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2023.06.02

脱力の極致! 97歳まで描き続けた仙人画家・熊谷守一の神髄を見る

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画家の熊谷守一(1880〜1977年)は、晩年の数十年間、東京の自宅からほとんど出ずに生活していたことで知られています。普通の人なら1〜2分で周れる自宅の庭を、毎日数時間かけてゆっくり散歩していたのだとか。その自宅跡に建てられた豊島区立熊谷守一美術館で、「特別企画展 熊谷守一美術館38周年」が開かれています。この展覧会で注目すべきは、愛知県美術館が所蔵する木村定三コレクションから20点を借りたこと。豊島区立熊谷守一美術館の館蔵品にも、木村から寄贈された作品が3点あり、併せて展示されています。木村は熊谷にとって極めて大切なパトロンでした。木村なくして熊谷はなかったとも言える存在だったのです。同展を訪れたつあおとまいこの二人は、そのコレクションを前に、「昭和の仙人」とでも呼ぶべき熊谷の作品が醸し出す脱力した空気感にそれぞれの身を浸し始めました。

「昭和の仙人」のフレーズが気になります!どんな画家だったのだろう……。

えっ? つあおとまいこって誰だって? 美術記者歴◯△年のつあおこと小川敦生がぶっ飛び系アートラバーで美術家の応援に熱心なまいここと菊池麻衣子と美術作品を見ながら話しているうちに悦楽のゆるふわトークに目覚め、「浮世離れマスターズ」を結成。さて今日はどんなトークが展開するのでしょうか。

熊谷にとって猫は昼寝の友だった

つあお:熊谷守一と言えば、やっぱり猫でしょうか?

まいこ:確かに、猫をたくさん描いてますよね!

熊谷守一『猫』 昭和38(1963)年 油彩/画布 愛知県美術館蔵(木村定三コレクション) 展示風景

つあお:晩年の熊谷は、何匹もの猫を飼っていたそうです。それにしても、この絵の猫には、かなり特殊な感情が表れているような気がします。

まいこ:どんな感情でしょう?

つあお:なんだか怒ってるように見えませんか?

まいこ:私もそう思います!

つあお:実際、猫ってたまに怒りますよね?

まいこ:私は普段猫と触れ合う時間がそんなにないのでよくわからないのですが、つあおさんは怒った猫に会ったことはありますか?

つあお:静岡県だったかな? ある公園で2匹の猫がすごいバトルをしてるところに出合ったことがあるんですよ。

まいこ:へー、そう言われてみると、すごい声が聞こえたことはありますが、戦う動物なんですね!

つあお:たぶん縄張り争いをしていたのだと思います。最初はにらみ合って声とポーズで威嚇し合い、その後は本当に戦っていた。

まいこ:すごい。メス猫をめぐって争っていたとか?

つあお:そこには別の猫はいなかったと思うけど、そういう争いがあってもおかしくはなさそうだな。ほかの動物にはときどき見られる行動だし。

まいこ:実際に見た時はこんな表情だったのですか?

つあお:正確な表情やポーズは覚えていませんが、猫は猛獣なんだなとそのときは思いましたよ。

まいこ:猫は、獰猛(どうもう)な肉食のライオンやトラなどと同じネコ科ですものね。

つあお:だから、猫は普段はかわいいのに、怒るときはすごく怒って怖い。この絵のように背中が立っているのは、やっぱり怒りの姿勢ではないかと思うんですよ。

まいこ:わかります! ひょっとしたら毛を逆立てていたりするのでは?

つあお:おそらくそうです。ただ、この絵を描いた頃の熊谷は、モチーフをすごく簡略化していたので、そういうところは省略しちゃってる。でも、そうやって想像するのも面白いなあ。

まいこ:その代わりというべきか、黒いしっぽがカクカクとしていて地面と平行に描かれているのが何ともユニークですね!

つあお:おお、いいところに目をつけましたね! しっぽが長い猫って運動神経がいいはずだから、戦うと強いことが想像できるんです。

まいこ:そうなのですね! やはりつあおさんは猫に詳しいなあ。

つあお:ふふふ。しっぽがあると、派手に動いたときにバランスが取りやすいんじゃないかな。たわくし(=「私」を意味するつあお語)も、しっぽが欲しい!と思うときがあります。

まいこ:しっぽが生えたつあおさん! 想像しちゃいました!

