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2024.12.24

『源氏物語』の世界をガラスで融合させた截金。祈りの技法に込めた作家の決意とは【静嘉堂文庫美術館】

静嘉堂@丸の内(静嘉堂文庫美術館、東京)で開かれている企画展「平安文学、いとをかし―国宝『源氏物語関屋澪標(みおつくし)図屏風』と王朝美のあゆみ」の展示室で、きらきらと光り輝く優美な文様が印象的なガラス作品に出逢った。作者は山本茜さん。1977年生まれの截金(きりかね)ガラス作家である。古美術や古典籍の収蔵を特色としているこの美術館で、現代作家の展示は初めてだという。この企画展でも、展示の中心は俵屋宗達の『源氏物語関屋澪標図屏風』などの古美術の名品と『和漢朗詠集』や『蜻蛉日記(かげろうにっき)』などの古典籍だった。

截金(きりかね)とは、金箔を数枚焼き合わせて厚みをもたせたものを、細い線状または三角、四角などに切り、筆先に取って糊で貼りながら文様を描いていく技法です。その歴史は古く、紀元前3世紀のオリエント発祥と言われています。截金の技術はシルクロードをはるばる旅して、6世紀に仏教とともに日本に伝わり、主に仏画・仏像の装飾に用いられました。この技術は日本固有の工芸として現在まで連綿と受け継がれています。(出典:截金ガラス作家 山本茜オフィシャルサイト

江戸時代につながった平安の美

2点出品されていた山本さんの作品は、長さが40〜50センチ。主に器としてつくられてきた伝統的なガラス工芸とは少々趣を異にしていた。きんなどのきらきらと光り輝く細い線で描かれた文様が、分厚いガラスの中に仕込まれたオブジェだったのだ。1点は、小舟を二つに切ったような造形。幾何学的にも見え、光る文様と呼応して独特の美を創り出している。

山本茜『源氏物語シリーズ 第三帖「空蟬」』(2019年、個人蔵)展示風景

もう1点は、川の上をアーチ状に渡る橋の趣。金などの文様だけでなく、赤と青のあしらいが華やかな空気を醸し出している。筆者には楽器のそうのようにも見え、脳内に満ちた音楽に魂をつかまれた。

山本茜『源氏物語シリーズ 第四十五帖「橋姫」』(2021年、個人蔵)展示風景

山本さんの作品で、特に心を奪われたことがある。紫式部の『源氏物語』五十四帖から作品名を取っていたことだ。展示された2点の作品名は、第三帖「空蟬うつせみ」と第四十五帖「橋姫」。平安文学をテーマにした企画展に出品されたゆえんである。これらはもちろん『源氏物語』の各帖に想を得た作品だ。平安時代の貴族社会と文化の世界を深く独自性の高い脚本と演出で描き出して大きな話題になった今年(2024年)のNHK大河ドラマ『光る君へ』。すべてを見終えた後で改めて眺めていると、藤原道長と紫式部という二人の主人公の姿が筆者の脳裏に浮かび上がってきた。

いつの時代でも、文学は世の中の情景を巧みに紡ぎ出す。平安文学を象徴する『源氏物語』は、当時の貴族たちのありよう、彼らを囲んだ自然の情景、彼らが住んだり着たりしていた建物や着物、そして、それらに接する気持ちやその中で交歓したりぶつかり合ったりしたそれぞれの思いを、言葉で巧みに描き出した。


俵屋宗達『源氏物語関屋澪標図屏風』(江戸時代、寛永8(1631)年、六曲一双、国宝、静嘉堂文庫美術館蔵)展示風景
右隻(写真上)は第十六帖「関屋」、左隻(写真下)は第十四帖「澪標」を描いている

『源氏物語』はまた、同時代から絵でも描かれ続けてきた。五島美術館(東京)や徳川美術館(名古屋市)が所蔵している『源氏物語絵巻』(どちらも本展には不出品)はその代表的な例だ。さらに江戸時代になっても『源氏物語』を描く伝統が連綿と続いていたことは、大いに注目すべきことだと思っていい。この展覧会で展示されている俵屋宗達の『源氏物語関屋澪標図屏風』は、『源氏物語』の受容が江戸時代まで数百年にわたって続いてきたことを物語る象徴的な例だ。

昨夏筆者は、京都市の「屏風祭」と呼ばれる、京都の旧家所蔵の屏風を一般公開する催しで、『源氏物語』が描かれた屏風を見た。作者は不明、昭和6(1931)年に描かれた作品だという。谷崎潤一郎による『源氏物語』の現代語訳が出版された頃だったそうだ。さらに多くの現代語訳が著され、受容が続く中で、山本さんのガラス作品は生まれた。『源氏物語』の姿を新しい形で現代に表した山本さんの作品を見ると、また深い感慨が湧いてきた。

