毎月、演劇評論家の犬丸治さんに歌舞伎の味わいどころをレクチャーしていただく連載です。今月は、10月から国立劇場で上演されている『天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)』、さらに歌舞伎座昼の部で上演中の『江戸育お祭佐七』について教えていただきます。幽霊妖怪は重扇(音羽屋・菊五郎)ではないと様にならないそう。
「音菊(おとにきく)」、評判のお家芸
文/犬丸治(演劇評論家)
まずは、この写真を御覧ください。大屋根にはみ出さんばかりの大蝦蟇(おおがま)が出現し、その上に乗っているのは六代目尾上菊五郎の天竺徳兵衛です。昭和十年(1935)九月の歌舞伎座「音菊天竺徳兵衛」の舞台写真ですが、八十年以上前とは思えぬ迫力ですね。
作者南北が仕組んだPR
今月は、国立劇場で中村芝翫(なかむらしかん)の「天竺徳兵衛韓噺」、歌舞伎座で尾上菊五郎の「江戸育お祭佐七」が上演されますが、そこからは期せずして、音羽屋・菊五郎家の芸の伝統を覗くことが出来ます。
芝居道では、役者の紋処にちなんで「荒事は三升の紋(成田屋・團十郎)を着けないと強く見えないが、幽霊妖怪は重扇(音羽屋・菊五郎)ではないと様にならない」と言われます。お祭佐七や、め組の辰五郎など粋な鳶に代表される生世話物とならんで、怪談ものは菊五郎家にとってまさに「音菊」=「おとにきく・評判の」お家芸であり、その嚆矢(こうし)が初代尾上松助(松緑)の「天竺徳兵衛」だったのです。
播州高砂生まれで異国帰りの船頭・徳兵衛が、佐々木家の重臣吉岡宗観の前で唐土天竺の土産話をするので「韓噺」の名があるわけですが、宗観が朝鮮国の臣木曾官であり、自分がその実の子と知った徳兵衛は、父から蝦蟇の妖術を伝授され、謀反を決意するという壮大な物語です。
初演は文化元年(1804)七月河原崎座で、作者は五十を過ぎても中々芽が出なかった勝俵蔵・のちの鶴屋南北です。奇才として知られた南北でも、全てがオリジナルというわけではなく、近松半二・並木正三ら先輩たちが書いた「天竺徳兵衛」を参考にしつつ、大胆なケレン芸を採り入れたのです。
冒頭紹介した大蝦蟇出現では、宗観屋敷がメリメリと潰れていく「屋台崩し」。これはドリフターズ「全員集合」の大仕掛けへと繋がっていきます。さらに、屋敷裏の水門口から縫いぐるみの蝦蟇が現れ、取り囲む花四天(捕手)たちを眩惑しつつ、正体を現して徳兵衛になり(蝦蟇の縫いぐるみを引き抜いて中から出るのですが、今回はこの演出を取りません)が登場、泳ぎ六法で悠々と引っ込みます。
取り分け初演の見物を驚かせたのは大詰、盲目の座頭徳市に化けて入り込んだ徳兵衛が見顕(みあらわ)されて目の前の泉水に飛び込む。パッと水気(水柱を象った仕掛け)が立ったかと思った途端、花道揚幕で「上使のお入り」と声があり、徳兵衛役の松助が凛々しい長裃姿で現れたのです。余りの早替りの鮮やかさに「切支丹の妖術では」との噂が立ち、町奉行所が河原崎座に立ち入る騒ぎとなったのですが、これも全て、作者南北の仕組んだPRだったというオチが付きます。
普段、江戸の夏芝居は大立者は皆、避暑や旅に出かけて無人の一座なのですが、この松助・南北のスペクタクルは大当たり、二人の名声を不動のものにします。
この二人の提携は、松助の養子の三代目菊五郎へも受け継がれていきます。菊五郎は養父の怪談芸を受け継いで、南北と組んで清元「かさね」や「四谷怪談」のお岩を世に送り出します。
この菊五郎、楽屋で鏡台に映る自分を見ながら「俺は何でこんなに良い男なんだろう」と呟き、居合わせた人々も本当にそうなので誰もおかしく思わなかったという美男子でした。そのイケメンの魅力を最大限に引き出そうと南北が書いたのが、文化七年(1810)正月市村座「心謎解色絲」(こころのなぞ・とけたいろいと)のお祭り左七(この時は左七)でした。
もともと「左七」は「本朝糸屋の娘」という芝居の入り婿の名前なのですが、それを南北は粋な鳶に書き替えました。左七は深川芸者の小糸(二代目澤村田之助)と馴染むのですが、二人の濡れ場には「口を吸ふ」など濃厚なト書があり、戦前はそのまま活字化できなかった程。花形二人の色模様に、当時の見物は大喝采だったはずです。
小糸は、重宝「小倉の色紙」を手に入れるために、左七に心にもない「愛想尽かし」をするのですが、真に受けた左七は洲崎土手で小糸を殺してしまいます。
この時の殺し場で、田之助は血綿でも良かったのに、それでは見栄えがしないと血糊で毎日小袖を一着づつ汚したそうです。その小袖を芸者たちが争って買い求め、血糊だらけのまま座敷に出て伊達を競ったといいます。文化文政の刹那的空気が実感できるエピソードです。左七は三代目菊五郎の当り役となり、そのまま外孫で明治の名優・五代目菊五郎の「江戸育ちお祭佐七」に受け継がれました。
佐七を如何にカッコよく見せるか、そこが音羽屋の芸の真骨頂!
「江戸育ちお祭佐七」は明治三十一年(1898)、まさに「過ぎ去りし江戸」を回顧するかたちで、三代目河竹新七が書き下ろした江戸世話物です。決して上作ではないのですが、今月の舞台・喜寿とは思えぬ若々しさの菊五郎の手にかかると、そのいなせな二枚目ぶりに溜飲が下がるのですから不思議です。歌舞伎は戯曲の内容ではなく、役者の芸こそが生命だということが良く判ります。
ひとつだけ例を挙げると、序幕の神田祭の屋台で菊五郎の孫・寺嶋眞秀らが「道行」のお軽勘平を踊っています。続く「塀外」で、佐七が舞台の悪侍伴平(團蔵)を尻目に、時蔵の小糸の手を取り引っ込む。これはそのままお軽・勘平・伴内のもじりであるわけです。主役佐七を如何にカッコよく見せるかという仕掛けが随所に施されていて、客は身を任せて芸に酔う。音羽屋の芸の真骨頂がそこにあります。
公演情報
国立劇場「天竺徳兵衛韓噺」
日程:2019年10月2日(水)〜26日(土)
場所:国立劇場
歌舞伎座 昼の部 「江戸育お祭佐七」
日程:2019年10月2日(水)〜26日(土)
上演時間:昼の部 11時開演(「芸術祭十月大歌舞伎」内での上演)
場所:歌舞伎座
犬丸治(いぬまるおさむ)
演劇評論家。1959年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。歌舞伎学会運営委員。著書に「市川海老蔵」(岩波現代文庫)、「平成の藝談ー歌舞伎の神髄にふれる」(岩波新書)ほか。