自信があるのは、いいことだ。
いざという時に、予想以上の結果を出すことができるのも。
すべては、己を信じているからこそ。
──自分ならできる
それは一種の自己暗示であり、強力な魔法の如く、自ずと成功へと導いてくれる。
ただ、残念ながら。
その自信が、かえって裏目に出ることも。
不運が重なってなのか、それとも、単に実力の問題なのか。
──自分だけは大丈夫
そんな過剰な自信は、己を無防備な愚か者にして。
幾度もピンチを切り抜けたという自負は、我が身を縛る鎖に変わる。
こうして彼らは予測不能な事態に陥り、その結果、足元をすくわれることに。
えっ?
誰の話かって?
そんなの決まってるじゃないか。
いつも、自信満々なあの人たち。戦国武将の方々である。
誰も真似できない胸アツのエピソードもいいが。
今回は、逆のバージョン。
かなりやっちまった……戦国武将らのエピソードを集めた企画である。
いつもの唯我独尊ぶりはどこへ行ったやら。
彼らが大汗かいて失敗するなんて、なかなか滅多に拝めないレアな姿といえるだろう。
さても、一体、どのような方がご登場されるのか。
それでは、早速、ご紹介していこう。
※本記事は「上杉謙信」「織田信長」の表記で統一しています
まさかの蛇に因縁をつけられる謙信
まず、お1人目は。
仏の教えに、とってもご執心な戦国武将。
「越後の龍」こと、上杉謙信である。
戦国武将の中でも名前はダントツに知られているが。
じつは、その生涯はかなり短い。
日本の歴史上、大きなターニングポイントとなった「本能寺の変」。その「織田信長」の自刃よりもまだ4年も早い段階での病死。そのため、永遠のライバルといわれる「武田信玄」と共に、生きていれば戦国の世はどうなっていたかと、非常に惜しまれる戦国武将の1人である。
権威や伝統に重きを置き、毘沙門天の熱烈な信仰者としても知られている謙信。実直な性格で、生涯独身を通した珍しい戦国武将である。和歌などを好み、文化人としての顔を持つ一方、かなりの酒豪としても有名。そのため、もしやお酒にまつわる失敗談ではないかと思われた方もいよう。
ただ、謙信の「やっちまった失敗談」は、ソレ関係の話ではない。意外や意外。なんと「神様」にまつわるエピソードなのである。
幕末の館林藩士、岡谷繁実(おかやしげざね)の『名将言行録』。戦国武将ら192名の言行をまとめた書物だが、これによれば、謙信が諏訪神社に参詣に行った際の出来事だとか。
その途中、謙信は境内で「大蛇」を見たという。
「大蛇」となっているコトから、通常の蛇よりは明らかに大きいのだろう。この様子を見ていた諏訪神社の巫女が、神妙に謙信に告げる。
巫女がいうには「これは神様であります。神がお姿を現されるとかならず願いがかないます。公の志のかないますこと明らかであります」と。
(岡谷繁実著『名将言行録』より一部抜粋)
いいねえ。
確かに、蛇は神様の使いともいわれる。いやいや、なんなら蛇をお祀りしている神社だってあるくらい。例えば、奈良県にある「三輪明神」。御祭神は「大物主大神(おおものぬしのおおかみ)」とされているが、『日本書紀』にはその大物主大神が蛇に姿を変えたという話がある。
実際に、境内には化身の白蛇が棲むというご神木があり、参拝者が蛇の好物の卵をお供えするほど。
少し話が逸れてしまったが。
神社の境内で大蛇を見たとなれば、巫女の話も頷ける。それも悪い話ではない。いい話だ。「願いが叶う」とまで言われた謙信。現代ならば大蛇の画像と共に「諏訪神社」「大蛇」とかタグつけて。SNSでバズり放題となる可能性も。
それなのに、である。
謙信は驚きの行動に出る。
すると輝虎は、鉄砲でそれを撃ってしまった。大蛇はひどく傷つき姿を消した。そのとき、あたりの材木が打ち震えた。
※「輝虎」とは上杉謙信のこと
(同上より一部抜粋)
ええええ。
と、いつもの反応で。PCの「E」のキーを連打しそうになったが。
もう、最近では、戦国武将の方々の行動にも慣れてきたもので。
