19世紀のパリ芸術界で、いち早く浮世絵に惹かれ蒐集していたモネ。そのためか、「浮世絵の影響?」と思われる作品がいくつもあるのです。モネの作品と浮世絵を見比べて、浮世絵の影響とモネの”浮世絵愛”を調べてみました!
日本を愛した巨匠モネの魅力に迫ります!
印象派の巨匠、クロード・モネ。彼は、300点近くの浮世絵を所有していた、日本美術の熱心なコレクターでもありました。モネと浮世絵、ふたつの美の世界をぞんぶんに!
モネVS浮世絵 見比べ1「睡蓮」 あの代名詞的モチーフも浮世絵から着想?
モネは晩年、大装飾画や連作のモチーフにもっぱら〈睡蓮〉を用いました。
睡蓮を描いた作品を所蔵する美術館は日本にも数多く、国立西洋美術館で開催されて大評判だった「モネ 睡蓮のとき」のように、展覧会でもたびたび特集され、多くのファンを集めています。
睡蓮は19世紀後期に移り住んだジヴェルニーの、〝水の庭〟と呼ばれたエリアの池を彩った花。モネの特徴的モチーフだと考えられています。
ですが、歌川広重の風景画シリーズのなかに、池を覆うように咲く蓮を描いた『東都名所 上野不忍蓮池』が!
広重といえば、モネが多数コレクションしていた絵師のひとり…。このなんともいえない共通性を見ると、モネに対する親近感もわいてきます。
歌川広重『東都名所 上野不忍蓮池』
『東都名所』シリーズは、『東海道五拾三次』で人気を博した広重による風景画シリーズの後継作。1867年のパリ万博での展示によってジャポニスム(日本趣味)ブームが起こったが、モネはそれ以前から浮世絵に関心をもっていたようだ。●歌川広重(うたがわひろしげ)『東都名所 上野不忍蓮池(とうとめいしょ うえのしのばずのはすいけ)』大判錦絵 天保15~弘化2(1844~1845)年 海の見える杜美術館
クロード・モネ『睡蓮』
妻や長男の死、自身の白内障とつらい時期を経て、70代半ばで再び絵筆をとったモネは睡蓮の連作に執心。当時の作に、青空や白い雲が水面に映ったものは珍しく、ピンクの花弁を含め、全体に明るく華やか。●油彩・カンヴァス 1906年 89.9×94.1cm シカゴ美術館 The Art Institute of Chicago, Mr. and Mrs. Martin A. Ryerson Collection, 1933.1157
歌川広重『名所江戸百景 亀戸天神境内』
『東海道五拾三次』で知られる歌川広重が最晩年に手がけた連作『名所江戸百景』のうちの1枚。藤の名所として知られる亀戸天神の、境内の池にかかる太鼓橋が描かれている。藤棚も太鼓橋も、モネ作品に多出するモチーフである。●歌川広重『名所江戸百景 亀戸天神境内(めいしょえどひゃっけい かめいどてんじんけいだい)』大判錦絵 安政3(1856)年 東京国立博物館 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)
クロード・モネ『睡蓮の池』
1883年にジヴェルニーに移住したモネは、1893年に近隣に土地を買い、そこに自身で「水の庭」をつくりあげ、そこで多くの作品を描いた。なかでも睡蓮の池とそこに架けられた日本風の太鼓橋を描いた連作は18枚あり、本作はその1点。繁茂する緑が濃密な印象。●油彩・カンヴァス 1899年 88.6×91.9㎝ ポーラ美術館
モネと浮世絵 見比べ2「風景」 手前の木の描き方に〝浮世絵 〟が溢れてる!
