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永遠のふたり 白洲次郎と正子

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2024.05.10

才色兼備な吉原遊女・玉菊のはかなくも豪快な人生

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江戸幕府公認の遊郭『吉原』は、当時の男性にとって夢のような場所でした。けれども遊女たちは、外の世界へ繋がる大門を出ることが許されない過酷な環境だったのです。そして厳しい競争をくぐり抜けて、上級遊女の太夫になれるのは、ごくわずか。そんな選ばれし伝説の遊女として名を残した玉菊(たまぎく)の人生を辿ります。

幼くして吉原へ売られるも才覚を発揮

江戸時代は現代の感覚では信じられませんが、女衒(ぜげん)と呼ばれる人買いを商いとする人がいました。貧農などで娘を買い、吉原の廓へ売るのです。売られる少女の年齢は、おおよそ10歳ごろ。玉菊もそれぐらいの年齢の時に、吉原に売られて遊女の道を歩むことになりました。

玉菊は雑用などの用事をする少女時代を過ごし、17歳前後で遊女になったと思われます。玉菊は美貌、教養、客あしらいなど全てにおいて優れていて、すぐに頭角をあらわし、太夫に上りつめます。また人柄が気さくで、客や同僚の遊女だけでなく、妓楼で働く雇い人にも慕われたそうです。

上級遊女になるのは、こんなに大変だった! くわしくはこちらから↓
花魁道中を踏める遊女はほんのひと握り。吉原版出世コースに乗るにはアレとコレが重要!

大酒飲みが影響して若くして亡くなる

玉菊は、茶の湯、生け花、俳諧など諸芸に通じていて、なかでも河東節(かとうぶし)と呼ばれる江戸浄瑠璃(じょうるり・三味線を伴奏とする語り物の芸能)の名手でした。三味線は細棹(ほそざお)を使い、さっぱりとした粋な節回しで、当時人気を集めた芸能と言われています。愛嬌がある玉菊の河東節は、きっと魅力的だったことでしょうね。

『大日本古今名婦鏡』豊国 国立国会図書館デジタルコレクションより

玉菊を描いた浮世絵には得意の三味線が描かれていますが、酒器も見られることから、酒好きとして有名だったことがわかります。豪快な愛すべき遊女でしたが、この大酒飲みがたたって、わずか25歳で亡くなってしまいます。

玉菊の供養から生まれたイベント

玉菊が亡くなった年の新盆(にいぼん)に、吉原の各見世では軒下に灯篭(とうろう)をかかげて玉菊の精霊をまつりました。やがて「玉菊燈籠」と呼ばれるようになり、7月いっぱい行われる年中行事になったそうです。この期間は切符(通行手形)が必要でしたが、女性も入ることができ、玉菊灯篭を見物できました。不幸な生い立ちから、才覚で太夫へ駆け上がった玉菊に対して、哀悼の意を捧げる女性も多かったことでしょう。

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遊郭・吉原の三大イベントとは何をするのか、詳しく解説!

アイキャッチ 『大日本古今名婦鏡』豊国 国立国会図書館デジタルコレクションより

参考書籍:『吉原遊郭のすべて』双葉社、『日本大百科全集』小学館、『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞出版