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2020.01.21

秀吉が築城させた「水口岡山城跡」とは?立地や役割、構造、支配した人物などを解説

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忍者の里で知られる滋賀県甲賀市。豊臣秀吉の天下統一事業において重要な役割を担った城が、かつてそこにありました。築城したのは、数千の大ダコに救われた奇跡の戦国武将、中村一氏(なかむらかずうじ)。一氏にまつわるエピソードは過去記事にまかせるとして、今回は、水口岡山城(みなくちおかやまじょう)跡を歩いてみましょう。

忍者たちの統治から、一大名の支配へ

戦国時代、近江国甲賀(現在の滋賀県甲賀市周辺)。甲賀には突出した権力者がおらず、地侍たちが組織をつくって地域を治めていました。甲賀の忍者のモデルでもある「甲賀衆(こうかしゅう)」です。

本能寺の変の3年後にあたる天正13年(1585年)、そんな甲賀に事件が起きます。天下統一に向けて急激に勢力を伸ばしていた豊臣秀吉が、敵を攻めるにあたり甲賀衆を動員し、水攻めの堤をつくらせました。その際に甲賀衆に不手際があったとして、甲賀衆たちの支配権を剥奪したのです。

秀吉はその直後に家臣である中村一氏に甲賀を治めるよう命じ、甲賀の山に巨大な城を築かせます。それが水口岡山城です。自治組織から一大名による支配へ。水口岡山城の築城と共に、甲賀が変わり始めます。

戦略的に選ばれた絶好の立地

水口岡山城が築城されたのは、標高283mの山の上。眺望のきく山頂は、晴れた日なら八幡山城(近江八幡市)や琵琶湖も見渡せたはずです。

城が築かれた天正13年は、秀吉が関白に就任した年でもありました。当時の秀吉にとっての脅威といえば、東海の徳川家康や関東の北条氏。水口岡山城は東西をはしる東海道、南北にのびる八幡道・日野道が交差する場所に位置し、天下統一を目指す秀吉にとって、東国へ侵攻するための絶好の拠点だったのです。

軍事拠点から政治拠点へ

甲賀の支配と東国制覇の拠点を目的に築かれた城ですが、秀吉が小田原攻めで北条氏を滅ぼし天下統一を成し遂げたあと、城の位置付けに変化があったと考えられます。

一氏に続く2代城主は、増田長盛(ましたながもり)。小牧長久手の戦いや小田原攻めにも参戦した、秀吉が信頼を置く部下です。水口を離れたあとも、功績をあげ、五奉行のひとりにまで出世し土木担当として活躍しました。

そして、3代城主は長束正家(なつかまさいえ)。もともとは丹羽長秀(にわながひで)に仕えていましたが、算用の才能を買われて秀吉に仕えるようになった人物です。小田原攻めや朝鮮出兵など大規模な戦いにおいて、武器や兵糧(ひょうろう)の管理を任され、財務担当として活躍しました。

2代目は土木担当、3代目は財務担当と、政権運営に力を発揮する家臣を置いたことからも、秀吉にとっての軍事拠点から政治拠点へと城の役割が変化したことが推測できます。

性格の変化に応じて構造も変化

城のつくりにおいても、時代による機能の変化が見受けられます。

山の斜面に竪堀(たてぼり)や竪土塁を多く設けている点は、豊臣政権が築いた城としては特異。山の東に竪堀が重点的に設けられている様子から、東からの敵に対する防御を強く意識していることがわかります。

また山上の本丸の施設のうち、西の櫓は築城時に一氏によって寺院から転用した瓦が使われているのに対し、東の櫓は正家が城主になった段階で大溝城(高島市)から運ばれた瓦を使って整備されたと考えられています。つまり、3代城主・正家の段階で城が大きく改修されたのです。

謎の揚羽蝶文鬼瓦

東櫓台から出土した揚羽蝶文鬼瓦には、こんなミステリーが。揚羽蝶文といえば姫路城や岡山城の城主であった池田家の家紋として有名ですが、水口岡山城の城主に、池田家の人物はいません。しかし、こんなエピソードが伝わっています。

写真 甲賀市教育委員会提供

慶長5年(1600年)9月、関ヶ原の戦いのあと、水口岡山城に敗走した正家を追ってきたのは、池田長吉(ながよし)でした。正家は城を明け渡し、のちに自刃したと伝わっていますが、城はそのあと長吉に取り上げられたと考えられます。しかし長吉は同年11月に鳥取城を与えられているため水口の滞在期間は約2カ月間。この短い間に、池田家とのわずかな接点はありますが、鬼瓦との関係は謎のままです。

水口岡山城から水口城へ

長吉が鳥取へ移ったあと、水口岡山城は彼に仕えていた水口出身の美濃部重盛らが管理を任され、わずか3代15年で廃城となりました。慶長6年(1601年)には水口岡山城の城下町が東海道の宿駅に指定され、城下町から宿場街へと街の機能も変化。さらに江戸時代初期には、水口一帯が徳川幕府の直轄地となり、寛永11年(1634年)には三代将軍・家光の宿館として水口城が築かれました。

かつては秀吉の重要な軍事拠点であり政治拠点だった水口岡山城。廃城後、その跡地である山は通称「城山」と呼ばれ、甲賀のシンボル的存在として地元の人々に親しまれています。

水口岡山城跡 基本情報

住所:滋賀県甲賀市水口町水口
アクセス:近江鉄道本線「水口駅」下車、徒歩7分