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2025.08.04

今年の夏も暑すぎる…江戸時代の熱中症対策、試してみる?

暑い。暑すぎる。こんなに暑くては、なにもやる気が起きない。帽子をかぶる、日傘を差す、水と塩分をこまめにとる、体を冷やす……世に聞く熱中症対策はどれも試してみたけれど、暑さには勝てそうにない。高温多湿な日本の夏は生き抜くだけでも精いっぱいだ。昔の人たちは、いったいこの暑さをどうやって乗り切っていたのだろう?

そこで見つけたのが、古の熱中症対策「香薷散(こうじゅさん)」。江戸の働く人びとを支えた、暑気払いに効果があるとされる薬である。もしかすると香薷散がこの夏を変えるかもしれない。

暑さに倒れ……なかった江戸の職人たち

「俳優見立夏商人」歌川国貞(東京都立中央図書館)

1657(明暦3)年、江戸城本丸が焼失した。修復を命じられたのは、加賀の前田藩。当時、加賀藩の大工の労働時間は午前6時にはじまり、日没まで働いたというから夏は10時間を超える長時間労働だった。
本丸の修復は1658(明暦4)年3月に着工し、翌年の8月に完成する。夏の盛りに強い日差しのなか、汗をかきながら働いた職人たちはさぞかし苦労したことだろう。暑さで倒れた人がいたって不思議じゃない。

しかし前田藩は、きちんと対策を講じていた。
暑さ対策にと江戸中の医師に数千袋の香薷散を調製させ、夏の間はこれを水と一緒に飲ませていたのである。そのかいあってか、数万もいた職人のなかで熱中症になる者は一人もいなかったという。

炎天下で働く職人を守った香薷散とは、いったいどんな代物なのだろう? 医者が処方したということだから薬なのだろうか? 原材料は? 

古の熱中症対策「香薷散」

『増廣太平惠民和劑局方』(国立国会図書館デジタルコレクション)

香薷散は、中国は宋の皇帝徽宗(きそう)の命で編纂された薬剤の処方集『和剤局方』に収録されている処方のひとつである。華やかな名前のわりに原料は意外にもシンプル。

『和剤局方』によれば使用されている生薬は、陳皮(ミカンの皮を乾燥させたもの)、香附子(カヤツリグサの根茎を乾燥させたもの)、紫蘇葉(シソ)、甘草のたった4つ。これを粉にして煎じて服用するか、あるいは塩をすこし入れて飲む。ここに生姜と葱を入れて飲んだこともあったらしいが、基本的にはこの4つの生薬で作られていた。

香薷散は暑さだけでなく疫病も払う

香薷散は暑気払いの治療薬とされているが、効能はそれだけにとどまらない。じつはこの薬には、不思議な話がある。

昔、あるところに白髪の老人がいた。
この老人は、香薷散(香蘇散とも)の処方をとある高貴な身分の方に教えていた。その高貴な人の家では、皆がこの薬を飲んでいたという。
あるとき疫病が流行り、たくさんの人が亡くなった。しかし、城中にいた人たちは治った。
その後、疫病を流行らせた鬼がやって来て、高貴な身分の人に尋ねると老人のことを明かしたという。話によれば件の白髪の老人は、香薷散の処方を他にも3人に伝えたとのこと。

この話は伝説にすぎない。でも、もし本当だとしたら、昔、疫病が流行した際に香薷散を服用していた人たちが命を落とさずに済んだ、という逸話を今日に伝えているとも考えられる。「城中」というくらいだから、ある程度大きな都市だったろうし、住人もたくさん暮らしていただろう。ということは、死者の数もかなり多かったはずだ。
処方を伝えた白髪の老人が何者かは不明だが(鬼と並んで、物語に神秘性を与えるための登場人物かもしれない)、あるいは医師のような人物だったのかもしれない。

ほかにもある。暑気払いに効果的な治療法

『広恵済急方 3巻』1790年(国立国会図書館デジタルコレクション)

熱中症対策には、暑さに負けない体づくりが大切である。適度な運動、適切な食事、充分な睡眠。そんなことは百も承知だ。それでも勝てないのが、真夏の太陽なのである。
そこでおすすめしたいのが、徳川時代から伝わる暑気払いの治療法。治療の定番だった香薷散をはじめ、江戸時代の日本には、ほかにもさまざまな薬があった。

夏の行商人が売り歩いていたのが「延命散(えんめいさん)」。芍薬や良姜といったいくつかの生薬を調合したもので、これもまた真夏の定番だった。

夏の一番暑い時期、関西では薬屋で「枇杷葉湯」が売られる光景が見られたという。枇杷葉湯は、枇杷葉を煎じたものに胃の消化や働きを活発にしてくれる医薬品を加えたもの。薬屋の店先では乾燥した枇杷の葉が茶釜でぐらぐら煮られていて、通行人が自由に飲んでいたという。

ところで、江戸時代に編纂された医学書にはとんでもない療法も記載されている。たとえば、道ばたの土を掘り砕いて病人の臍(へそ)の上に積み、その中に穴を作って、人に小便をかけてもらう(『廣恵済急方』)とか。体の中心である臍から体を冷やす、という魂胆なのだろうが(おそらく)、なんだかちょっと試す気にはならない。

江戸時代の暑気払い

「俳優見立夏商人」歌川国貞(東京都立中央図書館)

暑気払いというと、さしずめ現代ではビールや冷酒で一杯やったり、滋養のある食べものを楽しんだり、子どもならプールや海に出かけたり、風鈴や打ち水で涼をとったりなんていう意味合いが強いかもしれない。
しかし、今ほど医療体制がしっかりしていなかった時代には、夏は疫病の季節でもあった。栄養不足に衛生状態の悪化、暑さによるストレスも加わって、夏は今よりもはるかに厳しい季節だったかもしれない。暑さを払うことには、涼しく過ごすこと以上に、命に関わる重要な意味があったのだ。

霍乱(かくらん)や中暑(ちゅうしょう)とも称された江戸時代の熱中症には、だから薬が服用された。香薷散は、頭痛、腹痛、嘔吐、下痢に効果的とされており、江戸時代の俳諧集にも登場するほど江戸の市井に定着していた薬だったのである。

おわりに

「俳優見立夏商人」歌川国貞(東京都立中央図書館)

今年の夏も暑くなりそうな予感がする。というか、すでに暑い。香薷散で退けられる暑さとはとうてい思えないが、なにせ疫病をも払う薬である。もしかすると、とてつもない効果を発揮するかもしれない。なにより環境にも優しく、体にもいい。
この古の熱中症対策、もしかすると今後、流行るかもしれない。気になる方は、ぜひ取り入れてみてほしい。

【参考文献】
三浦豊彦『熱中症予防薬と食塩』(日本医史学雑誌)

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馬場紀衣

文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。
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