東京国立博物館・学芸研究部 保存科学課 保存修復室長の児島 大輔(こじま だいすけ)氏に、単独取材でたっぷりとお話を伺いました!
運慶は「理想の上司」で「長嶋茂雄」?
―― 特別展「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」のご担当をされていますが、運慶の作品はお好きなのでしょうか?
児島 大輔氏(以下、児島):好きか嫌いかで言うと、「好き」寄りの大好きですね。
―― 文句なしに、ものすごくお好きなのですね笑

児島:もともと奈良時代の仏教美術が好きなので、運慶作品は落ち着きます。
―― あれ? 運慶は鎌倉時代に活躍した仏師……。
児島:そうですね。
―― では、なぜ……。
児島:今回の展示作品は特にそうなのですが、天平(てんぴょう)様式、つまり奈良時代の様式がベースになっているのです。興福寺創建当初の雰囲気を守りつつ、独自のアレンジを加えているんですね。

児島:依頼人の要望次第で変わっていく部分でもあるのですが、前例を踏襲しつつ、それだけではない新たな技術も取り入れた、運慶らしい作品だと思います。
―― 運慶らしさ、というのを解説していただけますでしょうか?
児島:細かな部分に気を遣いながら大胆ですよね。それを、一門の弟子たちにもしっかりと教えています。当時は個人仕事だけではなく、工房として仕事を受けることが多かったので、「手を揃える(作風を揃える)」必要がありました。これだけの量とクオリティの仕事をこなすのはたやすいことではありませんから、実力と統率力を兼ね備えた頼もしい存在だったに違いありません。もちろん、直接会って話をしたわけではありませんが、恐らく理想の上司だったんじゃないかなあ、なんて思っていますよ。

児島:それから、当館OBの言葉なのですが、「運慶は長嶋茂雄、快慶は王貞治」と。
―― 球界の至宝ONコンビと運慶・快慶にどんな関連が……?
児島:運慶はいわゆる天才肌、運慶と並び称される兄弟弟子の快慶は几帳面、というたとえです。ですが、天才肌だからといって破天荒一辺倒なわけではなく、ストイックな面も持ち合わせている。運慶はそのバランスが絶妙で、やはりあの時代にあって特異な人物だったのだと思います。相手の望む100%以上をコンスタントに出してきていたことは確かでしょうね。
「見えざる手」に導かれた運慶
児島:興福寺北円堂諸仏の再興を運慶一門が手掛けたのは、実はいくつもの偶然が重なった結果です。興福寺創建者である藤原不比等(ふじわらのふひと)追善のために721年に建立された北円堂は、1049年の火災、1180年の平氏による南都焼き討ちによって失われましたが、再興されたのは1212年頃。焼失からずいぶん時間が経っていますよね。
―― たしかに。
児島:同じく焼失した南円堂は、その30年ほど前にはすでに完成しているんです。けれど、それだけ遅れたからこそ、運慶の工房が担当することになった。そして、東大寺南大門の仁王像を69日という短期間で完成させた後の作業だったからこそ工房一同の手が揃っており、今回の展示作品のような非常に高い完成度の作品がこの世に生み出されたのでしょう。もちろん実力があったから選ばれたというのはありますが、それだけではない、いわば「見えざる力」が働いた結果のようにも感じています。

すべて見られるのは今回だけ? 特別展「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」の見どころ
では、特別展「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」の見どころをお伺いしていきましょう。
360度展示だからこそ、見えるものがある!
―― 今回のような展示は今後も再現困難だとお聞きしました。その理由をお教えいただけますでしょうか?
児島:まず大前提として、北円堂の大きさが挙げられます。展示室内の、弥勒如来坐像を中心とした柱に囲まれた範囲が北円堂の実際の規模なので、四天王像をここに納めるとすると、ゆったり見ることはできません。それぞれの像を360度じっくり鑑賞できるのは、今展示最大の見どころと言えます。


―― 弥勒如来坐像は、図録などで見ると光背(こうはい。仏像の背後にあって、仏の放つ光を表したもの)があるようなのですが、今回これを外して展示となったのはなぜでしょうか?
児島:今回(2024年度)のメイン修理箇所なので見ていただきたい、というのと、光背は江戸時代の作なので、「運慶の時代のものを」というコンセプトで外すことにしました。
―― お背中を拝見できるのは、今回のみの貴重な機会なのですね!

仏像の「視線」のこと
児島:実は、無著(むじゃく)・世親(せしん)菩薩立像も、恐らく今回のみだろう、という箇所があります。台座が二尊とも真正面を向いていないことに気付きましたか?
―― え、まるで気づきませんでした……。
児島:各像の下に免震装置を入れたこともあり、台座の向きそのままに配置すると、 視線が弥勒如来坐像のお背中を向いてしまうんです。それはそれで素敵なのですが、今回は正面に視線がいく方向にセッティングしました。

児島:視線ということでいうと、南東の持国天像にもぜひ注目してほしいです。会場入って右手前、左手に槍を持って口を閉じている四天王像ですが、なんと、弥勒如来坐像と同じ視線なんです。四天王像はどんな向きにするのが正解なのか、なかなか悩ましいところだったのですが、これを見た瞬間、この方向だ! と嬉しくなりましたね。もちろん、これが絶対的な正解ということではないのだと思いますが、運慶ならこうした仕掛けを考えているのでは、と。それまでは華やかな多聞天像や広目天像に惹かれていたのですが、持国天像が一気に好きになった瞬間でした。

