Culture
2019.09.26

あなたは説明できる?「恋愛」の意味を辞書10冊で引き比べてみた

この記事を書いた人

いきなりクイズです。ジャンッ!第1問。「左」をできるだけ簡単に説明してください。前後左右の左です。

「右の反対」――。大多数の人が思い浮かべた答だと思います。もちろん、間違ってはいないけれど、なんだか手抜き工事のような気がしませんか。手元にある小学館の『現代国語例解辞典・第四版』(小学館と略称、以下同)には「正面を南に向けたときの東にあたる側」と書かれています。

ふむふむ。いかにも辞書らしい例えですね。いちいち南がどっちか探すのは面倒だというツッコミもあるでしょう。ともあれ、あまりにも当たり前すぎて、ふだんは考えが及ばないようなことにも国語辞典はきちんと答えてくれます。使われることもなく本棚の隅に追いやられているかもしれない国語辞典をもう一度開いてみませんか。

国内出版社を代表する9社10種類の国語辞典を引き比べ

私は現在、業務上で15種類の国語辞典を揃え、必要に応じて使い分けています。このうち、今回は国内主要出版社の小型辞書10種類を比べてみます。さっそく、小学館以外の辞書で「左」がどう表現されているか調べてみましょう(順不同)。

『旺文社国語辞典・第十版』(旺文社)と『角川必携国語辞典・初版』(角川)も小学館同様「南を向いたとき、東にあたる側」とするグループです。角川には「▽ひ(日)だ(出)り(方向)、つまり南面して太陽の出る方向のこと」という但し書きが添えられています。

『集英社国語辞典・第二版』(集英社)と『学研現代新国語辞典・改訂第五版』(学研)はそれらとは逆に「北を向いたとき、西にあたるほう」を採用。他社との差別化の一策でしょうか。

『岩波国語辞典・第七版』(岩波)と『新潮現代国語辞典・第二版』(新潮)は共に「東を向いた時、北の方」派。ここまでの辞書はすべて、地球的な広がりで左を説明しています。古典的な見立てです。

開いているページの位置関係を引き合いに出した岩波

岩波は方角の説明だけにとどまらず「また、この辞典を開いて読む時、奇数ページのある側を言う」と続けます。しかもその用例として「――が利く」を挙げています。(酒飲みだ。さかずきを左手に持ったからか。)の注釈付きで……。「お酒の好きな人を左が利くという」ことを学べる仕掛けが施されているわけですね。
奇数ページの例といい、一見寄り道のような情報提供といい、老舗出版社らしからぬこうした柔軟さに私は胸打たれ、日ごろ開く数冊の辞書の第一選択群の一つにしています。

方角を使わぬ説明で独自色を打ち出している筆頭は『明鏡国語辞典・初版』(明鏡)でしょう。「人体を対称線に沿って二分したとき、心臓のある方。体の左側。」と利用者が体感できるように解説。「〔X線写真を見て医者が〕――の肺に影があります」というクールで現実的な用例が添えられています。まるで新作医療ドラマの番宣の一コマです。

後を追うのは『三省堂国語辞典・第七版』(三国)。「横に(広がる/ならぶ)もののうち、一方のがわをさすことば。「一」の字では、書きはじめのほう。「リ」の字では、線の短いほう」と、抽象的表現に頼らず、具体的な説明に徹しています。

時計の文字盤や文字のパーツで見事に説明した新明解

利用者の期待を裏切らない四番打者はなんといっても新解さんこと『新明解国語辞典・第七版』(新明解)です。少し長めですが、これこそが新明解の真価なので、じっくり味わってください。

「アナログ時計の文字盤に向かった時に、七時から十一時までの表示ある側。〔「明」という漢字の「日」が書かれている側と一致。また、人の背骨の中心線と鼻の先端とを含む平面で空間を二つの部分に分けた時に、大部分の人の場合、心臓の愽動(はくどう)を感じる場所がある方の部分〕――ヒラメに右カレイ」。

(「右」と共有する)六時から十二時でないところがミソです。用例にヒラメとカレイの見分け方の言い伝えを持ってくるところも新解さんらしい。心臓の場所を示すのに「大部分の人の場合」と遠慮気味の断りを入れるのは、個体差に配慮した上でのことと思われます。

言葉への関心は豊かな人生を送るのに役立つ

聞き慣れない言葉に出合った時、言いたいことをうまく言い表す言葉を探したい時、ある言葉にあてる漢字が分からない時、あなたはどうしていますか。かつては、そういう仕事のほとんどを国語辞典が担っていました。

ちなみに、先に挙げた10種類の辞書で「国語辞典」を独立した見出し語としているのは意外に少なく、学研、三国、小学館の3種類のみでした。説明は大同小異で「日本語の単語や句などを一定の順序に並べ、その意味・用法・語源などを日本語で解説した書物」と書かれています。

やはり、今の時代は『大辞泉』(小学館)か『大辞林』(三省堂)あたりのデジタル辞書が皆さんのお役に立っているのでしょうか。むろん、紙であれ、デジタルであれ、辞書を紐解くことは意義のある知的行為であると思います。言葉に関心を寄せることは豊かな人生を送るのに必ず役立つと私は信じているからです。

