「ずっとそこにあったような佇まい」
静と動。陰と陽。対を成す鳳凰は、物事の成り立ちを表すという。後陽成天皇を開基とする門跡寺院、瑞龍寺(近江八幡市)の本堂に描かれた二対の鳳凰像。琵琶湖の湖岸にそびえる八幡山山頂に位置し、日蓮宗唯一の門跡寺院であり、「村雲御所」とも呼ばれるこの寺院は、もとは京都・村雲(現在の京都市上京区村雲町)の地に豊臣秀次の追善のために建立された寺院で、代々皇女や公家の子女を貫首に迎えてきた。
昭和36(1961)年、秀次にゆかりある現在の場所に移築された築200年近い本堂の両脇に、美術家・maisが描き出した鳳凰は羽根を広げている。
板戸に直接描かれた二対の鳳凰は、深紅と緑、金などから成るグラデーションが、アラベスク模様や古代ギリシャの幾何学模様を思わせる独特な模様を両翼に浮かび上がらせ、その見開いた目には、南米の先住民が手掛けたアートかのようなプリミティブさとエネルギーが感じられる。
古色蒼然とした寺院建築の中にあって、参詣人の目をひときわ引きつつも、寺院本来の設えを損なうことなく、むしろそれはこの場の荘厳な空気と静かに融合しているようにも感じられる。
maisは二対の鳳凰を、板戸の木目が成す凹凸をそのままに描いたという。
「描く前に軽く拭かせてもらったくらいで、シミや汚れ、以前に描かれていたであろう竹の絵柄もそのままに描かせてもらいました。きれいにしてしまうと、瑞龍寺の歴史をなかったことにするような気がする。そうではなく、この場所にあったままで色を重ねていくのが私は一番良いと思うし、ずっとそこにあったような佇まいを生む気がする」
使う道具は「おしり拭き」。そして掘り起こしていくモチーフ
これらの板絵を彼女に依頼したのは、昨年この寺院の十六世「門跡(住職)」に就任した詫間日郁(たくまにちゆう)氏。maisが数年前に手掛けた日蓮宗の本山・本法寺の塔頭「尊陽院」の天井画を見かけ、制作を打診した。
「私はあえてmaisさんの天井画をじっくり鑑賞するということは致しませんでした。けれども直接お会いしたときに、彼女の中に私自身が昔経験したような何かがある気がしたのです。それで、異例ではありましたが、お好きなように描いてくださいとお願いして、細かな打ち合わせもほとんど致しませんでした」
日郁氏はそう振り返る。依頼に応えるかたちで、maisは二対の鳳凰に加えて、奥の間の廊下の突き当たりにもう一羽の鳳凰を、そして、茶室の襖一面に曼珠沙華を描いた。
回廊の突き当たりとなる場所の鳳凰は、二対のそれとは異なり、大きく羽を広げ、今まさに飛び立たんとするかのよう。漆黒の両足を躍動させ、力強い眼は空を見つめる。「これを描く前、この場所はどこかすごく暗い雰囲気があって、空気を入れ替えたかったんです。飛び立つ瞬間を描くことで、ここに風が起きればと」。
さらに廊下を進んだ先にある茶室の襖に描いたのは、「雲中の曼珠沙華」。日郁氏と対面したときに脳裏に浮かんだというモチーフを、襖一面に表現した。サンスクリット語で「天界に咲く花」を意味する曼珠沙華は、『法華経』を釈迦が説いたことを祝って天から降ってきた花の一つとされ、見る者の悪業を払うという。
この花を、maisは雲とともに描き出す。近づいてみると、鳳凰と同じく、その色彩は一定ではなく、常に階調があり、「何色」とは名状しがたい「ゆらぎ」を持っている。筆致は独特で、筆の運びは見えず、何かを叩きつけるようにしているように見える。
一つとして同じ色がない。常にゆらぎ続ける色彩——。彼女は自身が生み出す色合いを「多色の一色」と呼ぶ。この独特の色使いは、どのようにして生まれているのだろうか。
「赤ちゃんのおしり拭きで描いているんです。モチーフだけじゃなく、下地の黒も背景の白も、全部おしり拭き。筆では『ゆらぎ』が出なくて。マスキングテープを用いて輪郭をかたちづくり区切った場所に色を重ねていきます。私、制作にかかってからはあまり悩んだりすることはないんです。描きたいものを『掘り起こす』ようなイメージ。鳳凰は3日ほどで描き上げました」
音が色になって見えた幼少期の感覚
彼女が絵を描くようになったのは、20年ほど前、出産を経て育児の真っ最中だったころ。専門学校や大学で美術を学んだわけではなく、ふと思いついて描き始めた大人向けの絵本が、最初に手掛けた作品だったという。
「でも、周囲に絵本作家と呼ばれるのは違うなって。それで絵本は完全にやめました。その後絵画などを描くようになり、私の色を『maisの色』と認識してもらえるようになってきたのは、7年ほど前のこと。2017年にパリで個展をさせてもらったのもその頃だったかな」
