大河ドラマ『光る君へ』では、藤原道長をめぐる正妻・倫子(ともこ)vs2人目の妻・明子(あきこ)のバトルに加えて、いよいよ主人公まひろ(紫式部)の愛人疑惑も浮上し、波乱の予感です。
ところが歴史物語の『栄花物語』では三角関係、四角関係なんのその。道長と関係のあった女性がほかにもたくさん登場するのです。紫式部の同僚の、あの女房も……?
道長が愛した女性たちを紹介していきましょう。
正妻 藤原倫子
道長が出世できたのは、左大臣・源雅信の娘で、宇多天皇のひ孫にあたる倫子の家格があってこそ。倫子は2男4女を生み、4人の娘全員を天皇または東宮に嫁がせて、道長を天皇の外祖父へと押し上げました。道長は日記の中でも、倫子に対して敬語を使っていたとか、いないとか。
2人目の妻 源明子
醍醐天皇の孫という高貴な血筋でありながら、父・源高明(たかあきら)が政変により失脚していたため、道長の正妻にはなれなかった明子。道長の姉で一条天皇の母でもある詮子(あきこ)のもとに身を寄せていたところを、若かりし道長が夜這いをかけてちゃっかり妻にしてしまいました。
愛人と噂の有名人 紫式部
『源氏物語』の作者・紫式部は夫を亡くし一人娘を抱えて困窮しかかっていたときに、漢籍(漢文で書かれた書物)を読みこなし、物語を執筆する教養を見込まれて、道長の長女で一条天皇の中宮となった彰子に仕える女房となりました。
彰子の出産を記録した『紫式部日記』には、道長との親しい間柄をうかがわせるような記述も見られます。大河ドラマでは道長の本命として描かれましたが、「愛人という噂があった」という程度の関係だったよう。
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この時代、貴族の殿方と宮仕えの女房の一夜や二夜の手合わせは、恋のうちにも数えなかったのかもしれません。
妻公認の浮気相手 大納言の君
夫と別れて彰子の女房として内裏に出仕していたところを、道長が「お手つき」したのが大納言の君、源廉子*(やすこ)。『光る君へ』に登場する彰子の女房達に注目してみてください。紫式部を冷ややかに見ている女房のひとりがその人です。
大納言の君は倫子の姪。倫子は「まあ他人ではないし、見逃しておこうかしら」とおおらかな態度を見せています。
*簾子とする説もあります。
3人目の妻レベル? 為光4女
道長が一時「3人目の妻」といえるレベルで寵愛したのが太政大臣・藤原為光の4女だった儼子(たけこ)。
この女性、実は藤原伊周(これちか)が失脚する原因となった「長徳の変」が起こったその夜に、花山院が通っていた女性でもあります(伊周は為光3女のもとに通っていたのですが、同じ女性に通っているという勘違いから従者同士の乱闘事件に発展)。そして、大河ドラマの前半で花山天皇がメロメロになっていた女御・忯子(よしこ)の異母妹でもあります。
花山院が崩御すると道長と倫子は儼子を、次女・妍子(きよこ)の女房として雇い入れました。しかし、いつしか道長と儼子は深い仲に……。『栄花物語』には為光4女のために道長が「家司(けいし/家政を担う職員)などを定めて、正式にもてなした」とあり、ただの愛人に留まらない扱いだったようです。
儼子は三条天皇の中宮となった妍子に付き添って内裏に出仕し、その後、道長の子どもを妊娠しますが、出産の際に母子ともに命を落としたと思われます。
これが道長の最後の恋かと思いきや、まだまだ。同じく妍子に仕えていた為光5女穠子とも、ねんごろな仲になったとか。穠子の読み方は伝わっていませんが、一説に「しげこ」ともいわれます。
また、どのような恋愛だったのか詳細は不明ですが、大納言・源重光の娘との間に、子ども(藤原長信/ちょうしん)がいたとも伝えられています。
さすが、妻一筋だった息子・頼通を「男が妻を一人しか持たないなど、愚かしいぞ」と叱りつけているだけあります。
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ところで、道長の正妻・倫子は入内した娘たちの面倒をみるために、ちょくちょく内裏にのぼっていました。
そこに愛人が何人もいたと思うと、ぞっとしてしまいますね!
*名前の訓読みは一説です。平安時代の人物の読み仮名は正確には伝わっていないことが多く、音読みにする習慣もあります。
アイキャッチ:『「五色染六歌仙」より「在原業平(825-880)と小野小町」』喜多川歌麿 出典:メトロポリタン美術館
参考書籍:
『日本大百科全書(ニッポニカ)』(小学館)
『国史大辞典』(吉川弘文館)
『改訂新版 世界大百科事典』(平凡社)
『日本人名大辞典』(講談社)
『日本古典文学全集 栄花物語』(小学館)
『日本古典文学全集 大鏡』(小学館)
『藤原道長』著:朧谷寿(ミネルヴァ書房)
『藤原道長を創った女たち』編著:服部早苗・高松百香(明石書店)