この伝統技術を、現代のクリエイターたちの世界で生かすことはできないか。その問いに応えるべく、浮世絵の伝統技術を保持するアダチ版画研究所が1979年以来続けてきた興味深い試みの成果が、東京国立博物館表慶館で開かれている企画展「浮世絵現代」で披露されている。
現代のクリエイターが「絵師」に?
参加作家には草間彌生、横尾忠則など国内の一線級の美術家に加え、アントニー・ゴームリーなどのヨーロッパの著名なアーティストも名を連ねている。さらに漫画家、建築家、デザイナーなども含めて、85人ものクリエイターの作品が会場に並んでいる。
ここで押さえておきたいのは、浮世絵版画が、江戸時代に発達を極めた木版印刷の技術だったことだ。当時は巷の人気に応じて数百から数千部が摺られたが、現代の美術界では希少性を伴う世界的な芸術ジャンルとして高く評価されている。理由の一つは、版木の素材が持つ独特の質感にある。山桜の版木や手漉き和紙が生み出す柔らかなざらつき、そして時に浮かび上がる木目の表情は、無機質な工業製品とは明らかに異なる温もりを伝える。特筆すべきは、絵師が描いた下絵をもとに、彫師、摺師という卓越した技術を持つ職人たちの連携の下で制作されていたことだ。
彫師と摺師を擁して歴史的な浮世絵の復刻を手掛けるアダチ版画研究所は、伝統木版の技術を後世に伝えるために、粟津潔・勝井三雄・田中一光・山藤章二・和田誠の5人のデザイナー・イラストレーターの賛同を得て「現代の浮世絵」の制作を始め、1979年にオリジナル木版画集『木版と現代』を出版した。その後多くのクリエイターにアプローチして活動を現在まで続け、また幅を広げてきた成果を披露した企画展が「浮世絵現代」である。5人だったのが80人以上に増えたこと自体が、活動の意義の大きさを証明している。(アダチ版画研究所のウェブサイト「アダチ版画 現代の浮世絵」の「伝統木版と現代の絵師の出会い in 1979 オリジナル木版画集 『木版と現代』」に掲載された情報および今年4月21日の記者会見をもとに構成)
ならば、現代のクリエイターが「絵師」になれば、伝統技術を受け継ぐ彫師、摺師とのコラボレーションによって価値のある表現が生まれるのではないか。そんな問いかけから進められてきた試みの下で、どんな表現が生まれたのか。その世界を覗いてみよう。
お出迎えは水木しげるの妖怪画
会場を入ってすぐの展示室で出迎えてくれるのは、水木しげるや楳図かずおといった漫画家たちの作品だ。ちばてつやや里中満智子の作品も並んでおり、江戸の浮世絵と現代の漫画は連続した世界の産物であるようにさえ感じさせる。
思い返せば、江戸時代にも鳥山石燕 や高井鴻山 のような妖怪画の名手が存在し、葛飾北斎も『百物語』などの妖怪画を手掛けていた。妖怪は、伝統的な画題として日本絵画の歴史の中にも深く根付いていたのだ。
昭和の妖怪漫画家として名を馳せた水木しげるが描いたのは、歌川広重の『東海道五十三次』シリーズのパロディーともいえる『妖怪道五十三次』だ。そのうちの一枚「日本橋」では、広重の名作を下敷きに、日本橋を出発する大名行列の代わりに「鬼太郎御一行様」が黎明の日本橋を旅立つ場面が描かれている。鮮やかな色彩と夜明けの明るさを表現したグラデーションが、漫画の世界を江戸の風景に溶け込ませている。
『妖怪道五十三次 平塚』では、飛脚が骸骨などの妖怪に追いかけられる迫力ある情景が展開されている。骸骨を大きく描いた歌川国芳の浮世絵『相馬 の古内裏 』を思わせる趣向だ。『相馬の古内裏』は平安時代の話を江戸時代に再現した作品である。江戸の妖怪話を現代に再現した水木しげるの試みも、なかなか心憎い。
里中満智子の『各時代美人図』は、創意に富んだ作品である。江戸時代にも浮世絵師の鳥居清長や喜多川歌麿が、一枚の絵の中に多くの美人を描き、限りなく優美な世界を創り出した。里中は、古代から近代までの美人を、着物の描き分けによって一枚の絵の中に表現している。
こうして見ると、現代の漫画家たちは、江戸時代の浮世絵で技術として確立した華やかな色遣いだけでなく、その自由な発想にも共鳴し、作品をさまざまに展開していることがよくわかるのではないだろうか。
前衛芸術家・草間彌生が描いた富士山
では、美術家たちはどんなアプローチを見せたのだろうか。草間彌生 は富士山を描いた。
富士山は、平安時代から絵画の題材とされてきた伝統的なモチーフだ。旅先の風景としてだけでなく、『富士参詣曼荼羅図 』などの宗教画では、信仰の対象としても描かれてきた。日本人にとっては、実景でありながら精神の象徴でもあったことを物語る。江戸時代の浮世絵では、多くの人が葛飾北斎の『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』を思い浮かべるだろう。怪物のように襲いかかる波の下で泰然自若としている富士山は、日本人にとって心のよりどころだったことをも見せつける名作だ。
では、「前衛芸術家」を自認する草間彌生は、この伝統的な画題にどのように向き合ったのか。実は、草間が富士山をテーマに作品を制作したのは、この時の試みが初めてだったという。筆者が過去に何度かインタビューなどで接した印象では、草間は常に心の赴くままに絵を描き進め、その結果として作品が成立する姿勢を大切にしてきた。
