シリーズ「カリスマ絵師10人に学ぶ日本美術超入門」。今回は葛飾北斎(かつしかほくさい)を、代表作とともにご紹介します。
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世界近代絵画の生みの親 葛飾北斎
琳派によってアール・ヌーヴォーが始まったのに続いて、その発展形のジャポニスムには北斎の浮世絵が大きく関わっていました。
浮世絵の新鮮な絵画様式にいち早く反応したマネは構図や画法を積極的に取り入れ、モネやドガ、セザンヌなど印象派の画家たちは北斎の『冨嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)』などにならった連作を手がけるようになります。モネはさらに、多数の北斎作品をコレクションし、ゴーギャンやシスレーも浮世絵から新たな絵画の方向性を見出しています。
西洋絵画を古い価値観から解き放ち、近代絵画への扉を開くきっかけをつくったのは、なんと北斎だったのです。江戸時代の浮世絵が世界を変えたのですから、日本美術の先進性はまさに驚異的だったのです。
浮世絵は三位一体のメディアだった!
浮世絵は日本美術において、異質の絵画作品です。それは版画という方法をとっていることが大きな理由で、制作工程は出版社的立場の版元の指示のもと、絵師が下絵を描き、彫師(ほりし)が下絵を版木に彫り、摺師(すりし)が何色もの色を重ねて摺ることで、錦絵という浮世絵版画ができ上がります。
浮世絵師とは本来、下絵を描くだけの立場で、繊細な表現を実現してくれるのは彫師、色鮮やかに仕上げるのは摺師で、版元と三位一体(さんみいったい)となって完成するのです。そのため、初摺(しょずり)と後摺とでは色合いや線の具合が違っていたりすることがあり、その違いもまた浮世絵の面白さや魅力ととらえられています。
葛飾北斎は肉筆もすごい!
浮世絵版画とは三位一体ででき上がるもので、絵師ひとりの作品とはいえません。そのため、多くの浮世絵師は下絵制作に飽き足らず、すべてを自分で手がける肉筆画に積極的に取り組んでいます。そんな中でも肉筆画を追求していたのが北斎でした。
絵を描くことが好きで、楽しくてたまらなかった北斎は、常に新しい画題を求めて、早い時期から絹本の肉筆画を描いていました。『冨嶽三十六景』シリーズで人気絵師となるものの、風景版画に執着することはなく、70代半ば以降は肉筆に専念。大胆な構図はそのままに、年齢を感じさせない筆の勢いを見せる名画を最晩年までいくつも残しています。その作品を見ると、北斎の真骨頂が肉筆にあると再認識するはずです。
カリスマ絵師09 葛飾北斎プロフィール
かつしか ほくさい
宝暦10(1760)年~嘉永2(1849)年。本所割下水(ほんじょわりげすい 現墨田区亀沢)に生まれ、19歳のころ勝川春章(かつかわしゅんしょう)に弟子入りし翌年から浮世絵を発表。『冨嶽三十六景』のほか、絵手本『北斎漫画』などで、海外で最も有名な日本人芸術家となる。生涯に90回引っ越しをし、30回改号したというエピソードがある。
※アイキャッチ画像
葛飾北斎「日新除魔図」重文 九州国立博物館
出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)
※本記事は雑誌『和樂(2018年4・5月号)』の転載です。
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