染のテンプレート

伊勢型紙を彫る型彫師とは

この日、案内してくださったのは「型屋2110」こと型彫師(かたほりし)の那須恵子(なす けいこ)さんだ。

那須さんのことは四日市市で行われていた東海地方で活躍する女性伝統工芸職人のグループ「凛九(りんく)」の作品展示を見に行った時に知った。私と同じ岐阜県出身であること、岐阜県内の印刷会社のデザイン部でイラストなどを書いていたこと、そして何より初めて見た伊勢型紙の美しさに魅了されたのだ。その時の感動がこの取材につながっている。

伊勢型紙の型地紙には美濃和紙が使われている。柿渋を用いて3枚の美濃和紙をベニヤ状に張り合わせ、天日で乾燥させてから燻煙室で約1週間いぶす。この後さらにもう一度、柿渋に浸し、天日乾燥と燻煙の後に紙を寝かし、約40日ほどかけて、型地紙と呼ばれる伊勢型紙に使う紙が出来上がる。

そしてここからは型彫師の仕事だ。型地紙に文様を彫り抜くことで型染のための型紙、すなわちテンプレートを作る。ひたすらアテ場(作業台)に向かって彫る。一つの型紙を完成させるのに数日から数週間、長いもので1カ月以上かかることもあるという。

伊勢型紙の技法

伊勢型紙の技法について那須さんが説明してくれた。

「伊勢型紙には四つの彫刻技法があります。定規と彫刻刀を使って縞柄(しまがら)を彫る縞彫り。小刀を垂直に突くようにして前に彫り進む突彫り。花や扇、菱など様々な形に作られた彫刻刀を用いてひと突きでその形を彫りぬく道具彫り。そして半円形の刃先をした彫刻刀を型地紙に垂直に立て、回転させながら小さな孔を彫ることで文様を作っていく錐(きり)彫り。どの技法も型地紙を何枚も重ねて彫ります。弟子は親方の下で修業して、親方の技法を受け継いでいきます。一つの技法を極めるにも長い年月と経験が必要で、1人の職人が得意とする技法はだいたい一つか二つです。彫るための道具も大変重要で、型彫師が自分で作ります。道具次第で作品の出来は全く違ったものになります」

那須さんの親方は生田嘉範(いくた よしのり)さん。生田さんは突彫りの型彫師だった。

勤めていた岐阜のデザイン会社を辞めた後、一生をかけてできる仕事を探していた那須さんは、友達の紹介で伊勢型紙を知る。そして鈴鹿に移り住み、弟子として受け入れてくれた生田さんの下で、伊勢型紙の型彫師として修業を始めた。以来15年。残念ながら生田さんは亡くなってしまったが、工房を受け継いだ那須さんは妹弟子の丸田さんと共に型彫師としての仕事に励みながら、時には伊勢型紙の広報的役割なども務めている。三重県民手帳のデザイン・型紙制作を担当するなどの実績もあり、2021年、三重県より中堅優秀技能者として表彰されている。

型彫りは彫りたい文様に合わせて道具(彫刻刀)を作ることから始まり、良い道具を作ることが良い型紙を作ることに直結する。写真の道具は那須さんのもので右が突彫り用

彫刻刀を砥石で研ぐ

突き彫りは細長い彫刻刀を垂直に突くようにして文様を彫る

突彫りで型紙を彫る那須恵子さん。アテ場の上に穴板を置き、数枚の型地紙を重ねて彫る。デザインによっては補強が必要な型紙もあり、その場合は糸入れか絹糸の網を漆で貼り付ける紗張りと呼ばれる方法などが用いられる。

那須さんが彫った小紋型紙「 二四萬柄(ふしまんがら) 」。藍田愛郎さんの染めで江戸小紋着尺(えどこもんきじゃく)として反物になり、第69回日本伝統工芸展入選。

那須さんの親方・生田嘉範さん。全国重要無形文化財保持団体である伊勢型紙技術保存会に所属。内省的で常に向上心を持ち、意欲的に新しい型紙作りに挑戦していたという。2022年5月、75歳で亡くなった。写真提供:那須恵子さん

伊勢型紙の歴史とその魅力

伊勢型紙はどうやって生まれた?

