目をキラキラさせたわたしは、いずこへ?
そんな甘ったるい言葉を口にした日から
ゆうに100年ほど経ったように思うのは気のせいか。
この「どれくらい」という言葉には。
どうやら魔物が潜んでいるように思う。
「どれくらい好き?」
「どれくらいキレイ?」
「どれくらい強い?」
答えは無限大。
日本で、世界で、地球規模でって、広げればキリがない。
だからこそ。
逆に、具体的に特定されず、あえてぼかしたい時にはとても便利である。
誰にって?
決まってるじゃん。いつもの、彼らだよ。戦国武将たちだよ。
ということで。
今回の記事は、自分のスゴさを競い合った愛すべき戦国武将たちをご紹介する。
その名も「戦国武将爆笑エピソード集(怪異編4)」。
それにしても、どうして怪異編なの?
そう疑問に思われた方もいるだろう。
後世にまで名を残した戦国武将の中には。
「どれくらい強いか」を自慢したい者もいる。武勇伝というやつだ。
この「どれくらい」という言葉。
「〇〇よりも強い」と、あえて特定の人物を出してしまえば、その強さは推測可能の域を越えず。
それは同時に、ある一定の限界ラインを引くことになる。
それでは、ダメだ。
際限なく強い自分でいたい。
皆が想像できないほど強くありたい。
そんな願いから導かれた答えは、ズバリ「人間ではないもの」。
得体の知れない魔物や八百万の神様など「人間ではないもの」を相手にすればよい。それなら相手の正体が分からず、その実力を推し量ることもできない。
つまりは願い通り、誰もが想像できぬほどの強さを手に入れられるというワケだ。
今回は、そんな「人間ではないもの」とご対面した戦国武将をご紹介しよう。
一体、どなたが出てこられるのやら。
是非とも、怪異と爆笑の間を行き来していただきたい。
※本記事は「豊臣秀吉」「伊達政宗」の表記で統一しています
「雷神」を助けた豊臣秀吉
まずは、最初のお方。
書いても書いても、未だ底が見えないほどの逸話をお持ちのあの武将。
現在、大河ドラマで大注目の豊臣秀吉である。
ホントね。
どんだけあんのよと呆れるくらいの「衣装持ち」、もとい「逸話持ち」。
そのツートップのひとりとして君臨するのが、我らが秀吉だ(もちろん、もう片方は徳川家康である)。

織田信長亡きあと、幾多の修羅場はあれど順調に立身出世を果たし、無事に天下人の座に。その様はあまりにもドラマティックで、だからこそ多くの逸話が創られた、いや、記録されたのであろう。
なかでも、本記事でご紹介するのは、少し変わった系統のモノ。ひょっとすると「怪異編」というタイトルからして、予想された方もいるかもしれない。
出典は江戸時代の怪談・奇談集である『拾遺御伽婢子(しゅういおとぎぼうこ)』より。
さて、いつの頃の話かというと。
秀吉が未だ天下人になる前。豊臣姓ではなく羽柴姓の時代であり、ちょうど姫路城に在城していた時期である。
姫路城といえば。
数々の奇怪な噂が囁かれるが。
じつは、日本初の世界文化遺産に登録された国宝の城。世界文化遺産への推薦理由は、美的完成度が日本の木造建築の最高峰と評価されるからだとか。まさしく「白鷺城(しらさぎじょう)」という名がふさわしい名城なのである。
そんな姫路城にどうして秀吉が?
これは、のちの秀吉の天下取りに大いに関係する。
天正8(1580)年、当時の姫路城の城代は、秀吉の軍師である官兵衛こと「黒田孝高」。ちなみに、この頃は未だ「本能寺の変」も起きておらず、あの織田信長も健在。ほんでもって、当時は主君の信長が秀吉に中国攻めを命じていたイケイケの頃である。この天正8(1580)年に、なんと黒田孝高は、中国攻めの拠点にと秀吉に姫路城を献上するのである。
秀吉はいそいそと姫路城に三層の天守を築き、翌年の天正9(1581)年には見事完成。
そうこうしているうちに、世間は大混乱に。というのも、天正10(1582)年に「本能寺の変」が起き、織田信長が自刃したからだ。ここから、秀吉のビクトリーロードがスタート。世間でいうところの「中国大返し」を敢行、主君であった信長の仇を討ち、柴田勝家をはじめ信長の次期ポストを狙う武将らを追い詰めていく。

