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2023.02.15

亜欧堂田善とは?銅版画の代表作品や松平定信との関係も紹介

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江戸時代後期、白河藩(今の福島県)に銅版画を制作する一人の男がいました。その名も亜欧堂田善(あおうどうでんぜん、1748〜1822年)。その少々風変わりな名前の通りに、欧州の技法で日本の風景を見事に表していたのです。千葉市美術館で開かれている企画展「没後200年 亜欧堂田善 江戸の洋風画家・創造の軌跡」を訪れたつあおとまいこの二人は、田善の妙技の数々に、さっそく見入られました。

えっ? つあおとまいこって誰だって? 美術記者歴◯△年のつあおこと小川敦生がぶっ飛び系アートラバーで美術家の応援に熱心なまいここと菊池麻衣子と美術作品を見ながら話しているうちに悦楽のゆるふわトークに目覚め、「浮世離れマスターズ」を結成。さて今日はどんなトークが展開するのでしょうか。

これはヤマタノオロチ?驚きの表現

つあお:亜欧堂田善が作ったこの銅版画を、まいこさんはどうご覧になりましたか?

亜欧堂田善『銅版画東都名所図』より『二州橋夏夜図』 文化元〜6年(1804〜09)頃 須賀川市立博物館蔵 展示風景(前期展示)
※後期展示では、同じ図に手彩色が加わった『二州橋夏夜図』(文化元〜6年(1804〜09)頃 紙本銅版筆彩 神戸市立博物館蔵)が出品されています。

まいこ:何だかすごいですね。初めて花火を見てびっくりした人が描いたみたいな感じかな?

つあお:確かにタイトルから考えると、この絵は花火の場面です。でも、あまりにも猛々と煙が上がっていて、四方八方に稲光みたいなものを発している。花火というより、「大爆発」っていう感じじゃないですか?

まいこ:確かに! ヴェスヴィオ火山の噴火みたいにも見えます。

つあお:おお、いきなりイタリアに飛びましたか(笑)。モノクロームの版画だからか、頭をたくさん持ったヤマタノオロチみたいな怪物がいろんなところに首を向けて、何か悪さをしようとしてるようにも見える。

まいこ:確かに! パンドラの箱が開いて悪いやつらがいっぱい解き放たれたみたいな…。こんな形、どうやって思いつくんでしょうね?

つあお:多分、日本の伝統表現にはなかったんじゃないでしょうか。でも、考えてみたら、この時代から隅田川なんかでは花火を打ち上げていたから、空想のできごとではなかった。

まいこ:やっぱりこれは花火なんですね(笑)。

つあお:そうだろうと思います。すごく細かく描き込んでるところがいいですね。手前の屋形船なんかも、よく見るとけっこう素敵ですよ!

まいこ:ちょうちんのあかりが灯っていそう! 中では、お酒を飲んでるのかな?

つあお:さすがですね! まいこさんの発想はいつも素晴らしい。

まいこ:ありがとうございます。だって、屋形船ですから。

つあお:それでね、この作品は、実はすごくちっちゃいんですよね。

まいこ:はがきくらいのサイズでしたね!

つあお:そう。その中に、ここまで細密に描き込んだことには、なんかそうさせるような理由があったんだろうなぁと思うんですよ。

まいこ:銅版画だから?

つあお:ピンポン! 銅版画は、細密な表現に向いている!

亜欧堂田善『銅版画東都名所図』より『東都名所全図』 文化元〜6年(1804〜09)頃 須賀川市立博物館蔵 展示風景
※後期展示では、同じ図に手彩色が加わった『東都名所全図』(文化元〜6年(1804〜09)頃 紙本銅版筆彩 神戸市立博物館蔵)が出品されています。

まいこ:この『東都名所全図』も同じ大きさの作品でしたね。美術作品として見るとかなり小さい。はがき大でこんなに細かいことができるなんて! 亜欧堂田善って、いったいどんな人なんですか?

つあお:まず名前がすごいですよね。アジアの「亜」に欧州の「欧」ですからね。

まいこ:物語の主人公といった風格。誰かが名付けたのでしょうか?

つあお:当時、西洋の銅版画の技法の習得を田善に命じた白河藩主の松平定信が、「世界地図のように亜細亜(アジア)と欧州大陸を眼前に見る心地がする」と賞して「亜欧堂」と名付けたそうです。まさにアジアと欧州をかけた名前だった。「亜細亜+欧州=亜欧堂田善」ということなんです。

まいこ:えーっ、それはすごい!

