2025年1月より、江戸文化を花開かせたメディア王、蔦谷重三郎(つたやじゅうざぶろう)を主人公に描くNHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~』がスタート。現在、多くの美術館で浮世絵に関する展覧会が開催されています。また、近年、海外のオークションで葛飾北斎(かつしかほくさい)の『富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)』が高額で落札されるなど、浮世絵は国内外から注目を集めています。その一方で、浮世絵がどのように誕生し、どのように継承されてきたかを知らない人も多いのではないでしょうか。
大倉集古館で開催中の特別展「浮世絵の別嬪(べっぴん)さん―歌麿、北斎が描いた春画とともに」では、肉筆で描かれた浮世絵の「美人画」を通して、その魅力はもちろん、浮世絵の成り立ちや絵師の系譜、そこに隠されたテーマなど、様々な側面を知ることができます。また美術館で公開されることの少ない春画も併せて展示され、浮世絵師が描いた日常生活の表裏を楽しむこともできる展覧会となっています。
今回、肉筆浮世絵の「美人画」を深く掘り下げるべく、大倉集古館の学芸部長である平塚泰三さんに伺ってみました。
遊女を描くのが「美人画」ではない? 「美人画」の概念が変わる!
―展覧会テーマを「美人画」にされたのは、どういう狙いがあるのでしょうか。
平塚:展示の監修をしていただいた肉筆浮世絵の研究者で、慶応大学教授の内藤正人先生がおっしゃっているように「浮世絵は、そもそも『美人画』として、江戸前期に誕生した」ということをしっかり伝えたかったのです。多くの人は浮世絵と聞くと、遊女や役者を描いた多色刷りの、いわゆる錦絵の版画を想起しますが、それは江戸後期になります。浮世絵の前段階にあたる近世初期風俗画には、年中行事、遊興、季節の行事、お正月や花見や紅葉狩りなどを楽しむ人々の姿が描かれていました。その中から女性像を単体に抜き出して描き、発展したのが「美人画」です。
―「美人画」というと遊女たちを描いているものだと思っていましたが、もっと広い意味があったのですね。今回、名だたる絵師がみな「美人画」を描いていて驚きました。
平塚:そうですね。風景版画が有名な葛飾北斎や歌川広重(うたがわひろしげ)も肉筆で「美人画」を描いています。画題も遊女だけでなく、古典の中に出てくる女性像を描いたりしています。そのほか、若衆といわれる美少年も描いていたり、女性に限定されていたわけでもないのです。
女性の顔を変化させた岩佐又兵衛は、浮世絵のエポックメイキング?
―今回の展示では、岩佐又兵衛(いわさまたべえ)※1の作品から展示がスタートしていますが、又兵衛の風俗画も浮世絵に属するのでしょうか。
平塚:又兵衛は、漢画※2の系統の狩野派、やまと絵の流れを汲む土佐派など、いろいろな流派の画法を学び、吸収した近世初期風俗画の絵師です。浮世絵も風俗画ですから、浮世絵師が又兵衛の画風に影響を受けていることは間違いないでしょう。平安時代の女性は、「源氏物語絵巻」などに出てくる「しもぶくれで、ふっくらした輪郭に、引き目、かぎ鼻、太い眉」で描かれていますが、又兵衛は、豊かな頬と長い顎が特徴の「豊頬長頤(ほうぎょうちょうい)」という、個性豊かな女性の顔を描きました。それ以降、「美人画」の女性は、顎が細くなり、輪郭のはっきりした顔へと移行する傾向がみられます。菱川師宣(ひしかわもろのぶ)が俗に浮世絵の祖と言われるのは、肉筆画にとどまらず、版本などの挿絵を手掛け、広く一般大衆に浮世絵を広めた人だと見なされたからです。
―確かに師宣以降の浮世絵師の描いた「美人画」の顔は、洗練されていますね。又兵衛が肉筆浮世絵の「美人画」の出発点であり、それを世に広める端緒となったのが師宣ということなんですね。
平塚:師宣を現代において有名にしたのは、晩年に描いた『見返り美人図』(東京国立博物館蔵)です。これは、教科書にも載り、切手の図柄にもなりました。ただ、この浮世絵について、内藤先生は、師宣が「美人画」の大家であり、「面差(おもざし)の表現」に高い質を保持しているにも関わらず、顔がはっきり見えないのが残念な点であることを指摘しています。ですから、今回は、女性の姿を正面から見た『美人立姿図』と『紅葉下立美人図』を展示しています。正面から見た師宣の描く美しい女性の表情をぜひ、見てほしいと思います。
浮世絵に表現されてきた古典を知ると、もっと浮世絵が楽しめる!
