北斎AtoZ
M=【漫画】世界に冠たるマンガの語源は『北斎漫画』
文化11(1814)年の初編以来、北斎の存命中に13編、没後に2編が刊行された、『冨嶽三十六景』と双璧を成す傑作が絵手本の集大成である『北斎漫画』です。
その優れた観察眼によるデッサンのかずかずや、ジャポニスムにまで関わった影響力の高さは、「北斎AtoZ」ですでにご紹介しているとおりですが、現在普通に使われている「漫画」という言葉を広めたのも北斎の功績だったのです。
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ひとつひとつの描写が見惚れるほど魅力的!
「漫画」という言葉の由来にはふたつの説があって、ひとつは随筆を意味する中国語「漫筆(まんぴつ)」が「漫筆画」を経て「漫画」になったとする説。
もうひとつは、中国のヘラサギ(中国語で「漫画/まんかく」)がくちばしで水をかき回して乱雑に食べる様子から「様々な事柄を扱う本」という意味で用いられていたという説です。
中国生まれの言葉「漫画」を、江戸時代の山東京伝(さんとうきょうでん)は「気の向くままに描く」という意味で用いており、 北斎は戯画風のスケッチをさして『北斎漫画』を描きました。それが現在のマンガへとつながっているのは興味深いことです。
人物も道具も、北斎に描けないものはない!
『北斎漫画』は本来、全国にたくさんいた北斎の弟子たちが絵を学ぶためのお手本です。そこには、人物や動物、自然の山川草木(さんせんそうもく)など目で見ることができるものから、神仏など実像が定かでないもの、風のように可視化が難しいものまで、森羅万象(しんらばんしょう)が描かれていました。
ひとりの絵師が描いたデッサン集として、まさに空前絶後のクオリティと言っても過言ではないでしょう。
なかには、人の動きや表情の微妙な違いを描いたものもあり、リアルな表現は驚くほど(!)。
マンガやアニメなどの生みの親として、日本が注目されていますが、北斎は江戸時代にそれを先取りしていたわけですから、北斎がいかにすごい絵師だったのかがよくわかります。