「馬」
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十数年来、小学校に水墨画を教えに行っている。ここ数年は、翌年の干支を描く事が多い。今年も子供たちが元気に筆をふるってくれるのを楽しみに、午(うま)の絵手本を準備する。
馬に限らず動物を描くときは、実物を見に遠出する。質感や動きを観察したり、動く音や鳴き声を聴いたりして、心を動かされる体験が大切だ。
馬は肩や腰が体の左右に張り出しており、強靱な筋肉を躍動させる。たてがみをたなびかせて走り、ひづめは力強い音を立てる。そして眼はつぶらで可愛らしく、鼻筋は滑らかだ。
馬が駆ける姿を、まずは墨の濃淡、筆勢の美しさを大切に、細かく描いた。力強さを表現するコツは、線の肥痩(ひそう)にある。一本の線を引くなかで、筆を倒したり持ち上げたりすることで、太さを変えるのだ。
そのあと、小学生でも楽しんで描けるようにと、少ない筆数で描いた。こうした描き方を「省筆(しょうひつ)」という。限られた線で表現するには、一本一本の線が骨格の特徴を捉えていなければならない。と同時に、線の肥痩と筆の勢いも欠かせない。
「省筆」と「減筆」
なお、さらに極端に少ない筆線で描く場合は「減筆(げんぴつ)」と呼ばれる。「省筆」は対象の本質を捉えるものであり、一方、「減筆」はそぎ落とされた形のなかに精神性を宿らせる表現といえるだろう。梁楷(りょうかい)の《重要文化財 李白吟行図(りはくぎんこうず)》がその代表的作品だ。詩を口ずさみながら夕闇を歩く中国唐代の詩人・李白の心境を、しみじみと想像してみよう。

名絵師が「省筆」で描いた、躍動する馬
省筆で馬を描いた作例は、雪村(せっそん)や海北友松(かいほうゆうしょう)など、室町時代から江戸時代に至る人気絵師たちの作品に見ることができる。その気高い姿や力強さ、躍動感は、戦国大名たちに大いに好まれたのだろう。
江戸初期の狩野派絵師・狩野益信(かのうますのぶ)は、富士山を見晴るかす野にたたずむ馬を穏やかな省筆で描き、破天荒な画風でおなじみの曾我蕭白(そがしょうはく)は、我れ先にと波上を駆け抜ける馬の群れを、力強い省筆で描いた。
▽狩野派について詳しくはコチラ
https://intojapanwaraku.com/rock/art-rock/1288/
▽曽我蕭白について詳しくはコチラ
https://intojapanwaraku.com/rock/art-rock/1345/


「絵馬」と「神馬」
神社やお寺で「絵馬」に願い事を書いたことがあるかたは多いだろう。日本ではいにしえの昔から、馬は神の乗りものとされ、人々は神の降臨を求めて生きた馬を捧げたという。やがてそれに代わって、馬の絵を描いて奉納するようになったことが絵馬の起源と伝わる。
神の乗りものとして奉納される馬は「神馬」といい、現在も、伊勢神宮や金刀比羅宮、日光東照宮、そして富士山を仰ぐ三保松原の御穂神社などで見ることができる。かつて三保松原には野生の馬たちが住み、神の使いとされていた。
古代の人々が思い描いた聖なる馬たち
乗馬や競馬など、馬を愛する人は多い。人間が馬と暮らしてきた歴史は非常に古く、家畜化されたのはなんと紀元前4000年から3000年頃という。古代の人々は、より速く、力強く、遠くへと駆ける理想の馬を思い描いた。西アジアでは、獅子の頭に鷲の翼を持つ合成獣が考え出され、紀元前1000年以前に、空を飛ぶ「天馬(てんま)」が誕生し、紀元前8世紀以降には、ギリシャ神話の翼を持つ馬、ペガサスが考え出されたと伝わる。
それから長い時を経て、飛鳥時代、天馬はシルクロードの東の終着点、奈良に伝えられた。法隆寺に伝来した織物「四騎獅子狩文錦(しきししかりもんきん)」には、王が翼を持つ馬にまたがり、振り向きざまに獅子に弓を射かける姿が表されている。そして仏教で最も有名な馬といえば、釈迦(しゃか)の愛馬カンタカだ。『絵過去現在因果経(えかこげんざいいんがきょう)』には、出家を決意した太子時代の釈迦が、白く優美なカンタカの背に乗り、天人たちに囲まれて、城門を飛び越える様子が描かれている。馬にも天人にも翼はないが、一行が乗る雲、もしくは、雲を生み出した仏の力によって、空を飛ぶ。そのほか、聖徳太子を乗せて富士山を越えた愛馬・黒駒(くろこま)や、弘法大師空海を乗せて天竺まで案内した白馬も、やはり翼を持たずして天を力強く駆ける。
干支を描いて元旦を迎える
小学校の子供たちがどんな馬を描いてくれるのか、今から楽しみだ。
みなさんも新しい年を迎えるにあたり、筆を手に取ってみてはいかがだろう。干支の絵を玄関に飾ると幸運が舞い込むそうだ。
アイキャッチ画像: 鮫島圭代 《馬図》 2025年

