現在、佳境を迎えているNHK大河ドラマ『光る君へ』。政権を巡る熾烈なバトルや複雑な男女の恋愛模様などストーリーの面白さもさることながら、今回、多くの女性を虜にしているのは、全体に流れるみやびなムードではないでしょうか。十二単をはじめ、美しい装束や煌びやかな宮廷の様子、さらに日本古来の自然の風景や雅楽の音色など、ドラマを見ているだけで、時代を超越して、高貴な世界へと誘ってくれます。そんなことを感じさせてくれる展覧会『みやびの世界 魅惑の源氏物語』が、名古屋市にある徳川美術館で開催されています。徳川美術館といえば、徳川家康の遺したお宝の数々をはじめ、尾張徳川家に代々伝わる文書や装束、刀剣や工芸品など、当時の様子を今に伝えるたくさんの貴重な史料が収蔵されています。今回は国宝『源氏物語絵巻』を含め、平安時代から江戸時代に至るまで、『源氏物語』にまつわる文書や絵画、工芸品や衣装の数々が展示され、リアルに「みやびの世界」を体感できます。
この展覧会を企画された学芸員の吉川美穂さんに、なぜ、1000年以上もの間、『源氏物語』は受け継がれることができたのか。そして、『源氏物語』に代表される「みやびの世界」とはいったいどんなものだったのか。じっくりと伺ってみました。
源氏物語絵巻が残ったことで受け継がれた『源氏物語』の世界観
―今まで、私は品の良い、高貴な雰囲気を感じるものに対して「みやび」という言葉を使っていましたが、大河ドラマ『光る君へ』を見て、より具体的にイメージできました。今回の展示は『光る君へ』のドラマのイメージと深く関わっているなという感じがしたのですが。
吉川:『源氏物語』の魅力は、情景描写にはじまり、人々の装いや邸宅内の室礼(しつらい)、儀式や行事、書画や香、工芸に至るまで、平安王朝のみやびやかな暮らしぶりが、丁寧に描かれているところにもあると思います。今回の大河ドラマの美術スタッフの方も、書物にある平安時代の言葉だけでは、わからない部分が多いので、屏風や『源氏物語絵巻』を見て、舞台や美術品の再現をされたそうです。ただ、絵巻自体は『源氏物語』が書かれてから、100年以上後に描かれたものなので、どこまで正確な描写か、わからない部分が大きいのです。それでも平安時代の宮廷生活を描いた絵画作品というものが他にはないことから、この『源氏物語絵巻』の貴重さがきわだっているのです。
―平安時代の屏風や絵画は他にもあると思うのですが、『源氏物語絵巻』のどのあたりが、特に貴重なのでしょうか。
吉川:少なくとも100年が経っているとはいえ『源氏物語絵巻』は、物語に近しい宮廷という環境で描かれたと考えられます。文章には書きあらわされない宮廷貴族の暮らしぶりが細やかに、しかもリアルに描かれている点で貴重です。
長い歴史の中で受け継がれた研究の集大成
―そう考えると『源氏物語絵巻』は、平安時代を知るための研究資料としての意味合いも強かったんですね。
吉川:実は紫式部が実際に書いた『源氏物語』は一つも残っていないんです。残っている文章としては、『源氏物語絵巻』に書かれている詞書が一番古い。54帖もの長いお話が、なぜ現代にまで伝えられたかといえば、鎌倉時代に青表紙本※1や河内本※2が作られ、多くの人の手によって書き写され、受け継がれたことが大きいです。ストーリーの面白さはもちろんですが、女こどもの読物といわれた物語が、文学作品として認められ、多くの人が『源氏物語』を何らかの形にして、読み継いできた歴史があります。今回の展覧会を『魅惑の源氏物語』としたのは、その部分を紐解いていきたいとの思いからです。
『源氏物語』を読み解くには和歌を知ることは必須
―例えば、どんなところに『源氏物語』が影響を与えたと思われますか。
吉川:源氏物語の魅力というと、現代小説にも通じる心理描写といわれ、現代人にも普遍的に受け入れられる物語というのが一つですが、鎌倉時代は『源氏物語』は、和歌の教科書としても読まれていたんです。
―古今和歌集などを読むと、季節感や自然描写がすごいなと思うんですが、『源氏物語』にも、人の感情や行動を季節感と合わせた和歌の要素がうまく取り入れられていますね。