それにしても型紙に必要な和紙や染色産地でもない鈴鹿の地に、伊勢型紙が生まれたのはなぜだろう。

発祥には諸説あり、半ば伝説化している話もある。

鈴鹿市寺家には1300年の歴史を持つとされる子安観音寺(白子山観音寺)という寺がある。同寺の住職で、「NPO法人 歴史と文化のある匠の見える里の会」の会長でもある後藤泰成さんに聞いた興味深い話を紹介しよう。

「当寺は聖武天皇の勅願によって建てられ、安産子授けの寺として信仰を集めてきました。境内には不断桜と呼ばれる桜が生えております。この桜は四季を通じて花や葉が絶えず、本尊である観音様の霊験によって咲くと伝えられております。応仁の乱の頃、寺の近くに庵を結んでいた久太夫という翁が、不断桜の虫食いの葉の造形美からヒントを得て小刀で紙を切り抜いたのが伊勢型紙の始まりと言われております」

また子安観音寺でお土産物として販売されているものの一つに「富貴絵(ふきえ)」と呼ばれる切り紙細工があるが、それにも似たような話が伝わっているという。

遠く足利の頃、萩原中納言と言う公卿が、京都の戦禍を免れる為、親交のあった観音寺法印を頼りに寺を訪れ、そのほとりに寄寓し、徒然(つれづれ)のあまり小刀を以て花鳥を彫刻し、参拝者に土産として商ひたるが富貴絵(または富久絵)型のもとなり

いずれにしても伊勢型紙の起源を正確に探り当てるのは難しいようだ。「三重県立美術館」のサイトで森本孝氏が書かれた「1993 伊勢型紙展図録 江戸時代の伊勢型紙の背景を探る」によれば、京都から型彫技術が伊勢の白子に伝わったのは、多くの人々が戦乱の京都を逃れて白子に来た応仁の乱の頃をおいては考えられないということである。

子安観音寺

紀州徳川家の庇護によって守られた伊勢型紙

型紙による染色技法は江戸時代に入り、白子、寺家の両村が徳川御三家の一つである紀州藩に組み入れられたことで飛躍的に発展した。紀州藩公認の型売りの「株仲間」が形成され、型紙の販売市場を独占。全国規模で販売組織を整えていったのである。紀州藩からは出稼ぎのための鑑札や通り切手、絵符などが交付されるなど、さまざまな特典もあった。通り切手とは関所の通行手形で、荷を公用扱いにしてよいという証明書をも兼ね備えていた。こうして伊勢型紙は紀州藩の手厚い庇護の下、ハイクオリティな品質を維持しながら技術を伝承していくことができたのである。

鈴鹿は伊勢神宮に向かう伊勢街道(参宮街道)の通り道にあり、特に白子は伊勢街道の宿場町だった。伊勢街道は四日市の南端である日永(ひなが)の追分(おいわけ)で東海道と分岐し、伊勢神宮に向かう。江戸時代末期には特に伊勢参りが盛んになり、全国各地から多くの人々が「お伊勢さん」をめざして白子宿を訪れた。人々が行き交う道は多様な文化の交差点でもある。異文化と異文化が出合い、融合することで思わぬ化学反応が起こることもあったかもしれない。それは型彫師たちを刺激し、より高度な美の追求を促したのではないだろうか。

江戸小紋は大名たちの隠れたお洒落

伊勢型紙には多様な文様がある。花鳥風月に代表される自然のさまざまな意匠のほかにも楽器やおもちゃ、青海波(せいかいは)や亀甲(きっこう)、市松模様など日本古来の吉祥紋、あるいはこれらを組み合わせることで新たな世界観をつくり出していく。その魅力は人の手で彫られたことから生まれる微妙な線のゆらぎであったり、ぬくもりであるという。これらは機械彫りでは決して生まれないものだ。