驚きよりも、なんだかな。やっぱりな。そんな諦めにも似た感情が湧いて出る。ダイソンの感覚も、もはや鈍くなっているのかも。
それよりも、気になるのは。
境内の木々がざわざわしたコト。
もちろん、そばにいた家臣や巫女もざわざわ。
ざわわ~。ざわわ~。
こんなところで、歌手・森山良子氏の『さとうきび畑』の歌を思い出すとは。
やはり、ダイソンの感覚が……(もう、ええって)。
さて、読者の方々の関心はというと。
一体、謙信の身に何が起こったのかというコトだろう。
恐れ多くも大蛇を撃つだなんて。なんと罰当たりな……とか言いながら。
人の不幸は蜜の味というけれど。あの謙信が。大失敗って。ぶくくくく……みたいなワクワク感。業の深い人間なら、そんな高揚にも似た感情を、恐らく腹の底で感じているはずだ。
ちなみに、結論からいうと。
皆さまのご期待通り、謙信の身に異変が起こるのは確か。
期待通りというか、なんなら期待以上かも。
その内容がコチラ。
夜になって輝虎は熱を出した。侍臣は診察して「公の身体じゅう蛇が出た」といった。輝虎は左右の者に命じ、燭でこれを照らしながら小蛇をことごとく取り除かせた。(同上より一部抜粋)
おっと。
蛇だよ。それも、小蛇。
もう、想像しただけで。おえーっ。寒気、いや、吐き気が止まらない。だって、身体中から蛇が出たって。おえーっ。一体、どう言うコトよ(お食事タイムの方には失敬)。
つい、酒に酔った蛇と一緒に閉じ込める、残酷な拷問(蛇責め)を思い出してしまった。この場合、蛇は穴に入りたがる習性があるので、身体中の穴に蛇が入りたがるという阿鼻叫喚地獄が待っているのだが。
今回は、その反対。蛇が身体から出ていったという状況だ。怖がりの身としては、せめて比喩表現であってほしいと願うばかりである。
ただ、いつも思うのは。
近くにいる人たちのこと。
だって、うじゃうじゃ小蛇を取り除かないといけないなんて。なんの罰ゲームなのか。
「と、殿! おえーっ。ご、ご無事……。おえーっ」
みたいになってやしないかと、気が気でない。
ちなみに、小蛇が出尽くしたら。
驚異の回復力で。謙信は全快したという。
ただ、1ついえることは。
「越後の龍」でさえも。
ホンモノの蛇神様にはかなわなかったようだ。
ホームシックの蘇鉄に信長もタジタジ?
さて、お2人目は……と、その前に。
まずは、コチラを見ていただこう。
冒頭の画像でもご紹介したが、全体像はこのような構図となる。
えっ?
何コレ?
一見、黒い大根の大群かとも思ったが。葉が違う。ふさふさ、わさわさした……ざわわ~的な?(もう、ええって)サボテンのようなモノが生い茂り、1本の木になっている。
いや、そもそも、これって「木」なのか?
どうみても、なんか目玉があるような、ないような。
少し、ズームしてみると。
大勢の人たちが斧を持ち奮闘中。そして、残念ながら。何人かは脱落中だ。どうやら、完全に巨木にしてやられたご様子。
何より注目すべきは、その根元にいる人物だろう。
今回、ご登場する2人目のお方である。
日本史に大きな爪痕を残し、今も絶大な人気を誇る「織田信長」だ。
それにしても、なんだかな。
これを見れば、とかく次々と疑問が生まれてくる。
何故、信長は「木」と戦っているのか。
何度もいうが、目のある巨木らしきモノは、一体、なんなのか。
このシチュエーション自体に大きな興味が湧く。
じつは、この場面。
信長の大失敗エピソードを描いたものである。
その出典元となる書物を色々探したのだが。
原文を丸ごと見つけられたのは『絵本太閤記』のみ。少々信憑性に欠ける書物だが、今回はコチラから内容を抜粋していこう。
エピソードの名前は「蘇鉄樹(そてつじゅ)の怪異」。
いいねえ。もう、名前からして、嘘くさい。
だが、侮ることなかれ。
まずもって、実際に「蘇鉄(そてつ)」という植物がある。
ソテツ科の常緑低木で、九州南部や沖縄などに生え、高さ3mほどになるという。枯れかかって弱っている時に鉄分を与えると蘇るコトから、この名がついたとか。
ちなみに、前回の取材で長崎県平戸市に寄ったのだが。