幼い頃から、「色」には敏感だった。周囲の人が話した言葉や、普段の生活の中で聞こえてくる様々な音が、幼い彼女には音だけではなく「色」としても認識されたのだという。「共感覚」と呼ばれるこの感覚は、人口の数%ほどに見られるもので、ある情報——たとえば文字——を頭の中で処理するときに、その情報が一般的な形で処理されることに加えて、普通は無関係と思われる種類の感覚——たとえば音や色——が呼び起こされるのだという。
「みんなそうだと思っていた」と話すmaisは、共感覚によってとりわけ色に対して鋭敏な感覚を持って育った。現在はほとんど無くなったというその感覚を、彼女は絵を描く時、集中して取り戻す。
「ご依頼いただく際、打ち合わせや会話の中で、その人やその企画の思い、声に集中します。そうすると声や思いに『色が乗る』瞬間があって、それを見逃さないようにしつつ、さらに深く読み取り、読み解きます。それを見直して、自分の頭の中で整えていく。そこから描くモチーフも決まっていく感じ。よく色彩が『(天から)降りてくるんですか?』と聞かれることがあるんですが、全然そんなことはない。自分から迎えにいっています(笑)」
思いは色に乗る。鋭敏すぎる感覚に時に苦しみながらも実体験として得たその確信を、今彼女は「おしり拭き」に乗せて、彼女にしか表せない色、「maisの色」として表現する。
曼珠沙華の前で涙する女性「母に会えた」
曼珠沙華は、そうして依頼主である門跡・日郁氏の言葉や声を「色」に表した作品だった。2022年12月に公開されて以降、多くの人が作品を観に訪れる中で、日郁氏はある女性と出会ったという。
「静岡からお越しになったというその方は、一人で茶室の前に座って、曼珠沙華をご覧になっていました。私が席を外してしばらくしてもまだ戻ってこられなかったので、不思議に思って様子を見に行くと、静かに泣いておられたんです。『どうされましたか』と尋ねると、『この絵を見て、3年前に亡くなった母のことを思い出しました』と。親孝行らしいことを何もしてこなかったと話すその方は、maisさんの曼珠沙華を観て『母にもう一度会えた気がする』と仰っておられました」
出家以前にはジュエリー作家でもあったという日郁氏は、そのように人の心を動かすmaisの作品が、観る人に自身の主張やエゴを押し付けるそれとは、明らかに一線を画していると語る。
むしろ、maisが創作に打ち込む姿は——そう、祈りに似ている。
彼女自身、板戸の上に色彩を塗り重ねていく作業を指して「祈りを重ねるように」と表現する。「雲中の曼珠沙華」が公開された際、彼女は自身のSNSにこう投稿した。
「曼珠沙華のように
抱かれる印象の常に揺れることなく
信念を手放すこともなく
ただまっすぐに大輪を貫く。(中略)
今年もまた、そして来年もまた。
変わらず淡々と繋いでいく。
ただそれだけ。
『ただそれだけ』の尊さを
心から尊敬し
その色を掬い上げて色に表した。ここ瑞龍寺門跡
日郁尼公様にも曼珠沙華を見る。
優しく強く、愛して繋ぐことに
一欠片の迷いなく人生を捧ぐ
その生き方も曼珠沙華のいのりの色に重ねて。」
点でしか生きられない自分と育っていく絵
まるで祈るように描かれた絵を通して、観る人が何かを感じ、この寺院でその思いを言葉にする。その言葉が、その音が、また「色」となって重なっていく——。彼女はその循環を「絵が育っていく」と表現する。ギャラリーのような空間ではなく、寺院という空間に作品を描くことで、色は重なり続け、そうして生まれた新たな「色」が、長く絵を育てていく。深い歴史を持つ空間に絵を描くことの意味はそこにある。彼女はそう考える。
アーティストになろうと思ってなったわけではない。むしろ、アーティストと名乗ってよいのか否かを長く自問してきた。けれどもだからこそ、「何年後にこうなっていたい」とか「そこから逆算して今何をしよう」と考えることもないという。
「私、点でしか生きられないんです。振り返ったら点と点が不思議とつながって今があるというだけで、今この瞬間がどこへどうつながっていくのかは想像もつかない。だから私は、未来のことより今この瞬間『旬』でありたいと思っています。」
彼女にとって美術家という肩書きは、あくまでツールの一つでしかないという。「門跡様やお医者さんが目の前の人を助けたいと思うのと同じように、私はただ目の前の絵を良くしたい。それ以外に何もないし、そのためにできることを全力で重ねているだけ。でもそれがきっと、生きるってことだと思う」