さて、前置きが長くなったが。
今回、ご紹介するのは、秀吉が姫路城に在城したわずか数年の間の出来事のひとつである。
ある夏のこと。
突如、姫路城一帯の空が黒い雲に覆われたという。勢いよく稲妻が走り、さらに土砂降りの大雨。今でいうところの「雷鳴ありのゲリラ豪雨」という状況だ。
その姫路城から少し離れた場所に、当時、榎(えのき)の大木があったとか。
どうやらそこに、運悪く、雷が落ちたというのである。
それで終わればいいのだが、事態は思わぬ形で急展開を迎える。
『拾遺御伽婢子(しゅういおとぎぼうこ)』によれば。
終にかの榎におちかゝりて、此木二つに裂け、その間に雷はさまれたり、動揺する事おびたゞし。
(神明あさ子著「近世怪談集と中国説話―『拾遺御伽婢子』を中心に」より一部抜粋)
うん?
あれ?
どう考えても、榎の木に「雷はさまれたり」って、なってるんだけど。
それって、一体、どういう状況なんだろか。
ここで、皆さま方には、ちょいと想像力を膨らましていただいて。
「雷」という自然現象をイメージするから、ややこしいワケで。
「雷神」という神様を頭に描けば、はさまれもするかと……(いや、はさまれないだろ)。
ちなみに、こんな方が空から落ちて来られたと……。

いや、あかんやろ。
外見、けっこう、強面なのに。
「木にはさまって動けまへんねん」って(なぜ、関西弁?)。コントのネタでもあるまいし。
もちろん、当時の人々からすれば、「笑い」では済まされず。あまりの衝撃に動けなかったようだ。
というのも、雷神が空から落ちたため、天気は即効で回復。空に晴れ間が見える一方で、榎の木の周辺には逆に雲が立ち込める始末。加えて、雷神がいるために木は振動しっぱなしという怪異100%の状況だったとか。
周囲の者たちは、もくもくとした雲の出現で見通しが利かず、一体、中で何が起きているのか分からない。それ故、怖がって近付く者などいなかったという。
さあ、ここで。
雲やら、雷神やら、皆の恐怖やら。色々、前提条件が揃ったところで。
満を持してご登場するのが、あのお方。豊臣秀吉である。
躊躇う様子も一切なく。
榎の木に近付き、雲をかき分けて。
カッケー秀吉、遂に雷神とご対面。
その状況で発した言葉が、コチラ。
「それ雷は陽気を体とす。ゆへに夏のはじめおこつて、万物をそう長し、五穀是にかけてみのる、全他の害をなさずと聞しが、かかる妖怪をなす事心得かたし。」との給ふ。
(同上より一部抜粋)
「雷は陽の気を本体とするもの。それゆえ、夏の初めに起こって、万物を成長させ五穀を実らせる。災いをもたらさないと聞くのに、どうしてこんな怪異を起こしているのか。納得し難いぞ」という感じだろうか。
いいねえ。
ほんの少し、知識をチラ見せするあたり。
それに論理的な問いも、これまでの秀吉像を一新する勢いだ。つい、知性派に転向したのかと勘繰ってしまうほど。
これに対して、雷神の返答はというと。
「我はすなはち雲雷なり。…(中略)…然るに此榎のうちに毒龍ありて、人民に災をなさんと、天帝是をいかりて、すなはち我にめひじてうたしむ。我是をうつにあやまりて、劈としてその中狭にはさまれたり。君ねがはくは仁愛をたれて、我を再、雲上にかへる事を得せしめ給へ。…(中略)…」といひ畢て暫動揺止みぬ。
(同上より一部抜粋)
なるほど。
雷神には、榎の木を狙ったれっきとした理由があるようだ。
なんと、悪さをする毒龍が住みついており、天帝に撃つよう命じられたとか。

うん?
あれ?
ということは、雷神、まさかの誤射?
のみならず、はい、自分が抜け出せないときた。
いやいや、どんだけそそっかしい雷神なのだと。ある意味、秀吉よりも雷神の方に気を取られてしまうやないか。
そんな可哀そうな雷神の頼みを、秀吉はあっさり承諾。
榎の木を切らせて、はさまった雷神を無事に救出したとか。
ターゲットの毒龍がどうなったかはさておき(触れられてないの恐らくでミッション失敗かと…)。
ほな、おおきにと(実際は言っていないが)、こうして雷神は空へと帰っていったという。
恐れ多くも「雷神」と対峙した秀吉。
だが、一切動じず。なんなら雷神を理解し、その上、助けるとは。
この逸話で、秀吉のスゴさは、さらに強固なものになったのである。
「大入道」を仕留めた伊達政宗
次にご紹介するのは、豊臣秀吉と縁の深いコチラのお方。
「個性的」を通り過ぎ、「キャラ強め」のその先、「唯一無二」の称号を手に入れた武将。
奥州の覇者、仙台藩祖の伊達政宗である。
それにしても、この組み合わせ。
なんだか、既視感が。
意識的ではないが、30歳ほど年の離れた「豊臣秀吉」と「伊達政宗」を揃えて書く記事が、多いような気がする。
恐らく、濃いキャラクターには、濃いキャラクター。「毒を以て毒を制す」ではないが、相乗効果を期待するには、互いにぶつかり合っても遜色ない「濃さ」が必要なのだろう。

