ヤッホー!妖怪

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/pid/2553975/1/10)
山には妖怪がおおい。
河童にも似た「山童(やまわろ)」。風のような速さで追いかけてくる「山婆」。目ひとつ、足ひとつの老人「山爺」。六メートルもの背丈がある「山男」。有名な「雪女」も山奥に暮らしている。そして今回紹介する「山彦(やまびこ)」も山に棲む妖怪のひとつ。
山彦は、山々谷々にこだましながら飛び歩いているので呼べば答えてくれる(と言われている)。
山彦には、ほかにも「呼子(よぶこ)」とか「呼子鳥」とか「おらぶけそうけ」だとか日本中でいろいろな名前があたえられている。ちなみに「おらぶ」とは地方の言いかたで、叫ぶという意味。山には不思議な生きものがいて、声を上げていると信じられていたのかもしれない。
目撃情報によれば一本足の小僧だったという噂もあって、山彦は「山の小僧」と呼ばれることもある。山彦という妖怪は姿形ははっきりしないのに、やたら名前だけはおおい妖怪なのである。
こうも山中が妖怪で溢れていると、なにかべつの妖怪と山彦を見まちがえたのでは、と疑いたくなるが、あの特徴的な声だけはほかの妖怪とまちがえようがない。
江戸中期の浮世絵師・鳥山石燕(とりやませきえん)の妖怪図鑑『画図百鬼夜行』に、山彦は「幽谷響」として描かれる。
幽谷(ゆうこく)とは、静まりかえった深い谷のこと。誰が名付けたのか山彦よりも、ずっと幻想的で幽玄な雰囲気があって、個人的には、かなりセンスの良い名前だと思う。幽谷から返って来る自分の声、というのは想像しただけでぞっとさせるものがある。
山彦、幽谷響またの名を木の魂

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/pid/2553975/1/9)
妖怪は、現実の枠組みの外側にいるモノたちである。
現実の世界に境界なんてないのだから、ほんとうなら外側も内側もないのだけれど、昔の人たちは自分の声とそっくりな声が山から返ってくることに、さぞ恐怖したにちがいない。
山彦という妖怪の気持ち悪さは、なんといっても姿が見えないことにある。声は聞こえるのに姿が見当たらない。
かねてより常識から外れていること、想像の及ばないこと、不思議な現象は、ひろく妖怪の仕業だとされてきた。山彦もまた、そうした人たちのすぐ側で生まれ、伝えられてきた妖怪である。
妖怪の名前は、怪異現象の状態をそのまま表してつけられることがおおい。
たとえば、誰もいないはずの山で「バリバリ」とか「ズドーン」なんて木が伐り倒されるような音が聞こえた場合、それは年老いた杣(木こりのこと)の霊の仕業だとされた。だから妖怪の名は「古杣(ふるそま)」。古杣は、伐木の最中に亡くなった人の霊だとか、その魂が発する声だとも言われている。
山中で命を落とした人も多かった時代、死人の魂もそのまま山中に留まると考えられ、そうして生まれたのが妖怪・古杣だったのかもしれない。
ちなみに「おーい」と声を出すと谷の向こうから「おーい」と返答がある怪異現象は、やまびこのほかにも「こだま」と呼ばれることがある。これは、声を返したのが「木の魂」であると考えられたからだ。
木の魂といえば、よく似た名前の「コダマ(木霊)」という妖怪もいる。コダマは、風もないのに木を揺らしたり葉を落したりする妖怪で、山に迷った人を助けてくれる。人に取り憑いておなじ言葉を返すこともあるというから、やっぱりどこか山彦に似ている。
犬かもしれないし、猿かもしれない

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/pid/1310691/1/1)
山彦はなにせ声が特徴的な妖怪なので、姿形はないと思われがちだが、じつはちゃんと存在しているし、妖怪画も残されている。
描かれた山彦は、かなり珍妙な姿をしている。
ぱっと見は犬のようでもあるし、二本足で座って上体を起こしている姿勢は猿に見えなくもない。でも耳が垂れているから、やっぱり犬なのかもしれない。でも手足が長いから、やっぱり猿なのかもしれない。
あるいは犬でもなければ猿でもない、動物を超えた存在の可能性もあるかもしれない。
民俗学者の柳田國男は『妖怪談義』のなかで「さとり」という、妖怪を挙げている。
ある時、山で木を伐っていた男のまえに「さとり」が現れて、男を見ながら「今、怖いと思ったな」とにやにやしながらしゃべり出した。男が逃げようと思うと「今、逃げようと思ったな」と言う。仕方がないのでそのまま木を伐っていると「さとり」はだんだん近寄ってきて、男を喰う隙を狙いはじめる。男に今にも襲いかかろうとしたとき、男の振り降ろした斧が木くずをはじきとばし「さとり」の目をつぶしてしまう。恐ろしい声とともに「さとり」は姿を消した。
というのが「さとり」にまつわる妖怪譚のあらまし。
この妖怪にはどうやら人間の心の中を見通す不思議な力があり、そのうえ人の言葉を理解しているらしい。人が思ったことを先に口にして惑わし、人を喰らうこともあるというから、できるなら会いたくない妖怪のひとつである。なにより、その姿は犬というよりも猿(というか人?)に近しい。全身が毛でおおわれているところも、手足が長く、両足ですたすたと歩いて(おそらく)いるところも。
柳田國男によれば「さとり」と、人の声真似をする「山彦」の伝承は根を同じとするそうなので、やっぱり山彦は猿(より)なのかもしれない。
とはいえ人の言葉を話し、人を惑わすような存在は動物というより、妖怪という存在すら超えて、より神聖な生きものに近しい気がする。
おわりに

出典:The Metropolitan Museum of Art(https://www.metmuseum.org/art/collection/search/55281)
山彦、幽谷響、さとり、木の魂にコダマ。山彦についてはいろんな説があるが、結局のところ正体は謎のままだ。
それでも妖怪画が残されていることで、分かることもある。この世のモノならぬ妖怪の姿を写した妖怪画からは、いろんな意味を読みとることができる。
妖怪は、かたちがあり、名前があって初めて生まれることができる。そうしてようやく人前に、つまり現実に、定着することができるのだ。かたちと名前がなければ、この世で妖怪として奇天烈で珍妙な姿を現すことはできない。だから山彦もはじめは、谷に響く怪音というだけで、本当の意味では存在していなかった。
古来、おおくの絵師が膨大な量の妖怪画を描いてきた。像(かたち)のないモノに像を与え、名もないモノに名前を与える。それは人間にしかできないことだ。だから妖怪には、人の心の内側にある柔らかくて脆い部分が投影されている、と私は思わずにいられない。
【参考文献】
水木しげる『図説 日本妖怪大全』講談社、1994年
今野圓輔 編著『日本怪談集 妖怪篇』社会思想社〈現代教養文庫〉、1981年
千葉幹夫 編『全国妖怪事典』小学館、1995年