ところが、昨今は紙の辞書の販売部数が全盛期の半分以下に減っていることが異なる複数の調査で明らかにされています。私は出版社勤めでも辞書編集者でもないので、往年の部数を取り戻そうなどと大それたことは考えてはいませんし、もとより、できるはずもありません。

いわゆる、辞書を作る側からの、ためになる本は驚くほどたくさんあります。言葉好きであり、辞書好きでもある人たちの心をしっかりと捉えて離さぬからでしょう。興味のある方はぜひそれらを手に取ってみてください。私はあくまでも使い手の立場で、国語辞典に備わった面白さや深さを少しだけお知らせしたい。そんなささやかな思いで、この稿を進めています。すべて「あくまでも個人の感想です」。

二人だけで一緒に居たい、できるなら合体したい・・・

お待たせしました。ジャンッ!第2問。「恋愛」ってなんでしょう。

この言葉の解釈をめぐって、辞書の世界に一大革命を起こしたとされるのが新明解です。あまりにも有名な文章で、バラエティ番組などでしばしば取り上げられているので、ご存じの方もいらっしゃるでしょう。早速、話題をさらった第三版のページを繰ります。

「特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、できるなら合体したいという気持を持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる・(まれにかなえられて歓喜する)状態。」

いかがでしょうか。国語辞典史上、恋愛の語釈に初めて「合体」という言葉を確信的に用いた解釈です。

参考までに、初版は次のような記述でした。

「一組の男女が相互に相手にひかれ、ほかの異性をさしおいて最高の存在としてとらえ、毎日会わないではいられなくなること」。可もなく不可もなし。中学生が何度も確かめ、悶々とした気持ちを落ち着かせるのに役立ちそう。

第五版になると「特定の異性に特別の愛情をいだき、高揚した気分で、二人だけで一緒にいたい、精神的な一体感を分かち合いたい、出来るなら肉体的な一体感も得たいと願いながら、常にはかなえられないで、やるせない思いに駆られたり、まれにかなえられて歓喜したりする状態に身を置くこと。」と「合体」を「肉体的な一体感」と言い換えた上で微調整。

大人の事情?抑制を利かせた最新版

第七版では「特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔い無いと思い込むような愛情を抱き、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと。」と第三版時代に比べ、やや抑制の利いた記述になっています。なんらかの大人の事情が働いたのでしょう。

この例に限らず、新明解の斬新な語釈の数々は、それまで主に「引く」ためであった辞書の役割に「読む」という楽しみもあることを教えました。

読み比べることで固有の個性の違いを味わう面白さ

他の辞書にあたってみましょう。岩波は「男女間の、恋いしたう愛情。こい。」と説明。他の8種もおおむねそのような捉え方です。「誰が」の部分を「男女」としたのは岩波を含め、集英社、学研、旺文社、角川の5種。新明解、新潮、明鏡、小学館は「(特定の)異性」としています。三国は「おたがいに」という表現にとどめ、性別には敢えて触れていません。

6種が用例に「――結婚」を挙げている中で、三国は「――問題〔=恋愛に関するいざこざ〕」と今日的な、刺さる注釈を加えています。この種の問題はたいてい、いざこざであることを考えると、力のある直球です。用例では小学館の「社内恋愛」も目を引きました。妙にリアルです。

恋愛問題に切り込んだ『三国』第七版の誌面

今回、例として取り上げた「左」と「恋愛」だけでも、辞書が違えば、その説明も異なることがお分かりでしょう。そうです。国語辞典には固有の個性がある。すべて同じではありません。読み比べる面白さはその違いを味わうことにあります。

また、新明解の「恋愛」で引いたように、同じ辞書でも版が変われば説明が変わることもあります。生きている言葉の、その時々の姿を写し取り、定着していくのも辞書の大切な役目だからです。

「和樂=日本文化の入り口マガジン」と記される日はいつ

最後にダメ元で「和楽」を引いてみました。見出し語として立てていない角川を除く9種はおおむね「なごやかに楽しむこと」と説明。読んで字のごとしです。その上で、集英社、学研、三国は「文章語」であることを示す記号を付加。岩波と小学館は「わがく」と読めば別の意(邦楽)と補足しています。

もちろん、この際の和楽は雑誌の名前ではありません。「和樂=日本文化の入り口マガジン」という説明文を載せる心意気とセンスのある国語辞典があれば、真っ先に購入したいと思っています。

※記事中、言葉は同じでありながら、表記が異なっている場合があります。これは、取り上げたそれぞれの辞書の記述を最優先に、かつ尊重したものであり、決して校正の手抜きではありません。

書いた人

新聞記者、雑誌編集者を経て小さな編プロを営む。医療、製造業、経営分野を長く担当。『難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを愉快に、愉快なことを真面目に』(©井上ひさし)書くことを心がける。東京五輪64、大阪万博70のリアルな体験者。人生で大抵のことはしてきた。愛知県生まれ。日々是自然体。