姫路城といえば日本有数の名城。輝かんばかりに白く堂々とした姿から白鷺城との別称で親しまれています。
2009年10月から足掛け6年の月日をかけて行われた大天守の保存修理工事も完了し、ますます磨きがかかったその外見は「白い貴婦人」とも呼びたくなるような優美さです。
白鷺城のミステリー
ところがこのお城、ただキレイなだけではありません。
ちょっと……いやいや、かなり怪しげな伝説を内に秘める、ミステリアスな一面があるのです。
しかも、伝説の主人公は女性。「姫」路だけに妖女伝説? ってわけでもない(こともない)のですが、さっそくどんなお話か見ていきましょう!
天守に住まう真の支配者 刑部姫
姫路城の天守閣は誰でも見学可能(要入場料)で、お城見物のハイライトになっています。大天守と小天守から成る構造は「連立式天守」というそうですが、地階を含めると六階建てになっている大天守の一番上に小さなお社があります。
なぜこんなところにお社が? 歴代城主でもお祀りしているの? と、近寄って神額を見てみると、そこには「刑部大神」の文字が。これで「おさかべたいしん」と読みます。
説明板によると、姫路城が建つ前からこの地に鎮座していた土地神の名前だそうですが、この神様、実はなかなか謎めいている模様。
そのせいでしょうか。いろんな妖しい伝説があるようで……。
基本、美女。でもその正体は?
城主・秀勝の時代。
ある夜、暇を持て余した秀勝が「天守閣の最上階で夜な夜な怪しげな火が点くっていうじゃないか。あれ、何なのか、誰か見てこいよ」と言い出しました。
ですが、夜の天守閣は真っ暗闇。しかもむちゃくちゃ急な階段が折り重なる、二重の意味で怖い場所です。大人たちは誰も手を挙げません。
ところが、18歳の若侍だけは勇気を奮って「私が行ってまいります」と立ち上がりました。そこで秀勝は提灯を渡し、「行った証拠として灯っている火をこの提灯に移してこい」と命じたのです。
若侍が最上階に到着すると、たしかにポッと灯る明かりが見えます。
そして、その傍らには十二単を着た謎の貴女が座っているではありませんか。年は若侍といくつも変わらなそうですが、威風辺りを払うただならぬ姿です。
思わず気圧される若侍を尻目に、貴女は「お前はどうしてここに来たのだ」と問いかけます。
「私は主人の仰せにてここまで参りました。その火をこの提灯に灯していただけませんでしょうか」と礼を尽くしてお願いすると、「主命なら仕方ないわね」と快く火を分けてくれました。
礼を述べて帰る若侍でしたが、三重目まで下りたところで火が消えてしまいます。仕方なく来た道を戻り、再度火をもらったところ、何を思ったのか貴女はおまけに櫛(くし)まで付けてくれました。
それを持って若侍は勇躍凱旋、鼻高々に成果を披露すると、秀勝は「こりゃすごい!」と興奮して自分も行ってみることに。家臣に様子を確かめさせてから行くなんて、なんとも臆病な話です。
さて、貴女との出会いに胸をときめかせ(ていたかもしれない)、いざ最上階に達してみたものの、ただ火が灯るばかりで他には何もありませんでした。
拍子抜けしていると、なぜかいつも側に置いているお召の座頭さんが現れます。しかも、「殿様がお寂しかろうと思って後を追ってきたのですが、琴の爪を入れた箱の蓋が手にくっついて取れないんです」と謎の訴えをするです。
何をどうやればそんなシチュエーションになるのかさっぱりわかりませんが、優しいところもある殿様は「どれどれ、わしが取ってやろう」と色々試してみました。ですが、一向に取れません。終いには短気を起こして「なんだこの爪箱は! 叩き割ってやる!」と足で勢いよく踏んづけてしまいました。
すると、なんということでしょう! 足が箱にくっついて取れなくなったのです。
それだけではありません。座頭さんが突然鬼神に姿を変え、「われはこの城の主なり。われを疎かにして、尊ばずんば、今ここで引き裂き殺さん!」を睨みつけてきたからさあ大変。
びっくり仰天の秀勝は、さっさと降参してひらに許しを乞いました。途端に足は無事箱を離れ、夜も白々と明けだしたのです。
ほっとした秀勝、さて帰ろうと辺りを見回すと、驚いたことにそこは天守ではなく自分のいつもの部屋でした。
あれは夢だったのか、それとも……。
この何とも掴みどころのないお話は江戸時代初期、1677年に刊行された『諸国百物語』という怪談集に載っています。
ちなみに姫路城の歴代城主に「秀勝」という名の人はいません。