吉川:藤原定家(ふじわらのていか)の父、藤原俊成(ふじわらのしゅんぜい)の有名なエピソードに、「源氏見ざる歌詠みは遺恨の事なり」という記述があります。これは、「『源氏物語』を読んでいない歌詠みは残念だよね」と言っているんですね。当時、「草原(くさのはら)」という言葉が、「この言葉は、和歌にふさわしくない」という議論になった時に、俊成が、「いや『源氏物語』の朧月夜が詠んだ歌に入っているだろう。それを知らないとは残念だ」と。
「朧月夜」の帖は、朧月夜の素性を確かめないまま、光源氏は逢瀬を交わしてしまいましたが、入内予定だった朧月夜との密通を知り、右大臣の逆鱗に触れ、光源氏はやむ無く明石へと下ることになります。
この時に朧月夜が「このままつらいわが身がこの世から消えてしまったならば、草原に眠る私の墓所を訪ねて来たりはするまいとお考えなのですか」という歌があるんですが、それを例にとって伝えているんです。
―本当に深く『源氏物語』を読みこんでいるのが伝わりますね。
吉川:この「草原」という言葉一つとっても、『源氏物語』を知っているか、知らないかで、その文章が持つ意味合いまで変わってくるということで、和歌を詠む人は『源氏物語』ぐらい知らないと、という共通の教養になっていたことがわかります。それが江戸時代まで続いていました。
―『源氏物語』は一つの共通言語になっていたんですね。
吉川:そう、中学生がドラマを見ていないと話題についていけないのと同じような感覚です。そういう存在として『源氏物語』は受け継がれてきたんです。それと、大河ドラマにも出てきましたが、紫式部のお父さんが漢学者だったので、紫式部自身も中国の古典にも通じていたり、日本書紀にも詳しいなど、知識・教養のある男性が読んでも充分楽しめる内容となっていたんですね。
徳川家康も源氏物語に影響を受けていた?
―徳川美術館の原点ともいえる徳川家康も『源氏物語』に傾倒していたんですよね。
吉川:徳川家康が、大坂の陣の後で、二条城に戻った時、『源氏物語』の講釈をするよう命じたと伝えられています。それが『初音』の帖だったんです。悲しい場面がない初音のストーリーは、吉祥の帖とされ、祝いの席にぴったりだったのでしょう。さらに、初音は、家康の孫である3代将軍・家光の長女、千代姫が尾張徳川家2代光友に嫁ぐ際あつらえた婚礼調度の題材にもなっています。
―国宝ともなっている『初音の調度』は、蒔絵の素晴らしさも秀でていますよね。
吉川:これは室町時代以来の蒔絵師、幸阿弥家(こうあみけ)10代の長重が製作にあたりました。当時の技術の頂点ですし、金、銀、サンゴを使うなど、江戸初期には潤沢に材料を手に入れることができたとはいえ、いずれも高価なこれらの材料を使用した最高級品です。
―最高級品とされる嫁入道具にも、『源氏物語』が投影されているところもすごいなと思うんですが。
吉川:初音蒔絵帯箱に描かれた松と鶯は、母の明石の君が、娘の明石の姫君に宛てて詠んだ和歌
「年月(としつき)をまつにひかれてふる人に、けふ(今日)鴬の初音をきかせよ」※3
によるものです。『まつ』には年明け最初の子(ね)の日に、松を引き抜く貴族の遊びから引用され、『待つ』と『松』の2つの意味がこめられています。明石の姫君は、数え3歳で、明石の君と離れ、紫の上の元に行くことになったのですが、この明石の姫君に、同じく数え3歳で尾張徳川家に嫁ぐことになった千代姫が重なったのだと思います。
―千代姫の遊び道具でもあった宇治香箱(うじこうばこ)も素晴らしいですね。
吉川:これは本当に贅沢な品で、香箱は、香を聞いて、遊ぶためだけに作られた道具で、10人分の札があるんです。香合せは、数種の香をたいて、香りを聞き分けて賞玩し、その当否を競う遊びです。この品は、解答を示す香札を納めるための箱で「宇治香」と呼ばれる香合せに用いられていました。箱の蓋表には、宇治香箱の文字と平等院や鐘楼、四側面にわたって宇治の風景が精緻な蒔絵で表されています。
本居宣長が『源氏物語』の「もののあはれ」を評した
―1つの物語が、絵巻になり、そこから能になったり、工芸になったりと波及力はとてつもないですね。
吉川:1000年前の紫式部の時代から、時代ごとに読み継がれ、書き継がれ、研究も続けられて、今に続いています。室町時代まで『源氏物語』は、本文を読んでも「誰が?」「誰に?」という主語や目的語が入っていないんです。それが江戸時代初期には、主語や目的語が入ったものを読んでいた。そこには研究の積み重ね、例えば「桐壺帝のモデルは醍醐帝(だいごてい)ではないか?」とか、「光源氏のモデルは『源高明(たかあきら)』だ」というようなことを南北朝時代には言われていたり、多くの人々の読解や研究の長い積み重ねが膨大にあって、今に受け継がれているのが『源氏物語』のすごいところでもあるんです。