そんな伊達政宗の逸話はというと。
なんでも、現地で言い伝えられていた話であるとか。出典は、富田広重氏の『滅び行く伝説口碑を索ねて 第1輯』より。
いつの頃の話か、具体的な年代は定かではない。
仙台城にいたというから、江戸時代初期と推測される。
慶長5(1600)年の「関ヶ原の戦い」で、天下人となった徳川家康。政宗はこの戦いに家康側の東軍として参戦、上杉景勝を攻めた功が認められ、一定の立場を固めたのである。そして、慶長6(1601)年より仙台城の普請に着手。翌年には一応の完成をみたとされている。
『滅び行く伝説口碑を索ねて 第1輯』によれば。
仙台城下の西の端に「荒巻伊勢堂山」と呼ばれる山があり、その坂道で起こった出来事だという。
一体、どこの場所かと検索すると。仙台城からみておよそ北の方角にある「伊勢神明社(いせしんめいしゃ)」の御由緒の説明の中に、「伊勢堂山」の名を発見。
宮城県神社庁のホームページの「伊勢神明社」の説明を一部抜粋しよう。
仙台藩祖伊達政宗公、元和七年(1621年)に伊勢神宮よりご分霊を勧請し、宮城郡荒巻に祀り神明宮と称し伊勢堂山と号した。
(宮城県神社庁のホームページより一部抜粋)
恐らく、伊勢神明社付近一帯が「伊勢堂山」と呼ばれていたのだろう。
当時、この付近の坂道にまつわる噂があったとか。元来、途中に岩石があって起伏の激しい坂だが。その中の一際デカい大岩が、なぜか夜ごと物凄い唸り声を出すというのである。
もう、この時点で妖怪の匂いがプンプンする。
ただ、当時の人々も慣れたもの。狸や狐の仕業であろうと成敗を試みるのだが、予想に反して退治できない。
というのも、この大岩、叩けば叩くほど唸り声が大きくなり、なんなら、場合によっては、この大岩が「大入道(おおにゅうどう)」の姿に変わるというではないか。そのため、人々はこの坂道に寄り付かなくなったのである。
ちなみに、大入道とは、大きな坊主頭の姿をした化け物、妖怪の類であるという。

そんな奇々怪々な噂は日々大きくなって。
とうとう伊達政宗の耳にも届いてしまう。
もちろん、剛毅な政宗のコト。放っておくワケがない。
彼の取った行動がコチラ。
……さうした怪異のあることは領主としての威光にもかゝはること、一日も打ち捨て置き難いとあつて侍臣をして事實(事実)を探査せしめ同時にこれが正體(しょうたい)見届けを命ぜられた。
(富田広重著『滅び行く伝説口碑を索ねて 第1輯』より一部抜粋)
なんやねん。
家臣使って探査させるって。正体、見届けろって。まどろっこしいねん。
自分で行くんちゃうんかーいと突っ込みを入れつつ、先を確認すると。
「こんなのムリゲー」と派遣された家臣も青くなって逃げ帰ってきたとか。皆がお手上げ状態になったのである。
そこで、政宗自らが現場に赴くことに。
ああ、やっとこさ。
政宗公、ようやくのお越しである。
もちろん、これには、相手の「大岩」も大張り切り。これまでの倍の大きさの大入道となり、唸り声も最大に出力して政宗を迎えたという。
だが、
結果はあっけないものであった。
夜光珠のやうな片眼にきつと大入道を見やりながら強弓に白羽の矢を番(つがい)で引きしぼり大入道の足元を狙つてヒョウと放った。闇を破る物凄い叫喚、大入道の姿は消えて巨岩に變つた(変わった)が……。
(同上より一部抜粋)
え。
ええ?
弓撃って、そんで終わり?
大入道の実力は、ハリボテってコト?
というか、大入道って、マジで「大岩」だったの?
いやいや、続きがある。
政宗は、自身の矢が命中したと確信し、付近一帯を従者に捜索させたという。
すると、まさかの正体が判明。大入道に変化(へんげ)していた予想外の生き物が姿を現したのである。
それがコチラ。
岩と岩の間に子牛ほどもあらうと思はれる大獺(おおかわうそ)が白羽の矢を脛(すね)節に喰つてうめき苦しんでゐるのを見つけ引ッ捕らへて引揚げた。
(同上より一部抜粋)
えええ?
「子牛の大きさのカワウソ」って存在するのー?(いや、驚くのはそこではない)
あ。
それよりも、「正体がカワウソ」っていう事実に驚くべきか。

