「お能を最初から最後まで寝ずに見た経験がない」
先日お能の話をしていたときに、友人に言われた。そんな日本人は多いのではないだろうか。斯く言う私もその傾向があり、中高時代に初めて学校行事の能楽鑑賞会でお能を見たが、何の演目だったかも覚えていないし、とにかく眠かった記憶しかない。大人になってからも、菊慈童を観ていて、菊慈童が布に隠された状態で出てきたことは覚えているのだが、右肩のあたりが冷たいので目が覚めたことがある。見ると、右肩が池のようになって濡れている。思わず「うわっ」と声が出そうになり、必死に飲み込む。気付けば菊慈童はもう橋掛かりのかなただった。ほとんど何も見ずに終わってしまった。正面のいいお席に座らせて頂いていたにもかかわらずである。面のあの小さな目からはあまり見えていなかったことを祈るしかない。絵に描いたような「肩身が狭い」状態で、小さくなって能楽堂を出たのだった。
舞台を見ているだけでストーリーを追う難しさ
そんなわけで、私もお能は難しいものだと思っている。能の謡も地謡も、単語を拾いながらなんとなくはわかるけれど、正確には何を言っているのか未だによくわからない。以前イタリア語を少し勉強していた時、先生にイタリア語に慣れるためにイタリア語のラジオや音楽を毎日聴くといいと言われたので、「じゃあ、オペラを聞けばいいですかね?」と言ったら、間髪を入れず「それは日本語を勉強したい人が、能の謡を毎日聴くと言っているようなものだからやめなさい」と止められた。それだけ現代の言葉とは異なっているし、あらすじを前もって読んでおかなければ、舞台を見ているだけでストーリーを追うのは、私には困難である。
歌舞伎では、女形の人は女性らしい裏声を使うけれど、お能では、男性役でも女性役でも地声で謡う。この世の者とは思えないような幽玄な雰囲気をまとった天女や女御様が出てきて、優雅に舞い始める。ふーっとその世界に入り込み、この人はきっとものすごい美人さんに違いない。そう勘違いをしたところで、野太い男の人の声が聞こえてきて、急に夢が覚めるような気持ちになるのである。もちろん私の勝手な思い込みのせいであり、舞っておられる能楽師の方には何の落ち度もないことは強調しておかなければならないのだが、それだけ長い間私にとってお能は取っつきにくいものだった。
涙が止まらなくなった大槻文蔵先生の『隅田川』
その考えが初めて揺らいだのが、シテ方観世流能楽師、大槻文蔵先生の隅田川を観たときのことである。能楽堂までお世話になっている方が車で送ってくださり、帰りも京都まで連れ帰っていただく予定になっていたので、「せっかくだから観ていかれませんか?」とお誘いすると、「いや~」と頭を振られた。「隅田川はな~、いつも泣いてしまうねん」と言われる。お能で泣くほど感情移入をしたことは一度もない。私にはそこまでの知識も理解もないなぁと思いながら能楽堂の門をくぐった。
隅田川のあらすじは、このような感じだろうか。隅田川の渡し場で、船頭が舟を出そうとしていると、息子を旅しながら探している狂女(能の言葉で、心の平静を失った女性のこと)がやってくる。彼女を乗せて、対岸に着くまでの間、船頭は去年起こった出来事を語り始める。それは、都から誘拐されてきた子がこの地で亡くなったという話。船中で泣き続ける女は、実はこの子の母親だった。船頭は彼女をその子の墓に案内し、念仏供養をするように勧める。群衆の声に交じって、我が子の声を聴く女。やがて現れた幽霊の我が子を抱きしめようとするが、幽霊は母の手をすり抜けて消えてしまうのである。
話はなんとなく知っていたけれど、観るのはもちろん初めての経験。悲劇は難しそうだと、最初からやや斜に構えながら舞台を観ていた。春のうららかな雰囲気に満ちた隅田川の光景から始まったのだが、文蔵先生演じる狂女が出てきた途端、舞台上の空気がぴりりと変化した。思わず座り直して、姿勢を正してしまったくらいである。伊勢物語の在原業平の故事を引き合いに出し、謡う女。いつもは気になってしまう男性の声なのに、全く気にならない。いつしか隅田川の世界に引きずり込まれていた。最後のもうこの世にはいない子どもと再会する場面は圧巻だった。面の顔は最初から変わらず、涙が出ているはずなどないのに、女が泣いていることがわかる。見え隠れする幽霊の子どもと、それを探し求める女。抱きしめようとする女の袂に見えるはずのない子どもが見える。気付けば涙が止まらなかった。彼女の気持ちを想像したら、胸が締め付けられるようで、隣で見ていた友人がぎょっとした顔をするくらい泣いていた。舞台の上にいた人は、大槻文蔵ではなく、物狂いの女にしか見えなかった。
終演後はなんだか圧倒されて、ぼんやりしてしまい、文蔵先生にも「すごかったです」などと、つまらない感想しか申し上げられなかった気がする。その日は私にとって間違いなく、お能と言うパズルの1ピースが、かちりとあるべき場所に収まった日だった。
お能は難しい。その思いは今も変わらない。でも、何もわからなくても何かを感じることはできる。今はそう思っている。心游舎でお能のワークショップをした時、始めにお能についての解説をしていただきながら、はてなマークが子どもたちの頭に浮かんでいるのが見え、これはちょっと難しすぎたかと頭を抱えた。でも、謡や鳴り物などのワークショップをしていただいた後、土蜘蛛を見る子どもたちの目は真剣そのもの。寝た子は一人もいなかった。自分たちを厳しく指導してくださった先生たちが舞台上で凛々しい顔で演奏したり、動いたりしている姿がかっこよかったという。本物の力は必ず届く。そう思った。
アイキャッチは『千代田の大奥 御能楽屋』 国立国会図書館デジタルコレクションより