一度見たら、忘れられない名前かも。

世界地図を作るために始めた銅版画

まいこ:そもそもなぜ銅版画の技法を習得させようなんて思ったんでしょう?

つあお:どうも田善に銅版画で地図を作らせたかったようなんですよ。だから輸入していた世界地図を最初に田善に見せていたらしい。松平定信は譜代大名で、老中を務めたこともある。幕府の人間です。

まいこ:へぇ。幕府にとって、地図はホントに大切なものだったのでしょうね!

つあお:幕末が近づいて、ロシアの使者がやってきた頃だったのですよね。やっぱり「世界のことを知らないと」っていう感じになり始めていた。そしてね、田善はホントに世界地図を銅版画で作っちゃったんですよ。

まいこ:すごっ!

つあお:高橋景保(たかはしかげやす)という幕府の役人が西洋から入手したものをもとに作った世界地図を、田善が銅版画の技法で印刷したんです。

高橋景保作・亜欧堂田善銅版印刷『新訂万国全図』 文化7(1810)年(銅版画の刊行は1816年頃) 展示風景

高橋景保作・亜欧堂田善銅版印刷『新訂万国全図』(部分) 展示風景

まいこ:素晴らしい! 現代の地図とほとんど変わらないように見えます! 日本は日本の形をしているし。

つあお:すごいですよね。でも、西洋の技法を学び始めたのは、47歳くらいの時だったそうですよ。それまでは染物業をしていたのだとか。

世界地図のクオリティが高い!染物業からの転身!?もう、ドラマ化してほしい。

まいこ:藩主に言われたら、やらないわけにはいかないですよね! 使命感に燃えていたのでしょうね。でも楽しかったんじゃないかな? 地図みたいな印刷物ばかりでなく、オリジナルの作品もいっぱい作っていたのだから。

つあお:まずこれだけの技術を習得できるということ自体が、絶対楽しいに違いないと思いますよ。油彩画もけっこう描いてますね。

亜欧堂田善『江戸城辺風景図』 寛政年間(1789〜1801年)後期〜文化年間(1804〜1818年)前期頃 絹本油彩 東京藝術大学蔵 展示風景

まいこ:ちょっと不思議な世界! 銅版画が「仕事」だった分、油彩画は自由に描いていたりして。

つあお:「仕事」で西洋の技術を学ぶことができるんですもんね。役得ですよ! もともと画才があった分、面白さも半端なかったんだろうな。ちなみに西洋技法の師匠は、有名な谷文晁(たにぶんちょう)だったそうです。いわゆる「洋風画」を学んだのだとか。

まいこ:西洋のお手本なんかもあったんでしょうね!

つあお:当時、日本はオランダから書籍を輸入していましたからね。松平定信が提供したものがたくさんあったようです。

ヨハン・エリアス・リーディンガー原画『トルコの馬飾り・諸国馬図』 1752年 紙本銅版 早稲田大学図書館蔵 展示風景

亜欧堂田善『銅版下絵曳馬図帖』 寛政11(1799)年頃 紙本墨画 須賀川市立博物館蔵(太田貞喜コレクション) 福島県重要文化財 展示風景

まいこ:馬の絵の模写、すごく上手ですね! 才能を見抜いていた松平さんも素敵です。

つあお:絵を教えた谷文晁もびっくりするほどだったみたいです。この馬の絵の立体感は素晴らしい。

まいこ:ひょっとしたら、あの花火の絵も西洋の絵から取ってきたのでは?

つあお:そうなんですよ。オランダで制作された『ニスタット条約締結記念祭 第二図』という銅版画の一部を図柄として借用したものだったようです。

まいこ:きっと「このモチーフで日本の花火を描いたら面白い!」って思ったんでしょうね。

つあお:とりあえずモチーフを使ってみようと思ったのは、きっと勉強熱心だったってことなんでしょう! でもやっぱり、日本の風景になっているところが何とも言えない。

まいこ:形のセレクトと組み合わせ方のセンスも面白い人だったのかもしれませんね!

まいこセレクト

(左)亜欧堂田善 『少女愛犬図』 一幅 文化年間(1804〜18年)〜文政5
(1822)年頃 絹本墨画  個人蔵
(右)フランシス・コーツ(原画)、ジェームズ・ワトソン(刻)『少女ラッセルズ』  18世紀(ロンドン、ライランド&ブライヤー発行) 紙本銅版 個人蔵 展示風景

「なにこれ〜、全然似てない!」

田善が描いたという墨絵の『少女愛犬図』と、その着想の基にしたという西洋の版画を隣り合わせで見たときの最初の感想です。松平定信から大抜擢されて、銅版画の習得を命じられたくらいだから、相当凄腕なはずだけど、真面目に模写したとは思えないほど似ていません。まるで、西洋画のことをよくわかっていない日本人が、がんばったけど、変な風になってしまったみたいな感じ?