15世紀のルネサンス期に定められた規範が連綿と受け継がれてきた西洋絵画。
モネが率いた印象派は、それを超越したことで美術史に金字塔を打ち立てました。その最たるものが風景画です。
遠近法を駆使して奥行きを出し、目に映る景色をありのままに描く…。モネはこの鉄則に従うことなく、光溢れる自然を見たときの印象をそのまま表現したのです。
モネを革新的な画法へと導いたのが浮世絵風景画だったことは、そのコレクションから推測できます。
特に葛飾北斎の『冨嶽三十六景』シリーズの、木などを前面に描いたインパクトある作品には、類似性があるものがいくつも! これは模倣ではなく、モネの意識改革に影響を与えたと考えるべきでしょう。
葛飾北斎『冨嶽三十六景 信州諏訪湖』
手前の中心部に立つ木を際立たせ、奥には諏訪湖の水平線。『ボルディゲラ』のモチーフの配置とことごとく似ていて、北斎の構図のすごさを再認識。●葛飾北斎(かつしかほくさい)『冨嶽三十六景 信州諏訪湖(ふがくさんじゅうろっけい しんしゅうすわこ)』横大判錦絵 江戸時代・19世紀 メトロポリタン美術館 The Metropolitan Museum of Art, Henry L. Phillips Collection, Bequest of Henry L. Phillips, 1939, JP2965
クロード・モネ『ボルディゲラ』
43歳のころ、モネはルノワールとともに地中海を訪れ、ボルディゲラで多数の絵を描いた。それらの作品の色彩は明るさを増し、浮世絵の構図を自らの作品に応用する傾向にも拍車がかかったといわれている。●油彩・カンヴァス 1884年 65.0×80.8㎝ シカゴ美術館 Art Institute of Chicago, Potter Palmer Collection, 1922.426
モネと浮世絵 見比べ3「花」 園芸好きのモネは庭の花をクローズアップ!
1883年、43歳のモネはパリを離れ、ノルマンディー地方のジヴェルニーに移住。
豊かな自然に恵まれた地で、園芸愛好家の本領を発揮したモネは、〝花の庭〟と〝水の庭〟に色鮮やかな花を植え、丹精しました。
そんなジヴェルニーで見出したモチーフが〝花〟。睡蓮に注目するより前の話です。
西洋絵画でも花は描かれてきましたが、花瓶に生けた花の絵は「静物画」とされ、ほとんどは風景の一部。
その点、モネが描いた花は生命力に満ち、従来の西洋絵画にはない斬新なものでした。
一方で、モネの構図は中国絵画に由来する「花鳥画」に通じるもので、その伝統を受け継ぐ浮世絵には、まるでお手本にしたかのような花の絵がいくつも! これは偶然の符合でしょうか?
葛飾北斎『翡翠 鳶尾艸 瞿麦』
花と鳥をデザイン的に組み合わせ、「花鳥画」の基本を押さえたシリーズ作品のひとつ。モネの『アガパンサス』の茎から花の、流れるようなラインは、本図の鳶尾艸の描写と似ている。自然界の花のとらえ方に、共通性が感じられる。●葛飾北斎(かつしかほくさい)『翡翠 鳶尾艸 瞿麦(かわせみ しゃが なでしこ)』 中判錦絵 江戸時代・19世紀 東京国立博物館 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)
クロード・モネ『アイリス』
第1次大戦が勃発した1914年、モネは睡蓮をテーマに大装飾画の制作を開始。そのため、自宅の池の周りに植えた花を観察し、花を中心にした本作を完成。花もモネにとって重要なモチーフだった。●油彩・カンヴァス 1914~1917年 200.0×200.7cm シカゴ美術館 The Art Institute of Chicago, Art Institute Purchase Fund, 1956.1202
モネと浮世絵 見比べ4「女性」 傘のさし方も風をはらんだ着衣もそっくり!
初期のモネは優れた人物画を描いていました。
ですが、光を取り入れた印象派の画風にシフトしていくうち、画題のメインも風景に…。
それが、40代半ばになった1880年代半ばの一時期、風景の中の人物を描く連作に取り組み、ここに掲載している日傘をさした女性を題材にした左側の2作品がその代表例。また、『舟遊び』(国立西洋美術館)のように小舟に乗った女性の連作もこの時期のものです。
今回、ジヴェルニーのダイニングの写真を見て、どんな浮世絵があるか確認していたら、なんと傘を差した女性を描いた三枚続きの美人画が!