―今回の展示では、江戸時代に『源氏物語』の研究をしていた本居宣長の『玉の小櫛(たまのおぐし)』も展示されていましたね。
吉川:本居宣長以前は、『源氏物語』は、光源氏が栄華を築くまでという政治的な側面を描いた、いわゆる「政道読み」という、教訓めいたものとして、為政者をはじめ人々に読まれていました。それに対し、本居宣長は、「物語は物語として読むべきだ」という持論を打ち出し、それが今、私たちに読み継がれている『源氏物語』の読み方でもあるんです。本居宣長は、「物語を読んで心を動かされる。悲しんだり、喜んだり、心の動きが大切である。それが『源氏物語』の本質である『もののあわれ』を知ることにつながる」と言っているんです。
―江戸時代には、公家や大名たちの読み物から、庶民にも広がり、現代の形になってきたんですね。私にとって『源氏物語』は、漫画『あさきゆめみし』が入口なんですが、あの漫画も本居宣長の研究がなければ生まれていなかったかもしれないですね。
さまざまな日本文化に『源氏物語』の研究は、受け継がれている
吉川:江戸時代になると、出版文化が盛んになり、注釈書もたくさん版行されました。なかでも『湖月抄(こげつしょう)』※4 は、『源氏物語』の本文に傍注と頭注を加え、各帖の冒頭には帖名の由来や登場人物の年齢などを記しています。小学館から刊行されている『新編日本古典文学全集』の編集など、江戸時代の『湖月抄』と近い形となっているんです。
―現代にまで通じる『源氏物語』の研究が、すごいことを改めて感じました。そして、この『源氏物語』が、さまざまな日本文化へ与えた影響ははかりしれないですね。
吉川:そうですね。文学にとどまらず、美術工芸・能・茶道・香道などの芸能へと広範囲に及んでいます。
また江戸時代後期には、柳亭種彦が書いた『偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)※5』に浮世絵師の歌川国貞が描いた風俗描写で、多くの女性たちをも虜にしました。この人気にあやかり国貞は数多くの源氏絵を描いています。
普段何気なく使う『みやび』とは何なのか?
―『源氏物語』を深く知ると、日本人の美意識とか、情緒に繋がっていくんですね。
吉川:「みやびた」という言葉は「ひなびた」の反意語であり、宮廷ぶり、都ぶりを指す言葉でありますが、平安時代には、洗練された文化の総称だったのではないかと思います。その豊潤な世界観が現代においても、人々の感性を刺激し、発想の源泉となっています。また、30を超える世界の言語に翻訳され、大きな影響力をもって読み継がれている物語でもあります。
―海外の人にとっても『源氏物語』は、日本人の深い部分を理解するのに役立つ物語なのではないでしょうか。内省的な感情とか、風景を愛でる感覚とか、日本人の原点という気がしてきました。今日は貴重なお話をありがとうございました。
取材を終えて
1000年以上もの長きに渡り、受け継がれてきた『源氏物語』には、和歌のように自分の感情を自然に見たてたり、思いを託すなど、日本ならではの文化が根底に流れている気がしました。日本人の精神性や美意識が詰め込まれているからこそ、こんなにも長く愛されてきたのかもしれません。『源氏物語』に映し出された人間模様が、いつの時代の人々にも、深く心に突き刺さることを感じられる展覧会、ぜひ本物の「みやびの世界」を鑑賞していただきたいと思いました。
アイキャッチ画像:『源氏御祝言之図』 歌川国貞(三代豊国)画 徳川美術館蔵
秋季特別展 みやびの世界「魅惑の源氏物語」
会場:徳川美術館(名古屋市東区徳川町1017)
会期:2024年9月22日 (日) ~ 2024年11月4日 (月)
休館日:月曜日 ※ただし9月23日・10月14日・11月4日は開館、9月24日・10月15日・11月5日は休館
開館時間:午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
入館料:一般 1,600円・高大生 800円・小中生 500円
※20名様以上の団体は一般200円、その他100円割引
※毎週土曜日は小・中・高生入館無料
公式ホームページ