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北斎AtoZ
E=【絵手本】『北斎漫画』は絵のお手本だった!
北斎には師弟関係について書き残されたエピソードが少ないことから、浮世絵師として一匹狼で活動していたイメージがあります。
しかし実はたくさんの弟子が、全国にいたのです。
50歳を過ぎたころから読本(よみほん)の挿絵でその名を知られる存在となっていた北斎。招待やスケッチのために訪問すると、各地で弟子入り希望者が殺到したといいます。
結局、江戸はもとより、名古屋や西国など全国に弟子をもつようになり、最盛期には弟子や孫弟子が、合計200人もいたといいます。
シンプルな筆使いでさらさらと描いた、まさに天才!
しかし、常に締め切りに追われていて、直接手ほどきをする時間もなかったことから、北斎が考え付いたのが、絵の教科書となる「絵手本」の制作でした。
北斎の名を世界にとどろかせた『北斎漫画』誕生!
初期のころには、丸や三角、四角の図形を組み合わせてデッサンする方法といった、作画の基本を懇切丁寧に図説。
やがて、人や動物、鳥や虫、山川草木など、あらゆるものの絵手本を描くようになり、上級者向けの参考図案集という内容の『北斎漫画』や、かわいい略画など、数多くの絵手本を残しました。
初期はこんなに細かい絵をイロハ順にびっしりと
特に『北斎漫画』は、フランスの印象派の画家たちも目にして、衝撃を受けたといいます。
弟子のためのお手本が、いつの間にか芸術作品となっていたなんて、北斎が知ったら驚いたことでしょう。
そんな絵手本の図案をじっくり眺めてみると、いずれもシンプルな線描が中心ながら、そのものズバリを描き表しています。
わかりやすくて美しく、デザイン的なセンスも併せもった絵手本は、門人ならずとも欲しくなる内容だったのです。