この絵怖い~!でも、ちょっと面白い?

基になった西洋の版画のほうは、立体感も自然で瞳もつやっとして気品あふれる生身の少女と犬です。それに対して田善の絵は、立体感を出そうと陰影をつけているのだけどそれが汚れみたいに見えたり、目や、洋服のヒダがいきなり漫画を貼り付けたように平面的なので異様な非現実感があったりします。犬のほうは、なぜかアニメーションの原画から貼り付けたみたいだし、女の子のくちびるにいたっては、ハイライトの白い部分が大きすぎて、二本の出っ歯に見えちゃったり! 「それはないでしょう田善さん!」と思わず笑ってしまいました。でも、せっかく基の絵があって技術もあるのにここまで独特の世界に描き変えることができるということは……、ひょっとしてわざと?

もしかしたら、生真面目に、西洋版画を模写するだけなら、田善より上手な人がいたかもしれません。でも、西洋的な技術をいったんマスターした上で、ひねりを効かせたアウトプットもできる田善だからこそ、松平定信の期待にも柔軟に応えることができたのかもしれません。

つあおセレクト

亜欧堂田善『山水人物図』 文化年間(1804〜18年)頃 絹本油彩 歸空庵蔵

屹立する山を、眺めている二人の人物が画面下部に小さく描かれています。自然の雄大さを表しているのでしょうか。しかし、伝統的な東洋の山水画とはずいぶん雰囲気が違う。油彩で描かれているのです。ホント、濃いですよね。濃い分、山のインパクトも増しており、奇天烈な造形がまるで生き物のように目に飛び込んできます。亜欧堂田善はこうして西洋の技法の可能性を探っていたのでしょう。ちなみにお師匠さんの谷文晁にも、中国風の山水画に西洋技法を加味した例があるそうです。たぶん、師弟ともに、好奇心いっぱいで作画に望んでいたに違いありません。

師弟ともにチャレンジャーだったのですね。

つあおのラクガキ

浮世離れマスターズは、Gyoemon(つあおの雅号)が作品からインスピレーションを得たラクガキを載せることで、さらなる浮世離れを図っております。​​

Gyoemon『あ! おう!』

亜欧堂田善という名前をつけたのが、寛政の改革を行ったことで知られる松平定信だったというのはなかなか興味深い事実です。定信は白河藩主のみならず幕府の老中を務めたくらいですから、国防などについても意識をしていた広い視野を持つ政治家だったのでしょう。世界地図を目にして、世界の中で日本がいかに小さな存在であるかなどについても、ひしひしと感じていたに違いありません。

田善に関しては、何よりもまず、「亜欧堂」という言葉の響きがしゃれている。アジアと欧州が「会おう!」という駄洒落まで意識していたかどうかは不明ですが、定信はやはり、世界の幸福な出会いを願っていたのではないでしょうか。悲惨な戦争を起こしている現代人も、広い視野と寛容な心を持って手を携える必要があることを実感している次第です。

展覧会基本情報

展覧会名:没後200年 亜欧堂田善 江戸の洋風画家・創造の軌跡
会場名:千葉市美術館
会期:2023年1月13日〜 2月26日
 前期:1月13日〜 2月5日
 後期:2月7日〜 2月26日
公式ウェブサイト:https://www.ccma-net.jp/exhibitions/special/23-1-13-2-26/

書いた人

つあお(小川敦生)は新聞・雑誌の美術記者出身の多摩美大教員。ラクガキストを名乗り脱力系に邁進中。まいこ(菊池麻衣子)はアーティストを応援するパトロンプロジェクト主宰者兼ライター。イギリス留学で修行。和顔ながら中身はラテン。酒ラブ。二人のゆるふわトークで浮世離れの世界に読者をいざなおうと目論む。

この記事に合いの手する人

幼い頃より舞台芸術に親しみながら育つ。一時勘違いして舞台女優を目指すが、挫折。育児雑誌や外国人向け雑誌、古民家保存雑誌などに参加。能、狂言、文楽、歌舞伎、上方落語をこよなく愛す。十五代目片岡仁左衛門ラブ。ずっと浮世離れしていると言われ続けていて、多分一生直らないと諦めている。