―先程「美人画」には、古典に取材したものもあると言われましたが、それはどのような作品ですか?
平塚:今回の展覧会の目玉でもある重要文化財の『雪月花図』です。これは、師宣亡き後に隆盛を誇った宮川派※3の宮川春水(みやがわしゅんすい)の弟子であった勝川春章(かつかわしゅんしょう)の作品です。春章は、北斎の師匠でもあり、役者絵のヒットで人気絵師となりましたが、「美人画」でも素晴らしい作品を残しています。これは、当時の女性を平安時代の三才媛に見立てて描いたもので、右は小野小町。真ん中が紫式部で、石山寺で『源氏物語』の構想を練っているところだと言われています。左は清少納言で、『枕草子』の第259段にある「香炉峰」の雪の逸話に基づく絵です。ただ、これには別の説もあって、右が清少納言で、これは第23段にある青磁の花瓶に挿された桜を、見るという場面の「見立て」、左は、『源氏物語』「若菜上」の帖に出てくる女三の宮ではないかという説もあります。女三の宮の飼い猫の紐がからまって、御簾がめくりあがった際に、その姿を柏木が見るという場面の見立です。一つの浮世絵に、『枕草子』と『源氏物語』のイメージを重ねたと見ると、さらに浮世絵が楽しめるのではないでしょうか。
―浮世絵師も古典の知識を踏まえて、独自の画風へと昇華させていったのですね。美しい女性を描いただけでなく、絵の中に様々なストーリーや情報を詰め込んでいたのは驚きです。
平塚:浮世絵の中には「見立て」とか「やつし」という、古典の内容をその時代の風俗に置き換えて表現するという手法があります。又兵衛の絵には、中国や日本に伝わる故事や古典について描かれたものも多いのです。そういった流れで見ると、後の浮世絵師が行う「見立て」などを支える古典学習の素地が、又兵衛にまで辿れる気がします。歌川豊広(うたがわとよひろ)※4の描いた『竹林七妍図(ちくりんしちけんず)』は、中国の『竹林の七賢人』という老荘思想を象徴した画題がイメージソースになっています。理想の隠遁生活を画題としたものを当世風の女性に置き換えるなど、洒落が効いています。
有名絵師の流派を知ると、浮世絵師の特徴がよくわかる
―中国の老荘思想までも取り入れていたとは! 単に技法を受け継ぐだけでなく、そういった教養や知識も師から受け継がれてきたのでしょうか。
平塚:画風の継承にも関わってくるのですが、宮川派でも勝川派でも、各流派の始祖となる浮世絵師は、漢画ややまと絵などの学習を経て、自己の画技を確立していると考えられます。それを弟子たちが受け継ぎ、師の画風をより高めていくことで、自分たちの流派の地位を確固たるものとしていったのだと思います。この過程において、画題に対する知識や解釈も継承されていったことは想像に難くありません。
―この時代、たくさんの浮世絵師がいたわけですから、現代にまでその名や流派を知られている人たちは、相当な努力をして、生き残った人達ということなんですね。
平塚:肉筆の浮世絵は、上質な絵の具を使っている場合も多くありますし、さらに巻物のような長大で場面数の多い作品は、材料費など非常にお金がかかります。それらを担保するのは発注者ですから、その分、厳しい目が向けられ、気に入らなければ修正や注文が入ったはずです。版画で知られる浮世絵師に、良質な肉筆画を描き上げる画技が備わっていたとすれば、それはある意味、当然の成りゆきと言えるでしょう。
「秘画」とされてきた春画は、浮世絵の中でどんなポジションだったか
-今回の展示では、春画も合わせて展示されていますね。浮世絵展ではめずらしいのではと思いました。春画と浮世絵は切り離されて語られてしまいますよね。