モネが描いた3タイプの日傘の女性は、浮世絵に描かれた傘をさして歩くきものの女性たちとよく似ています。もしかしたら、モネの浮世絵への傾倒は、私たちの想像を超えていたのかもしれません。
歌川芳虎『隅田川雪見』
傘をさすしぐさや向きなど、モネは浮世絵をお手本にしたのだろうか? ●歌川芳虎(うたがわよしとら)『隅田川雪見(すみだがわきみ』 大判錦絵三枚続き 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1307786 (参照 2024-12-12)
クロード・モネが描いた日傘をさした女性
左/『日傘をさす女性(右向き)』 右と同時期に、シュザンヌをモデルした連作。人物描写や作風は右ページと変わらないように見えるが、人物を背景に溶け込ませようとする画家のまなざしには大きな違いがある。愛情と安らぎのなせる業か。●油彩・カンヴァス 1886年 131.0×88.0㎝ オルセー美術館 写真提供/Album(サイネットフォト) 中/『日傘をさす女性(左向き)』 右の作品の約10年後の作は、亡き妻に代わり、パトロンだったオシュデ家の三女シュザンヌがモデルに。モネはやがてオシュデ家未亡人と再婚し、シュザンヌの父に。本作もまた、愛に満ちた作品である。●油彩・カンヴァス 1886年 131.0×88.0㎝ オルセー美術館 写真提供/Alamy(サイネットフォト) 右/『散歩、日傘がさをさす女性』 3作のうち本作だけは、印象派を旗揚げして間もない1875年の作。背に光を受けている女性は妻のカミーユで、左奥には長男ジャンの姿が。カミーユの仕草や草むら、雲など、どれもが動きを感じさせ、画面には当時モネが目ざした、色彩と光が集約されているという。● 油彩・カンヴァス 1875年 100.0×81.0㎝ ワシントン・ナショナル・ギャラリー National Gallery of Art, Collection of Mr. and Mrs. Paul Mellon, 1983. 1. 29
モネと浮世絵 見比べ5「街路」 西洋絵画に学んだ浮世絵の遠近法を逆輸入!?
モネと浮世絵との出合いは1867年のパリ万博より早く、本格的に蒐集を始めたのは1870年代と考えられています。
1860年代に新時代の西洋美術の旗手として頭角を現したモネが、当初から浮世絵の影響を受けていたことは、多くの作品から感じられます。
当時、パリで人気を集めていたのは広重や北斎。特に風景画が注目されていました。
広重の『名所江戸百景 猿わか町よるの景』は、モネのコレクションにもある一枚。西洋絵画の遠近法を独自に消化した広重の名画から、モネはインスピレーションを得ていたようで、初期の作品のなかには、街路の表現が酷似した作品が見受けられます。
歌川広重『名所江戸百景 猿わか町よるの景』
最晩年の『名所江戸百景』で大胆な構図を追求した広重は、どこまでも商店が続く一本道と、月明かりを受けた人々の影で、江戸の夜を楽しげに表現。モネにとって、ジヴェルニーのダイニングを飾るこの図の影響は大きかったようだ。●歌川広重(うたがわひろしげ)『名所江戸百景 猿わか町よるの景(めいしょえどひゃっけい さるわかちょうよるのけい)』大判錦絵 安政3(1856)年 東京国立博物館 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)
クロード・モネ『オンフルールのバヴォール街』
Claude Monet, 1840–1926. “Rue de la Bavole, Honfleur” (Street Rue de la Bavole in Honfleur), c. 1864. Oil on canvas, 55.9 × 61 cm. Inv. 48.580
ノルマンディー地方の港町オンフルールに今も残る街路を、モネはドラマティックに描写。その秘密は、視線を引きつける浮世絵風遠近法と、左側からさす光による陰陽表現のコントラストの強さにある。●油彩・カンヴァス 1864年ごろ 55.9×61.0㎝ ボストン美術館 写真提供/AKG(サイネットフォト)
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構成/山本 毅、古里典子(本誌)※本記事は雑誌『和樂(2024年12・2025年1月号)』の再編集・転載です。