宮脇綾子さんってどんな人? 年表で紹介
プロフィール
宮脇綾子(みやわき・あやこ)
1905年、東京生まれ。画家・宮脇晴と結婚し、名古屋に暮らす。40歳から古布を生かしたアプリケ作品の制作を始める。1995年、90歳で逝去。アイキャッチ画像は晩年、ひなげしの花が咲く自宅の庭で。
明治38(1905)年 0歳
東京・田端に生まれる
父・門脇永太郎、母・ツタの長女として生まれる。父は標本を全国に販売するなど、数々の事業を営んでいた。ツタの故郷は、岩手県・花巻。綾子は、弟4人、妹ひとりの、6人きょうだいのいちばん上だった。お手伝いさんや書生さんがいるような大きな家で幼少期を過ごす。
大正6(1917)年 12歳
父が事業に失敗。家族が離れ離れに
綾子が小学校を卒業するころ、父が事業に失敗。どん底の生活を余儀なくされる。母はいちばん下の弟と妹を連れて花巻に帰郷。綾子は高等小学校を卒業後に入学した女学校を途中でやめる。その後、父は病死。母が戻ってくるも貧しい生活は続いた。
昭和2(1927)年 22歳
宮脇晴と結婚。名古屋で生活を始める
14歳のころ、通っていた日曜学校の先生から名古屋の工芸学校にいる3歳年上の宮脇晴を紹介され、文通が始まる。22歳のときに晴のプロポーズを受け、名古屋へ。宮脇家は尾張藩の士族の家で、幕末に生まれた姑と晴と3人で慎ましく質素な生活を送る。
昭和27(1952)年 47歳
初の個展「宮脇綾子布絵作品展」を開く
第二次世界大戦中の困難な生活でも、3人の子供たちにひもじい思いをさせず、夫にも好きな絵を描かせたいと家事、育児に奮闘。戦後、子育てが一段落すると、玄関にかけてあったエジプト製の壁掛けを見て、アプリケの創作を始める。
昭和42(1967)年 62歳
名古屋女子短期大学講師となる
50代からカルチャーセンターや短期大学の講師などの仕事が増える。55歳のとき、弟子たちと「アップリケ 綾の会」を結成、主宰。旅に出たときにはスケッチブックを持参して食べたもの、見つけたものを記録した(写真右)。色紙に布を貼った作品も多く、写真左の昭和39(1964)年『ねぎ』(個人蔵)には、珍しく「あや」という印が押されている。
昭和56(1981)年 76歳
著書『私の創作アップリケ──藍に魅せられて』上梓
雑誌や新聞などに随筆やコラムを寄稿することも多かった。初めての著書としてまとめられたのが『私の創作アップリケ──藍に魅せられて』(大和書房)。これまでの人生について書き下ろした自叙伝、アプリケの制作方法、エッセイなどが収録されている。右の写真は夫・晴と一緒に、自宅の玄関前で。76歳ごろ。
昭和57(1982)年 77歳
喜寿を迎える。全国各地で個展が続く
70代以降、名古屋、東京、大阪など全国各地で個展が開催され、新聞や雑誌、テレビでの紹介が続く。79歳のときに兵庫県西宮市大谷記念美術館で開催された「宮脇綾子アプリケ展」は、入場者数2万人を超える大ヒットとなった。
昭和60(1985)年 80歳
夫・晴が逝去。翌年「宮脇晴・綾子ふたり展」開催
「一卵性夫婦」と呼ばれるほど仲がよかった夫・晴が1985年2月に逝去。写真は同年10月の綾子。たびたび、夫婦のふたり展を行ってきたが、晴が亡くなった翌年にも名古屋と長野県上田市で「宮脇晴・綾子ふたり展」を開催。86歳のとき、アメリカのワシントン女性芸術美術館で個展を開催。
平成7(1995)年 90歳
7月、名古屋の自宅で綾子逝去。享年90。
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宮脇綾子展覧会『生誕120年 宮脇綾子の芸術 見た、切った、貼った』、東京ステーションギャラリーで開催
2025年1月25日(土)から、東京・丸の内の東京ステーションギャラリーで宮脇綾子展覧会『生誕120年 宮脇綾子の芸術 見た、切った、貼った』が開催されます。
詳細は公式サイトにてご確認ください。
https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition.html