それは『源氏物語』から始まった

「いづれの御時にか 女御更衣あまたさぶらひたまひけるなかに いとやむごとなき際にはあらぬが すぐれて時めきたまふ ありけり…」

『源氏物語』の第一帖「桐壷」の冒頭だ。山本さんは中学2年次の授業で『源氏物語』のこの一文を学んだときから、とりこになったという。まず感じ入ったのは、言葉の響きだった。「千年前の日本人がこんなに美しい言葉をしゃべって、洗練された文化を持っていたことに、自分の中から日本人であることのアイデンティティが湧いてきたんです」。その後、ことあるごとに『源氏物語』を読み返すようになる。そして、魅力にはまった。NHKの大河ドラマ『光る君へ』のファンの間でも広がりを得た「沼る」という流行語を使ってみよう。紫式部に沼った山本さんの、『源氏物語』に捧げる人生の始まりである。

土佐光起『紫式部図』(江戸時代、17世紀、静嘉堂文庫美術館蔵)展示風景
紫式部が石山寺(滋賀県大津市)を訪れた折に、琵琶湖に映る月を見て『源氏物語』を書き始めたという伝承を踏まえた作品

『源氏物語』全五十四帖を自分なりに美しい絵巻で表したいと思い、山本さんは京都市立芸術大学に進んで日本画を専攻した。截金に出逢ったのは、そこで平安仏画の模写をしていたときだったという。金箔や銀箔を筋状に細く切って貼り、他の技法ではなしえないきらめきを発して美しく飾る。

『源氏物語』と截金をつなぐものがあった。「平安時代」である。美しい言葉と美しい文字、そして美しく絵や書物を装飾する截金。どちらも、時代が育んだ至高の美である。山本さんは、両者をつなぐことができないかと思うようになった。

装飾という脇役から表現の主役へ

截金に山本さんが感じたのは、「祈りの技法」であることだった。「截金の繊細優美さは、当時の人々の間を席巻していた末法思想の根底にもつながっている」と山本さんは言う。ただきらびやかで美しいだけの存在ではない。だからこそ、仏教絵画や経典の装飾に使われたということだろう。

【参考画像】『普賢菩薩像』(平安時代、12世紀、東京国立博物館蔵、出典:ColBase=https://colbase.nich.go.jp)※「平安文学、いとをかし」には出品されていません。

【参考画像】『普賢菩薩像』(部分)出典:ColBase=https://colbase.nich.go.jp)※「平安文学、いとをかし」には出品されていません。
衣類や光背など、随所に截金が使われている平安時代の作品。山本さんはこのような作品の模写をする中で、截金に惹かれていったようだ

その深さを感じ取った山本さんは、截金を自らの表現技法にすることができないかと思い立つ。そして、装飾としての截金ではなく、截金自体を主体とした芸術表現ができないかと模索する。そこで新たに挑戦したのが、ガラスを媒体にすることだった。

とは言っても、ガラス工芸作品を制作するための技術を持ち合わせているわけではなかった。富山ガラス造形研究所で2年間学んで技術を修得。そこで、厚みを持たせたガラスの複数の層の間に截金を挟む独自の技法を開発した。ガラスとガラスの溶融は、極めて難易度が高い技術だった。しかし、山本さんが『源氏物語』を表現するためには、是が非でも修得が必要だった。

截金には、主に金箔とプラチナ箔を使っているという。細く線状に切った箔を置きながら文様を構成するのが極めて細やかな神経を必要とする作業である一方で、ガラスの溶融という力技をこなした。

残りの人生をかけて山にこもる山本さんの決意

初めて『源氏物語』をテーマにした作品を発表したのは2010年だった。それ以来、『源氏物語』五十四帖が啓示のように降ってきて、一つずつ作品にすることをライフワークにし始めた。現在までに制作できたのは22作品。まだ五十四帖の半分にも届いていない。しかし、山本さんの言葉には、決意のほどがあふれ出ている。

「生きているうちに終わるのか? と思うので、山奥の工房に引きこもり、世間との交渉を断って全身全霊をかけて夢をかなえたい」

山にこもって「源氏物語」シリーズを完成させたいと意気込みを語る山本茜さん(2024年11月15日、静嘉堂@丸の内にて)

ぜひ、全点が完成し、並んだところを見てみたいと思う。

つあおのラクガキ

ラクガキストを名乗る小川敦生こと「つあお」の、記事からインスピレーションを得て描いた絵を紹介するコーナーです。Gyoemonは雅号です。

Gyoemon『光る月の下で』

天上に渡った紫式部と藤原道長は光る月の下でようやく幸せを得たと思いたいですね。そして、千代(千年)を経た今の世の中を、二人で見守っているのかもしれません。

展覧会情報

展覧会名:平安文学、いとをかし―国宝「源氏物語関屋澪標図屏風」と王朝美のあゆみ
会場:静嘉堂文庫美術館 静嘉堂@丸の内(東京・丸の内)
会期:2024年11月16日 〜 2025年1月13日 ※会期中一部展示替えあり

参考文献

◎「平安文学、いとをかし―国宝「源氏物語関屋澪標図屏風」と王朝美のあゆみ」図録

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小川 敦生

美術ジャーナリスト&日曜ヴァイオリニスト&ラクガキスト(雅号=Gyoemon)。そして多摩美大教授。新聞や雑誌の美術記者を経験しながら「浮世離れ」を目指し、今日に至る。音楽面ではブラームスのヴァイオリン協奏曲のソロをコンプリート演奏する夢を実現し、自己満足の境地へ。著書に『美術の経済』。
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