つあお:でも、熊谷って本当は猫とすごく仲よしで、一緒にお昼寝をしてたりしたんですよ。

まいこ:眠っている猫の絵も描いていますね。ほら、ここにも寝てる猫がいます。

熊谷守一『白猫』 昭和34(1959)年 油彩/板 豊島区立熊谷守一美術館蔵 展示風景

つあお:自分の家でほとんどの時間を過ごしていた晩年の熊谷はお昼寝しながら、意識は猫とほとんど一体化していたんじゃないでしょうか。

猫と一緒にお昼寝って、何だか微笑ましいです!

まいこ:なるほど、猫の絵は熊谷さんの自画像のようなものなのかもしれないですね。ちなみに、うちの近所の猫も、最近、道の真ん中でお腹丸出しでよく寝ています。なんであんなにいつでもどこでも寝られるのでしょうね?

つあお:それは素晴らしい! 猫はやっぱり眠りの才能が豊かですね。たわくしも見習いたい。

まいこ:『ドラえもん』ののび太に似てるのかな? 彼は、いつでもどこでも3秒以内に眠ることができる天才ですから。

つあお:のび太は眠りキャラだったのか! それにしても、この怒っている猫の絵、表情や仕草のバリエーションとしては面白いですよね。

熊谷守一『猫』(部分)

まいこ:目が怒りに燃えている!

つあお:シンプルな描き方なので、全体の形としては山みたいでもあり、牛みたいでもある。いろいろなものに見えてきて、怒ってる姿の絵なのに、すごく楽しい。

まいこ:ほっぺたのあたりの牙みたいなのは何なのでしょう?

つあお:牙ではないと思いますが、そういうことを考えさせてくれるのも、熊谷作品の魅力かもしれませんね。描写がリアルを離れてシンプルになっているから、見ているほうの想像がいろいろとふくらむ。ああ、楽しい。

ジャパニーズミニマリスト熊谷

熊谷守一『アゲ羽蝶』 昭和51(1976)年 油彩/板 豊島区立熊谷守一美術館蔵 展示風景
平成13(2001)年に木村定三氏から豊島区立熊谷守一美術館に寄贈された作品

つあお:この揚羽蝶の作品は、油絵の絶筆だそうです。

まいこ:パキっとして色も鮮やかで、最晩年の作品とは思えない力強さ!

花の色とのコントラストが、とても印象的。

つあお:それにしても、真っ黒な揚羽蝶には、すごいインパクトがありますね。

まいこ:本当に! 形が多角形を組み合わせたみたいで幾何学的。昔遊んだタングラムというパズルを思い出しました。

つあお:おお、この揚羽蝶もパズルにするのによさそうだ! でもちょっと簡単すぎますかね。

まいこ:花や葉っぱの部分も入れたら、少し難しくなるかも(笑)。

つあお:そうですね。晩年の熊谷の絵って結構幾何学的な描写が多いから、パズルにすると、すごく面白そう。

まいこ:「昭和の仙人パズル」ですね! やってみたくなってきました。

つあお:猫もそうなんですけど、ほとんど自分の家にいた晩年の熊谷は、この揚羽蝶や花など、ひたすら自分の家の庭にあるもの、あるいは飛んできたものを描いたんだそうですよ。

まいこ:そうなんだ! 会場にあるほかの絵にも、同じ黒い揚羽蝶がいました。

つあお:蟻とか蛙とかもいる。おそらくみんな熊谷は友達だと思ってたんじゃないかな。

熊谷守一『がま』 制作年不詳 墨(彩色)/紙 豊島区立熊谷守一美術館蔵 展示風景
熊谷の自伝「へたも絵のうち」によると、熊谷は昭和12〜13(1937〜38)年頃から日本画を描き始めたという。

まいこ:きっとそうですね。蟻さんなどは、一緒に働いてるみたいな感じで!

つあお:そうそう、熊谷はよく庭に寝転がって、蟻が歩く様子を眺めていたのだとか。

まいこ:えー! 視線が蟻目線になりますね!

つあお:そうなんですよ。熊谷守一美術館の外壁に描かれている蟻ってすごく大きいんですけど、あれが熊谷が見た自然な姿の蟻だったんだと思います。 『赤蟻』という作品から写したものだそうです。

豊島区立熊谷守一美術館の外壁

まいこ:そうだったのですね! だからこんなに大きいんだ。外壁の絵、大好きです!