児島:それから、四天王像越しに中央の三尊を見ていただけたらと。四天王像は華やかで力強く躍動感あふれていて、無著・世親像は非常に静か、あまりにも異なる雰囲気ですから、正直、本当にこの組み合わせで合っているのか不安にもなりました。けれど、四天王像と中央の三尊を配置して外側から見たとき、ああ、これで正しいんだ、と確信が持てたんです。理由を説明するのは難しいのですが、とてもしっくりきたというか、これがあるべき姿だな、という直感のようなものを抱きました。
―― 最初にそれぞれを見て、最後に全体を見て、不思議な一体感を味わってみたいです!
四天王像の首元に、ネッククーラー!?
―― あの、ちょっと馬鹿げた質問で申し訳ないのですが……。四天王像の首元に、今流行りのネッククーラーのようなデザインのものがありますよね。あれの正体は何でしょうか?
児島:ネッククーラー(笑) あれは鎧(よろい)のデザインですね。中国の甲冑様式をもとにしています。
―― なるほど。危うくおかしな都市伝説を作ってしまうところでした(笑)

児島:ちなみに、無著・世親像の袈裟(けさ)は宋時代の様式です。日本の仏教は、本場インドから中国を経て伝来してきたものですが、辺境の地にありながら正統な流れを汲んでいる、というプライドがどうやらあったようなのです。こちらもぜひ背中側からじっくり鑑賞していただけたらと思います。

無著・世親像の玉眼の効果とは?
―― 無著・世親像には、玉眼(ぎょくがん)という技法が使われているとお聞きしました。これはどういったものなのでしょう?
児島:目の部分に水晶をはめ込んだものです。無著像はやや伏し目がちでうれいをたたえ、世親像はしっかりと見開かれています。特に世親像の玉眼は光が当たって涙のようにうるうる見えて訴えかける力があり、とてもリアルというか、「そこに存在する」感が強いですよね。運慶も、その効果をよく考えて使い分けをしていたのではないでしょうか。玉眼の無著・世親像と、弥勒如来坐像や四天王像の印象の違いにもぜひ注目してみてください。

像内納入品がカギ? 弥勒如来坐像の内部
―― この展覧会は、弥勒如来坐像の修理完成を記念するものとのことですが、修理をしたからこそ分かった研究成果というのもやはりあるのだと思います。
児島:まだ成果のすべてを発表できてはいないのですが、いろいろ分かったことは多かったですね。今後、順次発表予定ですので、ぜひご期待ください。
―― 楽しみですね! 会場内展示パネルで拝見したのですが、弥勒如来坐像には像内納入品があったとのこと。

児島:納入品の存在自体は昭和9(1934)年の修理中に確認されましたが、今回のX線断層(CT)撮影によって、本来の位置にあることが確認できました。運慶は納入品の形や奉納方法に工夫を凝らしているため、納入品の特徴が運慶工房作と判断する決め手になることもあります。運慶は比較的作品に自身の銘を入れるほうではあるのですが、すべてに書かれているわけではないので、総合的な判断が必要になることも多いものです。CT撮影によって従来の研究成果である白黒写真と文に立体的な画像も加わり、全貌が見えてきましたので、展覧会後もご注目いただけたらと思います。
―― 少し話がずれてしまうのですが、弥勒如来坐像の螺髪(らほつ。如来像の頭髪の特徴で、巻貝に似たらせん状の粒がたくさんついている)が一部脱落しているでしょうか? 脱落する、ということは1つずつ外れるのでしょうか?

児島:はい。すべての仏像の螺髪がそうだというわけではないのですが、奈良時代の作には1つずつ作ってつけていく方式が多く見られます。CT画像を見ると、金属の釘でとめられているようですね。製作当初からこうした方式だったかは不明ですが。
―― CT画像調査ならではの発見ですね!
展覧会のウラ話
最後に、展覧会の知られざるウラ話をお聞きしました!
―― ここが大変だった、苦労した、といったエピソードがありましたら、教えていただけたらと思います。
児島:仏像というのは「移動させる」前提では作られていませんから、扱う際にはとても緊張しました。お借りしている大事なものですから、そうした手間や気配りを大変とか苦労とか思うことは、もちろんありませんが。

児島:伏し目がちな無著像の玉眼に光を当てるのは、なかなか苦労しました。光源の角度をどうしたらよく見えるようになるか、試行錯誤を繰り返してようやく納得できる展示になりましたので、そこは苦労した点でしょうか。
―― 今回の運慶展とあわせて見てほしい展示はありますか?
児島:本館の正面玄関を入って右手すぐの展示室、彫刻室(本館11室)で9月30日から、運慶と関連の深い同時代の彫刻を選んで展示します。運慶展の出口からすぐの場所ですので、ぜひご覧いただけたらと思います。
―― 貴重なお話をたくさん聞かせていただき、ありがとうございました。

特別展「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」 開催概要
会場:東京国立博物館 本館特別5室[上野公園] 東京都台東区上野公園13-9
会期:2025年9月9日(火)~11月30日(日)
休館日:9月29日(月)、10月6日(月)、14日(火)、20日(月)、27日(月)、11月4日(火)、10日(月)、17日(月)、25日(火)
開館時間:午前9時30分~午後5時
*入館は閉館の30分前まで
主催:東京国立博物館、法相宗大本山興福寺、読売新聞社
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
公式サイト https://tsumugu.yomiuri.co.jp/unkei2025/index.html
取材協力:東京国立博物館、共同PR株式会社
カメラマン:根本佳代子(※展示パネル画像を除く)