ちょうど、近くに樹齢400年となる「大蘇鉄」があったので、その姿をカメラに収めた。
意外に、先ほどご紹介した画像の絵と似て驚いた。確かに特徴を掴んでいる。
さて、そんな蘇鉄がどうしたというのか。
『絵本太閤記』によれば、安土城の築城後の話であるから、天正7(1579)年5月以降の時期であろう。じつは大坂に「妙國寺(みょうこくじ)」という日蓮宗の寺があり、寺の境内の大きな蘇鉄が枯れ始めたとか。その後、色々手を尽くしてはみたものの、その甲斐なく、終には枯れ果てたという。
そこで、妙國寺は56人の僧を招聘(しょうへい)し、法華経千部を転読。すると、あら不思議。まさかの枯れた蘇鉄の葉が青々と色が変わり、蘇生したというのである。この噂が広まって、妙國寺の蘇鉄は一躍有名に。もちろん、信長の耳にも入ることとなる。
そんな信長の反応はというと。
今は此蘇鐵(そてつ)の爲に世の中一際騒々しく、信長公心に是を怒り給ひ、且は政道の妨なりとて、猪子平助を使者と成し、妙國寺へ遣り給ひ、彼蘇鐵を所望せらる。
…(中略)…
安土の御城近く引入れけるに、信長公天守に上り給ひ、遥に此樹を御覧じ、「實(げに)も希代の大木かな。愛すべき物なり」とて、城の廣庭に植させられ、一時の詠(ながめ)に備へ給ふ。
(岡田玉山著ほか『太閤記 第2編 新訂』より一部抜粋)
この蘇鉄の摩訶不思議な力は、世間を惑わす。いうなれば、築き上げた信長の権威でさえも傷つけるほどだったのだろう。信長はこの状況に怒り、妙國寺の蘇鉄を安土城に移植することを命じたのである。
こうして、実際に蘇鉄は引っこ抜かれて、安土城へとお引越し。強引に移植が決行されたという。
そんな蘇鉄を、安土城の天守より眺めてみると。まあ、珍しいモノ好きの信長のこと。意外にも気に入ったというではないか。
ただ、それは信長サイドの言い分である。
蘇鉄サイドはというと。勝手に安土城に移され、有難い気持ちなど露ほどもなく。
とうとう、蘇鉄は……。
信長公或夜更がてに目覚め、獨座(ひとりざ)しておはしけるに、廣庭の方にしわがれたる聲(こえ)して叫ぶ音す。怪み耳をすまして聞給ふに、正しく「妙國寺へ歸(かえ)らふ歸らふ」と云ふ。
(同上より一部抜粋)
いいねえ。
夜更けに「妙國寺へ帰ろう~帰ろう~」って。それも、しわがれた声だって。
書物によっては蘇鉄が泣いていたというバージョンもあるようだが。とにかくホームの妙國寺に帰りたかったようだ。
このカオスな事態に。
信長は、蘇鉄をことごとく切り捨てよと命じる。
ホント、まったく血も涙もない人だよねえ。
命令通り、300人余りの兵が斧を持って蘇鉄を切り倒そうとするのだが。ここで、予想外の出来事が起きる。
それが、コチラ。
菅谷下知を傳れば、三百餘人の士卒一同に蘇鐵の下に立寄り、斧を上げて切らんとするに、忽然として大地に倒れ、血を吐て悶絶す。
(同上より一部抜粋)
『絵本太閤記』では、斧を切ろうとする兵らが倒れて、血を吐いて悶絶というバージョン。逆に、他の書物では、切られた蘇鉄の枝から血が噴き出たとも。幾つか諸説があるようだ。
冒頭の画像の絵は『絵本太閤記』の内容だろう。
明らかに、蘇鉄の目が血走ってるし。「帰ろう~」と訴える態度から一転、そこには憤然と立ちあがった蘇鉄の姿が読み取れる。
いや、怒るよ。そりゃ。
勝手に植え替えられて。切られそうになって。
「あーちーちーあーちー(A CHI CHI A CHI)」
「燃えてるんだろうか~」って、怒りの炎で燃えてるよ。
こんなところで、歌手・郷ひろみ氏の『GOLDFINGER’99』の歌を思い出すとは。
やはり、ダイソンの感覚が……(だから、もう、ええって)。
これには、さすがの信長も。
信長公暫く物をも宣(のたまは)ず、黙して御座たりけるが……
(同上より一部抜粋)
ヤバすぎて、モノが言えなかったようだ。
結果的に、蘇鉄は妙國寺へと無事お帰りに。
蘇鉄の粘り勝ちなのか。これにて一件落着となったようだ。
それにしても、作り話と思っていないだろうか。
なんてったって、あの『絵本太閤記』だもんねと。