ただ、『諸国百物語』刊行以前の城主を見ていくと似た名前が出てきます。戦国時代の「羽柴秀吉」「羽柴秀長」と江戸時代初期の「本多政勝」の三人です。羽柴秀吉はもちろん後の豊臣秀吉。性格的にはなんとなく彼がモデルっぽいですよね。しかし、秀吉の時代の天守は三重で、しかも城内に刑部大神が祀られたのはそれより後年、池田輝政が城主だった1600年から1612年の間だとされているので、一番時代が下る本多政勝が本当のモデルだったのかもしれません。
ひどい乱暴者なので祀ってみた
では、どうして池田輝政が城内に刑部大神を祀るようになったのかというと、それもまた『諸国百物語』に理由が書かれています。
ある時、池田輝政が重い病に罹ってしまったため、比叡山からえらいお坊さんを招いて七日七夜の祈祷を行うことになりました。
その七日目の夜半、三十歳ぐらいの美しく装った女が突然現れ、
「どうしてそのようにご祈祷されるのです。そんな風にされてはたまったものではありません。さっさとお止めください」
と言って、お坊様を睨みつけたではありませんか。
しかし、そこは徳の高いお坊様、怯むことなく「お前は何者だ」と落ち着いて問いかけたところ、女はにわかに丈3メートルばかりの鬼神に姿を変えました。
やれ物の怪が出た! と側にあった剣を抜いて身を守ろうとしたところ、鬼神は「われはこの国に隠れなき権現なり」と名乗り、お坊様を蹴り殺してかき消すように失せてしまいました。
こんなことがあったので、輝政は土地神の祟りと考え、城内の鬼門にあたる位置に姫山(姫路城が建つ丘)の地主神である刑部明神を祀った、というのです。ところが、別伝では天狗に脅された輝政がその命に従って社を建立したともいうので、結局のところ何が本当かわかりません。
ただ、なにかあったら時の城主を脅したり祟ったりする神である、という共通認識が人々の間にあったことは間違いないようです。
どうにも少々おっかないタイプであるらしい刑部大神、平安時代中期に編纂された『延喜式』という法令集には「姫路刑部大神」の名が出てきますので古い神様であることは確実です。播磨国に鎮座する神様の名前を集めた『播磨国内鎮守大小明神社記』には富姫神と書かれているそうなので、女神であるのも疑いのないところ。
ところが、後世になるといろんな話が入り乱れ、その正体は天守に久しく住まう白髪の老婆、年を経た古狐、皇統に連なる流竄(るざん)の姫、果ては地養社なる小社の社人が無念の死を遂げた怨霊になったモノなどなど、様々な説が語られるようになります。挙句の果てには宮本武蔵と対面したという伝説まで創られる始末。
どんな神様なのかよくわからないまま、「姫路の刑部姫は謎の妖女である」というイメージが日本全国に広がってきました。
戯曲『天守物語』と刑部姫
やがて明治時代に入り、近代文学が盛んになった頃、ひとりの文豪が刑部大神に注目しました。近代日本を代表する幻想文学作家・泉鏡花その人です。
大正6年に発表された戯曲『天守物語』は、『諸国百物語』や『甲子夜話』など江戸時代に書かれた複数の書物や巷説を元に練り上げたオリジナルの物語で、タイトル通り姫路城の天守閣を舞台にしています。主役は富姫、つまり刑部大神。年の頃は二十七、八で高貴な威厳ある女性と設定されています。そして、天守に登ってきた美しい若侍・図書之助と「千年に一度の恋」に落ちるのです。
このロマンティックな物語を、1995年、鏡花作品を心から愛する名女形・坂東玉三郎丈が自ら監督と主演を務めて映画化。以後も劇場での上演を続け、その臈長けた美しさで現代の「刑部姫」像を決定づけました。
玉三郎丈の玲瓏なる姿はぜひ下記のリンクからお確かめを。
シネマ歌舞伎「天守物語」
https://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/17/
やれ狐だ白髪の婆様だと散々言われた刑部大神も、この富姫ならば大満足なのではないでしょうか。
社も、人間の都合でたびたび移動させられていたものの、明治時代になって現在の位置に落ち着きました。
第二次世界大戦下の姫路空襲では天守にも焼夷弾が落下しましたが、なぜか発火せず、城は焼失を免れました。これも刑部大神のご神徳、と噂されることしきりだったそうです。
天守閣の最上階から外を覗けば、播磨一国を悠々と見渡す絶景が広がっています。
気難しいことこの上ない刑部大神の心も、今は晴れ晴れとしているかもしれません。