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蔦重AtoZ
U=歌川派や北斎は蔦重の没後に大出世!
歌麿、写楽という、蔦重が生み出した浮世絵師のスーパースターは、寛政の改革による規制に抗いながら成功を勝ち得ました。蔦重の反骨心(はんこつしん)があったからこそ、庶民文化が弾圧された時代にも、浮世絵の火は消えなかったのです。
蔦重が亡くなった後の19世紀前半に、浮世絵ブームが巻き起こります。その火付け役となったのが若き日に蔦重のもとで狂歌絵本などを描いた葛飾北斎(かつしかほくさい)です。さまざまな地点から見た富士山を大胆な構図とともに描いた『冨嶽三十六景』シリーズは、海外の美術ファンも驚く斬新さでした。
世界に知られるスーパー浮世絵師・葛飾北斎
富士山と大きな波を組み合わせた、海外で最も有名な日本美術作品がこれ!
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年表で知る葛飾北斎の偉業。欧米へ与えた影響がスゴイ!
浮世絵風景画の巨匠といえば歌川広重
同じころ、歌川広重は『東海道五拾三次』シリーズを発表し大ヒット。これらの風景画が台頭した背景には、東海道をはじめとする五街道(ごかいどう)が整備されたことによる旅行ブームがありました。
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武者絵から戯画までなんでも描いた歌川国芳
広重と同年に生まれた歌川国芳(うたがわくによし)は、『相馬の古内裏』のような大判錦絵3枚続きの大胆な武者絵(むしゃえ)や、猫や金魚を擬人化した戯画、美人画でも活躍しました。
これらの個性的な絵師の才能が花開く時代の到来を、蔦重は予期していたのでしょうか?