『七色の富士』と題された今回の連作では、浮世絵版画の技法を生かし、同じ構図で版を変えながら、七色のヴァリエーションを制作した。過剰なほどの裾野の広がり、にこやかな太陽の表情などに、童心を得たかのような草間の境地が見えてくる。さらに、木版画特有の柔らかな質感が、草間の描く富士山に新たな魅力を加えている。
背景に目を凝らすと、草間作品の象徴である水玉模様が青空に散りばめられていることがわかる。細やかな水玉を彫るのは彫師の腕の見せどころであり、そこにどれだけ草間の魂を込められるかという挑戦心が、このコラボレーションを通じて感じられた。
横尾忠則が得た「自由」の境地を表現
横尾忠則が出品した『寒山拾得 ・其ノ三』は、古典的な画題のパロディー作品だ。寒山と拾得は、文殊菩薩 と普賢菩薩 の化身とも言われている伝説上の僧侶。中国から画題として伝来し、室町時代以降の日本でも多くの絵師が描いた。
伝統絵画では巻物を持つ寒山と 箒 を持つ拾得を描くのが定番だが、横尾が描いた寒山は巻物の代わりにトイレットペーパーを、拾得は箒の代わりに掃除機を持っている。何たるパロディーなのだろう! 横尾の作品は、現代の日常生活の中に寒山拾得が潜んでいることを想像させ、楽しい。
かなり粗い筆致になっているのは、近年の横尾の特徴だ。世田谷美術館で開催中の「横尾忠則展 連画の河」の開会式で横尾は、「自分は絵が下手になる一方」と語った。腱鞘炎 がひどく、まっすぐの線が描けず、背景もきれいに塗れないという近年の事情からの言葉だが、「下手でいいという自由な気持ちが湧き出してくる」とも話す。筆者はその自由さに大いに共感する。粗さが実に味わい深く、細部の仕上げにとらわれない自由さがいい。
もっとも、この自由な横尾の表現を彫師や摺師が木版画で忠実に再現する際には、相当な苦労があっただろう。伝統的な浮世絵は線で輪郭を描くが、横尾の作品は色と色の境目があいまいで、むしろ色が重なり合う部分があるのが特徴だ。横尾自身「(自分の絵は)木版画から最も遠い存在なんじゃないか」と語る一方で、「木版という技術を通して新たな表現がそこに現れた」とも言う。完成した作品には、木版画ならではの質感と横尾らしい自由な発想が融合し、興味深い表現が生まれている。
摺師が見出した塩田千春の赤の多重性
ヴェネツィア・ビエンナーレ日本館代表などの実績で知られる美術家・塩田千春の、赤い糸を空間に張り巡らせたインスタレーションは、彼女の代表的な表現のひとつだ。では、その赤い糸の織りなす世界が、浮世絵の技法を用いた平面作品ではどのような表情を見せたのだろうか。
塩田のこの作品で使われている色は、ほとんどが赤である。塩田はこれまでにも、赤い糸を貼ったドローイングなどを手掛けてきたが、今回の出品作では、彫師と摺師が入ることで必然的に異なる表現が生まれた。多様な赤を重ねて摺ることで、立体感を創出したのだ。塩田自身、摺師が赤の中に何十種類もの色を見出して異なる色として摺り重ねることで、原画よりも深みのある赤が生まれたことに感心したことに言及している。
絵の中に空間を生み出したゴームリー
男性の裸体をかたどった金属製の彫刻で知られるアントニー・ゴームリーが、この試みに参加していること自体が画期的だと感じる。ゴームリーはこれまで一貫して、彫刻を通じて人と空間の関係を問い続けてきた。では、この試みでは、浮世絵の技術はその作品にどのように生かされたのだろうか。
ゴームリーが挑んだのは、「錦絵」と呼ばれるほど色鮮やかな浮世絵の世界で、あえてモノクロームの表現を追求することだった。ゴームリーはまず100枚の和紙の一枚一枚に薄墨をにじませることによって光の表現を探求したという。にじむ様子を熱心に観察していたゴームリーの姿が目に浮かぶようだ。さらに、和紙ごとに異なるにじみの表情に合わせて、摺師が意図的に版の位置をずらしながら重ね摺りを行うという、伝統を超えた新手法で制作に臨む。ゴームリーは、江戸時代には平面的な表現を特徴としていた浮世絵で、果てしなく深い空間表現を追い求めたのだ。その背景が創った空間に、ゴームリーはまるで彫刻のようにくっきりとした人物像を立てた。
浮世絵は、江戸時代の印刷技術でありながら、表現力はすでに芸術の域に達していた。明治以降、活版印刷などの普及によって衰退し、技術を継承する職人の数は激減したが、アダチ版画研究所代表取締役社長の中山周さんによれば、「近年は若い女性を中心に、技術を継承する人が増えている」という。
どれほど高度な技術があっても、それを生かす目的がなければ意味がない。現代においてこの技術をどう生かすことができるか。現代美術家たちと彫師や摺師のコラボレーションは、その点において極めて重要な試みである。
色の重なりにこだわりがあるロッカクは当初、木版画で自分の作品がうまく表現できるかどうかがわからなかったという。だが、形や色のリズムについて自覚的になって下絵を描き、線を彫る彫師に自分の描画のゆらぎの部分を逆に見せてもらうことで、新しい世界が展開したようだ。実に魅力的な画面に仕上がっている。
つあおのラクガキ
ラクガキストを名乗る小川敦生こと「つあお」の、記事からインスピレーションを得て描いた絵を紹介するコーナーです。Gyoemonは雅号です。
2021年の旧作を紹介します。猫とネズミが追いかけっこをする中で泰然自若としている富士山。浮世絵の素晴らしさが少しでも伝われば幸いです。
展覧会情報
展覧会名:浮世絵現代
会場:東京国立博物館表慶館(東京・上野)
会期:2025年4月22日~ 2025年6月15日
公式サイト:https://tohaku-edo2025.jp/