それにしても、色々、ツッコミどころは満載である。
カワウソって、化けられるのかという素朴な疑問。それに、散々怖がらせておいて、あっさりと射抜かれてしまったという激弱な大入道というオチ。さらには、やはり、子牛ほどの大きさのカワウソが気になる気になる(またかよ)。
結果的に、大入道を見事、退治した伊達政宗。
さすが、政宗。
やったね、政宗。
強いね、政宗。
うーん。でも、果たしてそうなんだろうか。
個人的には微妙だな。だって、大入道よりも強いってなれば分かるけど。ホントは「子牛ほどのカワウソ」(もう、ええって)よりも強いだけじゃん。なんだか、伊達政宗の強さが激減したような気がするのは、わたしだけだろうか。
結末はハッピーエンド。
それ以降、坂道に怪異はなくなり、めでたしめでたし。
ただ、この逸話で、政宗の実力が強固なものになったかは……。
ご想像にお任せしよう。
最後に
本記事の締めとして。
最初にご紹介した豊臣秀吉の逸話を補足しよう。
姫路城外の榎の木の下で。
雷神と出会い、頼まれるまま助けた秀吉。
じつは、先ほどの逸話の中で、わざとカットした部分がある。
ちょうど雷神が秀吉に助けを求めるシーンなのだが。雷神の言葉の最後に、とても大事なセリフがあるのだ。
それがコチラ。
「……我を再、雲上にかへる事を得せしめ給へ。しからば必その高恩を報ぜん」
(神明あさ子著「近世怪談集と中国説話―『拾遺御伽婢子』を中心に」より一部抜粋)
──助けてくれれば、必ずその恩に報いよう
おっと。
雷神の恩返しじゃん。
まさか、こんなところで秀吉と約束をしているとは。
それにしても、秀吉がこの恩返しを期待していたかは不明だが。出典の『拾遺御伽婢子』の『雷之言話』は、このような終わり方となっていた。
それより程なく信長をあけち日向の守しゐして後、秀吉公大軍をおこし明知を亡、唐までしたがへ、武威を四海にふるひ給ふ事、伴雲雷の利生をほどこしけるなりといひつたへたれ。
(同上より一部抜粋)
なるほど。
信長の仇討ちから天下取り、朝鮮出兵まで。その後の秀吉のビクトリーロードは、偶然ではなく必然。その裏には「雷神の恩返し」なるものがあったというコトか。
スゲーな、この逸話。
秀吉の天下取り、なんなら朝鮮出兵にまで絡めるオチだなんて。スケールが半端でない。感服しきりである。
ただ、その一方で。そう易々と信じるには、あまりにもデキすぎた展開。というのも、気になる情報を発見したからだ。
神明あさ子氏の『近世怪談集と中国説話―『拾遺御伽婢子』を中心に』の研究論文によれば、ほぼ同一の内容の中国説話があるというではないか。
なんでも、大木にはさまった雷神を助けて、その報恩で立身出世するという大筋が一致。なんなら、天帝に毒龍を撃つよう命じられたという理由までも同じ。違いといえば、秀吉と雷神の問答を入れたくらいか。どうやら中国説話の主人公の名を「秀吉」に置き換えて、そのままスライドさせたようだ。
でもね。
確かに確かに、と納得してしまう理由がある。
出典元の『拾遺御伽婢子』は、近世怪異小説の祖といわれる浅井了意の『御伽婢子(おとぎぼうこ)』の系譜を受け継いだもの。そして、前身となる『御伽婢子(おとぎぼうこ)』自体が、中国説話の翻案(既存の小説など原作をベースに新しい作品に作り変える)の手法なのだから、当然といわれれば当然だ。
ちなみに、他にも。
同様の手口の逸話(中国説話とほぼ内容が一致する逸話)があるとか。
そこには、お馴染みの戦国武将が出てくるという。
「武田信玄」や「徳川家康」という名を見て、
さもありなんと、ひとり呟いた。
ここで。
もうひとりの天下人、徳川家康がご登場。
さすが「逸話持ち」のツートップ。
一体、どんな話かと好奇心が刺激されるではないか。
こうして、人々が魅了されるような戦国武将の逸話が。
人知れず量産されるのであった。
参考文献
『滅び行く伝説口碑を索ねて 第1輯』 富田広重著 富田文庫 1926年
『近代日本文学大系 第13巻 (怪異小説集)』 国民図書 1927年
『徳川文芸類聚 4 (怪談小説)』 国書刊行会編 国書刊行会 1987年1月
『近世怪談集と中国説話―『拾遺御伽婢子』を中心に』『同志社国文学』67号 神明あさ子著 同志社大学国文学会 2007年12月
『鬼の大事典(上)妖怪・王権・性の解読』 沢史生著 彩流社 2015年11月
『歴史人物怪異談事典』 朝里樹著 幻冬舎 2019年10月
『伊達政宗の素顔 筆まめ戦国大名の生涯』 佐藤憲一著 株式会社吉川弘文館 2020年9月
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