いや、侮ることなかれ。
このエピソードのベースとなる「妙國寺」だが、実際に大阪府堺市に存在する。永禄5(1562)年に日蓮宗の日珖上人が開いたとされる寺だ。そして、その寺にはまさかの「蘇鉄」も実在する。それも昔からだ。
天和3(1683)年に成立した3巻からなる『堺鑑(さかいかがみ)』。
大阪府の「堺」に関する地誌なのだが、既にこの時点で、書物には「妙國寺」の蘇鉄が登場する。それがコチラ。
此寺ニ蘇鉄一根有高二間一寸根廻三間二寸有枝木共ニ十三本也誠ニ希代ノ珍物也
(船越政一郎 編『浪速叢書 第13』より一部抜粋)
書き下すと。
「この寺に蘇鉄一根有り。高さ二間一寸、根回り三間二寸有り。枝木共に十三本也。誠に稀代の珍物也」となる。
さらに絵もある。
江戸時代後期に成立した各地の「名所図会(めいしょずえ)」。旅行者や好事家のための絵図入り名所案内書のようなものだ。その『和泉名所図会』にも「妙國寺の蘇鉄」が描かれている。
画面中央の少し左に。
わさわさした植物が見える。
他の建物と比較しても、かなり巨大だったことが分かる。
じつに、樹齢1000年を超えるとされる「妙國寺の蘇鉄」。
現在では、葉の長い部分は8mにも及ぶとか。
その姿は圧倒的な存在感を誇り、今も堺市の観光名所の1つになっているという。
待って待って。
それじゃあ、件の怪異エピソードはどうなのか。
「妙國寺」のホームページには、以下のように説明されている。
霊木・大蘇鉄
織田信長が所望し安土城へ移植されたのち、再度この地へ帰ってきた蘇鉄。
(「妙國寺」のホームページより一部抜粋)
信長が本当にビビったかは別にして。
妙國寺の蘇鉄は実在し、一度この地を離れ、安土城から無事に帰還した。
これは紛れもない事実なのである。
最後に
じつは、1つだけ。
気になるコトがある。
最初の上杉謙信のエピソードに戻るのだが。
彼が、どうして「大蛇」を撃ったのか、そんな過激な行動に出た理由が気になるのだ。
岡谷繁実著『名将言行録』によれば。
そこには、謙信なりの考えがあったようだ。
彼の持つ「自信」。いや、「自信」というよりも「信念」という方が近いだろうか。
それが、コチラ。
輝虎は笑って「神というものは、もともと形のないものだ。この長いばかりの蛇がなんで神であろうか。ただ人が祭りあげて神としているにすぎない。それが大きくなれば、のちにかならず害があろう。わしがいまこれと出会い、民の害を除いたことはさいわいであった」といって、手を洗い口をすすぎ、一拝して立ち帰った。
(同上より一部抜粋)
なるほど。
謙信の伝えたいコトが、なんとなく分かる気がする。
見かけた時点で既に大蛇なのに。
さらにその大蛇が成長して、映画『アナコンダ』みたいにデカくなったら。ひょっとして、あれよあれよと人を襲いまくるかもしれない。
いや、それよりも。何か厄災があれば、すべてをこの「大蛇」のせいにして。人身御供などと人命を犠牲にすることだって考えられる。
だからこそ。
謙信は動いたのだ。
「神」よりも「人」。
守るべき対象は、いつだって「民」なのだ。
戦国武将の方々、それも、現代にまで名を残す人たちって。
やっぱり、一言でいえば。
「成功」も「失敗」も含めて。
すべてが規格外。
そんな彼らに。
「ざわわ~」と心が揺れて。
「あーちーちーあーちー(A CHI CHI A CHI)」と心が燃え上がるのであった。
撮影/大村健太
参考文献
『和泉名所図会 4巻』 秋里籬島撰ほか 高橋平助ほか4名 1796年
『太閤記 第2編 新訂』 岡田玉山著ほか 至誠堂 1911年
『浪速叢書 第13』 船越政一郎編 浪速叢書刊行会 1928年
『蘇鉄のすべて』 榮喜久元著 南方新社 2003年11月
『樹木にまつわる物語』 浅井治海著 フロンティア出版 2007年7月
『和漢百物語』 月岡芳年作 江戸歴史ライブラリー 2018年9月
『名将言行録』 岡谷繁実著 講談社 2019年8月
『歴史人物怪異談事典』 朝里樹著 幻冬舎 2019年10月