小紋と呼ばれる柄がある。大きさに違いはあるが、同じ柄を一方向にくり返し型染めしたもので、柄があることは一目瞭然だ。小紋の中でも、遠目には無地に見えるが、よく見るとものすごく小さな柄が全体にちりばめられているものを江戸小紋という。単色染めで、中には1㎝四方に100個もの穴が彫られている型紙を用いたものもあり、柄が細かいほど難易度が高く、格も高いとされる。

江戸小紋は伊勢型紙なくしては成り立たない染め物で、江戸時代には諸大名が礼装として着用した裃(かみしも)の模様として用いられるようになった。幕府が派手な色や柄などを身に付ける奢侈(しゃし)な服装を禁止したところから生まれた美であり、いわば大名たちの隠れたお洒落の一つだった。

江戸小紋の中でも特に格が高い柄は、鮫(さめ)・行儀(ぎょうぎ)・通し(とおし)で、これらは「江戸小紋三役」と呼ばれる。また用いることのできる柄は各大名家で定められていた(定め小紋)。こうしたお洒落を見逃さないのが江戸っ子である。やがて江戸小紋は庶民の間にも粋で上品なお洒落として広まっていった。

小紋柄の裃。遠目には無地のように見える。 鈴鹿市伝統産業会館所蔵

伊勢型紙柄の一部 鈴鹿市伝統産業会館所蔵

伊勢型紙柄の襖 鈴鹿市伝統産業会館所蔵

伊勢型紙を使って染められた着物 鈴鹿市伝統産業会館所蔵

ジャポニスムをけん引した伊勢型紙

明治維新を経て幕藩体制が崩壊したことで伊勢型紙も紀州藩の保護を失った。また、株仲間が解体されるなどの変革を余儀なくされ、時代の波に翻弄されていくが、その美しさは日本を訪れた外国人たちを魅了した。ドイツ人の医師で博物学者だったフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは大量の伊勢型紙を購入し、浮世絵や動植物の標本などとともにヨーロッパに持ち帰っている。19世紀の後半、ジャポニスム(日本趣味)と呼ばれる一大ムーブメントがヨーロッパを席巻し、やがて世界に広まっていったことはよく知られているが、伊勢型紙もその一翼を担っていたのだ。

伊勢型紙はKATAGAMIとしての美を認識されただけでなく、イギリスでは詩人にして思想家、デザイナー、社会主義者であったウイリアム・モリスの提唱したアーツ・アンド・クラフツ運動や、フランスで起こった「新しい芸術」アール・ヌーヴォーなどの芸術運動に大きな影響を与えたと考えられている。

日本が自国の文化を顧みることなく欧米諸国に追い付け追い越せと必死だった時代に、ヨーロッパでは日本の伝統工芸や美術に大きな注目が集まっていたのである。

現在も欧米各地の美術館には数千点から1万点以上もの伊勢型紙が収蔵されているという。日本人はなぜその美しさに気がつかなかったのか。それは伊勢型紙は日本人にとって鑑賞の対象ではなく、染色のための道具に過ぎなかったからである。シーボルトらが持ち帰った伊勢型紙は役目を終えて廃棄されるものであった。なぜ、そんなものを欲しがるのか。当時の日本人はさぞ不思議に思ったことだろう。

能の「松風」をテーマにした形紙 メトロポリタン美術館蔵

伊勢型紙の伝統を培ってきた型彫師たち

那須さんはいう。

「現存する伊勢型紙にはだれが彫ったかという銘は残されていません。昔は型彫師の名前が表に出ることはありませんでした。型彫師はアーティストではなく、染めを支える職人でしたから。型彫師たちはひたすら良い型紙を作ることに精魂を傾けてきました。それが型彫師の心意気であり、現代にも息づいていることを感じていただけたらと思います」

