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北斎AtoZ
J=【ジャポニスム】浮世絵が欧米の近代芸術を革新した!
江戸庶民の心を鷲づかみにした浮世絵の人気は、徐々に海外にも広がっていきました。
その先駆者として有名なのが、日本から輸送された磁器の緩衝材に使われていた『北斎漫画』の芸術性に心奪われた銅版画家フェリックス・ブラックモンでした。
彼が芸術家仲間に喧伝(けんでん)したことから、 フランスで浮世絵人気が沸騰。新しい絵画様式を模索していた印象派の画家たちは浮世絵からヒントを得た新様式を世に問うようになります。
印象派は北斎に刺激を受け、手本にした!
上/『冨嶽三十六景・甲州三嶌越(ふがくさんじゅうろっけい・こうしゅうみしまごえ)』葛飾北斎 江戸時代・19世紀 メトロポリタン美術館 The Metropolitan Museum of Art, Henry L. Phillips Collection, Bequest of Henry L. Phillips, 1939
下/『Mont Sainte-Victoire and the Viaduct of the ArcRiver Valley(サント=ヴィクトワール山)』ポール・セザンヌ 1882~1885年 メトロポリタン美術館 The Metropolitan Museum of Art, H. O. Havemeyer Collection, Bequest of Mrs. H. O. Havemeyer, 1929
そして、マネは『エミール・ゾラの肖像』の背景に浮世絵を描き、モネは第2回印象派展に着物を着て扇子を持った妻をモデルにした『ラ・ジャポネーズ』を出品。
ドガやゴーガン、セザンヌ、ルノワール、ロートレックなど、多くの画家も追随しました。
日本の絵画や工芸品が西洋画に描かれた!
ブラックモンの例が偶然だった一方で、日本も幕末期に長い鎖国から門戸を開き、欧米からの訪問者が増えていきました。
日本でこれまで見たことのない美術作品の浮世絵をはじめとした美術工芸品に心を奪われた外国人たちは、浮世絵をはじめとした美術工芸品をお土産にしたり、コレクションにしたりして、多数の作品が海外へ流出するようになります。
さらに、1862年のロンドン万博、1867年のパリ万博、1873年のウィーン万博と回をおうごとに、日本の美術工芸作品が多数出品されるようになり、現地の美術愛好家たちを熱狂させました。
ブラックモンのモチーフの描き方は『北斎漫画』風
その結果、西洋の絵画のみならず工芸や文学、 舞台芸術など、さまざまな芸術分野で、日本美術に影響を受けた作品が席巻。
欧米の近代芸術の発展に大きな影響を与えていたのです。
このように日本の美術様式を取り入れた芸術運動は「日本趣味」という意味のフランス語「ジャポニスム」と呼ばれ、19世紀後半の欧米の近代芸術の幕開きに大きく関与しました。
アール・ヌーヴォーの巨匠ガレの作品もまた浮世絵風
また、装飾工芸においてジャポニスムは、「アール・ヌーヴォー(新しい芸術)」という新傾向を生み出し、 自然由来のモチーフや曲線を多用したデザインを用いた磁器やガラス器、七宝などが次々につくられました。
代表的なものが、ブラックモンの絵を用いた陶磁器や、アミール・ガレのガラス工芸品など。
その美しさは今も色あせることなく、根強い人気を誇っています。
●ジャポニスム略年表
1856年:摺師の仕事場で『北斎漫画』を偶然見つけたブラックモンが、画家仲間にその魅力を喧伝
1861年:フランスの詩人ボードレールが、日本の工芸品に触れたことを手紙に記す
1862年:第2回ロンドン万国博覧会を契機に、日本の工芸や文化への関心が高まる
1866年:マネが『エミール・ゾラの肖像』の背後の壁に浮世絵を描く
1867年:第2回パリ万国博覧会を皮切りに、日本文化を紹介する機会が増え、日本ブーム拍車がかかる
1871年:サン=サーンス作曲のオペラ『黄色い王女』に、浮世絵の話題が取り上げられる
1874年:モネ、ドガ、シスレー、セザンヌ、ルノワールらによる第1回印象派展が開催される
1876年:フランスの辞書に 「japonisme (ジャポニスム)」という単語が登場
1887年:浮世絵を収集していたゴッホが浮世絵を模写する
1888年:ゴッホが『タンギー爺さん』の背景に浮世絵を描く
1891年:ロートレックが浮世絵の構図を取り入れたポスターを描き、人気を博す
1895年:ウィーンでクリムトがジャポニスムの影響を受けた作品を描く