カタカナで書かれた名前も、とてもマッチしてますね。

つあお:蟻と友達だったなんて、ほんとに仙人っぽい人ですよね。

まいこ:見た目も! 何しろヒゲが仙人っぽい!

熊谷守一『自画像』 昭和43(1968)年 油彩/板 豊島区立熊谷守一美術館蔵 展示風景

つあお:でも熊谷本人は、「仙人」と呼ばれることを嫌っていたのだとか。自分の心のおもむくままに生き物を観察して一心不乱に描く生活を続けていた。むしろ、子どものような心を持っていたとも言えるようです。

まいこ:へぇ。

つあお:それでね、熊谷の有名な写真に、頭の上にカラスが止まってるやつがあるんですけど、あれもおそらくヒゲがあるからとまり木かな?とか思ってやってきたんじゃないですかね。

まいこ:面白すぎ! ヒゲが鳥の巣に見えたのかも。

つあお:その可能性もありそうだな。そして、やっぱりこういうすごくシンプルな作風になってるっていうのが、子どもの心に戻りつつも、仙人の境地を思わせてくれます。脱力の極致だなあと思う。

まいこ:色数もミニマリスティックでかっこいいと思います。

つあお:おお、ジャパニーズミニマリストですね!

シンプルな作品を生み出したのが、もはや仙人の域だったのですね。

パトロン兼プロデューサーだった木村定三

つあお:ところで、まるで仙人だった熊谷にも人付き合いはあったようで、今回、借りている愛知県美術館の収蔵品は、熊谷とすごく深い交流があった木村定三という人のコレクションだったのですよね。

まいこ:木村さんが25歳で熊谷さんに会った時に惚れ込んで買ったという話には驚きました。

つあお:そうなんです。昭和13(1938)年に名古屋の画廊で熊谷の作品を見たのが、パトロンになるきっかけだったそうです。

まいこ:20代からパトロンになれるなんて、いいなぁ。裕福だったのかしら?

つあお:そっち(笑)? 木村が資産家だったことは間違いないようです。ただ当時の熊谷は無名作家だったので、作品の価格はおそらくそんなに高くなかったでしょう。

まいこ:木村さんは、素晴らしい審美眼をお持ちだったのですね。

つあお:それでね、パトロンと美術家の関係として、この二人の間にはちょっと面白い話があるんです。木村は熊谷が毛筆で書く字をすごく気に入っていて、自分が収集した美術品の箱書き(日本画や陶磁器を収納する箱に書いた作品名などの文字)を熊谷に依頼することがあったそうです。

熊谷守一『蝸牛(かたつむり)』 昭和16(1941)年 絵付け/陶磁器 愛知県美術館蔵(木村定三コレクション) 展示風景
熊谷は陶磁器の絵付けも行った。墨絵のような表現をしていたことがわかる。

熊谷守一『蝸牛(かたつむり)』を上から見たところ。箱書きの字はやはり超然としており、独自の魅力を放っている。

まいこ:へぇ。続きが気になります。

つあお:ははは。そして「書を作品にしてみたらどうか」と熊谷に勧めてみた。実際に書き始めたら、それがすごく魅力的な作品になったというのです。決してうまいとは言えない。やはり仙人っぽくもあり、子どもっぽくもある。人間性がそのまま現れたような字だった。

熊谷守一『ともしび』 制作年不詳  墨/紙 豊島区立熊谷守一美術館蔵 展示風景

まいこ:字もすごく魅力的ですね! 木村さんは、隠れた才能を引き出したパトロン兼プロデューサーだった。熊谷さんもいい人に出会いましたね!

つあお:もともと熊谷は東京美術学校で黒田清輝に就いて油彩画を学んだのですが、こうやってパトロンに出会って、字を書くようになったというのはとっても面白いし、後年、表現はミニマリスティックにもなった。素晴らしいことだと思いました。 先ほど紹介した『がま』のような水墨画もたくさん描いたんです。

まいこ:木村さんとは、熊谷さんが亡くなる97歳まで友情が続いたそうですね。

つあお:そうそう。熊谷が亡くなるまで木村はずっと作品を買い続けたし、名古屋の自宅に熊谷を泊めるなどもしていたらしいですよ。魂の触れ合いっていうレベルの友情だったんだろうな。そもそもたわくしは、美術品には作家の魂が入っていて、鑑賞するコレクターとの心の交流の媒介の役割も果たすんだなぁとも思っています。

お互いに大切な存在だったのでしょうね。とても素敵な関係です。

まいこ:そうですね! 熊谷さんが、木村さんの愛犬を描いた話などを知って、そう思いました。

つあお:おお、猫が好きな熊谷は、犬も描いたんだ!