伊勢型紙が内包する多様で豊穣な日本文化は、名もなき職人たちのたゆまぬ営みによって現代まで受け継がれてきた。

江戸小紋の第一人者で重要無形文化財保持者(人間国宝)であった故・小宮康孝さんは、同じく人間国宝であった父の故・小宮康助さんから「江戸小紋存続のためには型紙職人を重んじることが大切だ」と教えられ、伊勢型紙の型彫師の中でも名人中の名人であった故・喜田寅蔵(きた とらぞう)氏と出会い、数々の傑作を生みだしたという。

伊勢型紙の存続と継承に向けて

伝統文化において最大の課題は、伝統技術の存続と継承である。伊勢型紙の世界も例外ではない。

一時は350戸あったという型彫り職人も、ライフスタイルの変化や戦争の影響などで消長を繰り返してきた。現在は13人が伊勢型紙の伝統工芸士に認定されているほか、国の重要無形文化財保持団体である「伊勢型紙技術保存会」、また伊勢型紙を使って紙、浴衣、着物を販売する業者が集まって発足した「伊勢形紙協同組合」などが存在し、伊勢型紙に携わる後継者の育成や技術の継承に力を入れている。

型彫師である那須恵子さんも「伊勢型紙彫刻組合」に加入。「凛九」のほか「カタコトの会(伊勢型紙を作る人、使う人、愛する人が年齢や技量、立場を超えてコトを起こそうと結成された)」や「常若(とこわか。三重を拠点に伝統工芸を担う若手職人グループ)」に所属。「NPO法人 歴史と文化のある匠の見える里の会」のメンバーとしても活動している。

前職で印刷会社のデザイン部門にいた那須さんは、型紙の図案制作にデジタルの手法を用いることもあるという。「伝統は革新の連続」という言葉があるが、昔のやり方や技術をそのまま引き継ぐのではなく、一番大事な部分は守りつつ、時代の変化を機敏に察知しながら変化や改良を取り入れることで新たな価値観や創造を生み出していく。伊勢型紙も那須さんのような人材が育つことで、これまでにない美的理念に裏打ちされた新たな世界観を生み出していくのだろう。

那須さんのモットーは『型紙が100年先も染め手を支え、型紙で心を伝える』こと。祈りにも似たその心が明日の伊勢型紙の世界を開いていく。

「NPO法人 歴史と文化のある匠の見える里の会」の皆さん。会長は子安観音寺住職の後藤泰成さん(写真中央)。左から二人目の女性が那須恵子さん。その左が鈴鹿市伝統産業会館の大杉館長。「NPO法人 歴史と文化のある匠の見える里の会」は「鈴鹿市白子・寺家地区を中心に、この土地の伝統産業や文化財、自然、信仰をテーマに、多彩なメンバーで講演会や展示会などを開催し、町おこしに取り組んでいる。

【取材協力】
子安観音寺
伊勢型紙型屋2110 那須恵子
鈴鹿市伝統産業会館
〒510-0254 三重県鈴鹿市寺家3-10-1
TEL:059-386-7511

【参考】
三重県立美術館:森本 孝 「江戸時代の伊勢型紙の背景を探る」

(政府広報オンライン ヨーロッパの人々を魅了した「伊勢型紙」の文様)

葛飾区郷土と天文の博物館 開館20周年記念展「江戸小紋を伝える小宮家のわざと人」

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里山企画菜の花舎

山寺の坊守(住職の配偶者)。いやというほど緑に囲まれて過ごしているので、たまに都会の空気に触れると狂喜する。書店でのバイトがきっかけでライターの道へ。趣味は知らない所へ行き、知らない人に会い、おいしいものを食べること。ライターは天職かもしれない。3年前から地元で本と古本の店「のきさき書店」を営む。岐阜県在住。
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