平塚:「浮世絵って何?」というところからはじまり、その素晴らしさを知っていただくには、ことさら、春画を外すのではなく、そこも含めて浮世絵なんだ、ということを理解してもらいたいと思っています。浮世絵は、その当初から夜の営みの部分も含めて、人々の日常の生活を描いてきたわけですから。
-今回『源氏物語』に取材した春画も展示されていますが、内容からすれば、春画があってもおかしくないなと改めて思いました。
平塚:武家出身の浮世絵師、鳥文斎栄之(ちょうぶんさいえいし)が、『源氏物語』に取材して十二図を描いています。栄之は500石取りの旗本でしたから、『源氏物語』を読み解く教養もあったのでしょう。この春画は『源氏物語』の主人公、光源氏が女性遍歴を重ねる姿が投影されており、第一図の「初音」の公家の女性以外は、江戸のさまざまな階層の女性が描かれています。それぞれの場面に『源氏物語』の帖の名前が付けられ、源氏香※5 に使われる「源氏香之図」も描かれています。さらに「初音」だったら梅、「花の宴」だったら桜、というように四季の情景も描き込まれるなど、画技も素晴らしい肉筆画です。十二図の内の3図の帖名は、光源氏が亡くなった後の帖で、柏木と女三宮との不義によって生まれた息子、薫や、孫の匂宮(におうのみや)を投影しているとも考えられ、親子3代にわたる複雑な男女の人間関係を彷彿させます。『源氏物語』を知っていれば、より楽しみが増える春画作品です。
―四季の花や装束の美しさに春画であることを忘れてしまいます。これだけ繊細な筆致で描かれる肉筆画の春画はたくさんあるのでしょうか。
平塚:「美人画」で歌麿のライバルとされていた栄之ですが、彼以外にも鳥居清信(とりいきよのぶ)、宮川長春(みやがわちょうしゅん)、歌川豊春(うたがわとよはる)といった著名絵師たちが、素晴らしい作品をたくさん残しています。
―ただ、寛政の改革で、出版統制令が出され、風紀を乱すと絵師たちも堂々と春画を描くことができなくなりましたよね。
平塚:非合法となったため、絵師は戯号を用いて、春画を描きました。その中で特筆されるのは、歌麿の『歌満くら』です。幕府の禁令下で、版元の蔦谷重三郎が世に出しました。今回は、肉筆画が中心ですが、この時代を象徴する春画の代表作として『歌満くら』も展示しています。これは、同じ版木でも、摺りによって色が異なる場合があることがわかるよう2枚並べて展示しました。また、前期のみの展示となっていますが、歌麿の新発見『蛍狩り美人図』は図版で見ていただけます。浮世絵の肉筆画、春画、そして版画と年代を追っての展示で、肉筆浮世絵の素晴らしさをじっくり堪能していただけたら幸いです。
取材を終えて
浮世絵は風俗画で流行りものと捉えられてきましたが、切磋琢磨された絵師たちの技術の高さ、奥深いテーマ性、流派による画風の確立などを知ると、浮世絵がなぜこれほどまでに人々を熱狂させてきたのかが、改めてわかりました。歌麿や北斎だけではない、多くの浮世絵師が誕生し、何代にもわたり技術の継承が行われてきた浮世絵の奥深さを、この展覧会でぜひ、じっくり鑑賞していただきたいと思います。
アイキャッチ
歌川豊広《竹林七妍図》(部分)文政(1818~30) 紙本著色 個人蔵
特別展「浮世絵の別嬪さん ─歌麿、北斎が描いた春画とともに」
会期:2024年4月9日(火)~6月9日(日)
[前期 4月9日(火)~5月6日(月・振) / 後期 5月8日(水)~6月9日(日)]
会場:大倉集古館(東京都港区虎ノ門2-10-3)
開館時間:午前10時~午後5時(金曜日は午後7時まで)
※入館はいずれも閉館30分前まで
休館日:月曜日(祝休日の場合は翌火曜日)
入館料:一般 1,500円、高校・大学生 1,000円、中学生以下 無料
※同会期中のリピーターは500円引き、着物(和装)での来館者は300円引き(割引の併用不可)
公益財団法人大倉文化財団・大倉集古館公式ホームページ