まいこ:はい。犬ラバーの私としては見逃せない作品でしたので、この後「まいこセレクト」でお伝えします!

まいこセレクト

熊谷守一『犬』 昭和33(1958)年 墨(彩色)/紙 愛知県美術館蔵(木村定三コレクション) 展示風景

太い墨の線で一気に描かれた、全身丸ごとおおらかな犬くんです。たびたび木村さんの家を訪ねていた熊谷さんとはすっかり顔なじみになっていて、にっこり微笑みかけているようです。とてもいい犬ですね。じっと見ていると、会場内にあった木村さんの写真のお顔に似ているなと思いました。

熊谷さんにとって、木村さんはいつでも笑顔で励ましてくれる太陽のような方だったということを、この愛犬が伝えてくれているような気がしました。

つあおセレクト

熊谷守一『麥畑(むぎばたけ)』 昭和14(1939)年 油彩/板 愛知県美術館蔵(木村定三コレクション) 展示風景

熊谷が「仙人」になる前の時期の作品です。普通の風景画なのに、なんだか不思議な感じがします。じっと見ていると、輪郭線が赤いことに気づきます。熊谷は猫の絵などでも、ときどき赤い輪郭線を用いている。線を赤くした理由はわかっていないそうですが、おそらく赤い線のおかげで、この絵を見ていると何だかほかの惑星にいるような感じがするんです。この絵より前の時期には輪郭線は用いていなかったそうなので、この絵は旺盛な実験精神が現れた作品と言えるのではないかと思います。熊谷はある日、輪郭線の必要性に目覚め、そこに特殊な意味を込めようと思ったんじゃないか!などと想像しています。

つあおのラクガキ

浮世離れマスターズは、Gyoemon(つあおの雅号)が作品からインスピレーションを得たラクガキを載せることで、さらなる浮世離れを図っております。​​

Gyoemon『セロ弾きのクマガイ』

熊谷の自伝「へたも絵のうち」には、大正時代に作曲家の信時潔らたくさんの音楽家と交流したことが書かれています。その集まりの中で、熊谷はセロ(チェロ)を弾いたのだとか。「弦楽器というのはなかなかむずかしく、いい音色は出しにくいものです。ある男などは、『君のセロは、いつまでたっても音楽学校入学の二週間目だね』といって笑っていました」と、自伝の中で述懐しています。しかし、自伝のタイトルが「へたも絵のうち」ですから、「へた」だったセロも、思いっきり楽しんで弾いていたのだろうなあと想像しています。

この「へたも絵のうち」という言葉は、何よりもまず、「ラクガキスト」を自称するたわくしを勇気づけてくれるわけですが、そもそもが素晴らしい文言ですよね。たぶん、何にでも当てはめていいのではないかと思います。座右の銘にすると、人生が豊かになること請合いです。

豊島区立熊谷守一美術館には、熊谷が弾いたと思しきセロ(チェロ)が展示されている。

展覧会基本情報

展覧会名:特別企画展 熊谷守一美術館38周年
会場:豊島区立熊谷守一美術館
会期:2023年4月11日〜7月2日
公式ウェブサイト:http://kumagai-morikazu.jp/

参考文献

熊谷守一「へたも絵のうち」(平凡社、2000年=日本経済新聞社が1971年に刊行した書籍の復刊)
小川敦生「童心にかえる(上)−熊谷守一」(日本経済新聞2017年1月8日付朝刊「美の美」面)

書いた人

つあお(小川敦生)は新聞・雑誌の美術記者出身の多摩美大教員。ラクガキストを名乗り脱力系に邁進中。まいこ(菊池麻衣子)はアーティストを応援するパトロンプロジェクト主宰者兼ライター。イギリス留学で修行。和顔ながら中身はラテン。酒ラブ。二人のゆるふわトークで浮世離れの世界に読者をいざなおうと目論む。

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幼い頃より舞台芸術に親しみながら育つ。一時勘違いして舞台女優を目指すが、挫折。育児雑誌や外国人向け雑誌、古民家保存雑誌などに参加。能、狂言、文楽、歌舞伎、上方落語をこよなく愛す。ずっと浮世離れしていると言われ続けていて、多分一生直らないと諦めている。